異世界帰還兵症候群につき絶賛恋愛リハビリ中。 第三部 文化祭のあとで

嬉野秋彦

序章 信頼関係構築の難しさ




侵蝕者エローダー”たちと戦った直後には、風丘かざおか葉月はづきは食事をしないのだという。

 単純に考えれば、戦いのあとにはそれ相応のカロリーを消耗している。それを補うためにも栄養補給は必須なはずだが、それでも葉月は食欲が湧かないといって食事をしない。それはおそらく、肉体が欲していないというより、精神的に食事をしたくないということなのだろう。たとえ相手がエローダーだとしても、人の姿をした敵を倒した直後は食事をする気になれないというのは、林崎はやしざき重信しげのぶにとってはある意味うらやましい繊細さといえる。

「……食事をしないのなら、別におれにつき合う必要はないと思うんですが」

 深夜のファミレスで健啖ぶりを発揮していた重信は、ナイフとフォークを動かす手を止めることなく、向かいのソファ席に陣取った女たちを見やった。

「別にこっちはつき合いたくてつき合ってるわけじゃないから」

 コーヒーに大量のミルクとガムシロップを垂らしてかき混ぜ、そのくせろくに口をつけることもせず、葉月は窓の外をじっと見つめている。その隣では、シャーペンをカチカチとノックしながら、こちらもまた重信のことなど見もせずに、榎田えのきだじゅんがタブレットを凝視していた。

「いや、ちょうどいい機会だから聞いておこうと思ってー」

「何をです?」

「ザッキーって、ホントはもっとたくさんの“スキル”を持ってるんじゃないかってさー」

 ちらりと上目遣いにこちらを見やり、純が切り出す。この女マッドサイエンティストは周囲の空気を読むという概念が極端に薄く、持って回ったいい方をしてこない。それはそれで、重信からするととてもやりやすく、面倒がない。

「“印地いんじ”のことをいってるんですか?」

「そういう名前なの? とにかく飛び道具みたいなの、最初に聞いた時には説明がなかったからねー」

「説明しませんでしたからね」

「うん、だからその理由を聞きたいなーって」

「特に理由はありませんが」

「は? ないってことはないでしょ」

 葉月が不機嫌そうな顔をこちらに向ける。

 二学期に入ってからの彼女は、黒髪をベースに明るいピンクと暗いパープルのメッシュを入れている。その髪を指に絡めていじりながら、葉月は重信を睨みつけた。

「――そういう情報があるのとないのとじゃ、作戦を立てる時の考え方に差が出るんだし」

立花たちばなさんのような強力無比な飛び道具ならともかく、豆鉄砲レベルのおれの飛び道具が作戦立案に大きな影響をあたえるとは思えないが」

「それは事実なんだけどねー、こっちはいろいろ考えちゃうわけでー」

 ザッハトルテを削って口もとに運び、純は何度もうなずいた。

「……実はザッキー、それ以外にも、まだほかに何か切り札を隠してるとかってない?」

「ないですね」

 重信は即答した。

「ホントにー?」

「――そんな便利な切り札があったら、腹に穴が開いて死にかける前に使ってますよ」

「まあそれはそうなんだけどねー、切り札的な強力なものじゃなくても、ちょこちょこした“スキル”をもっと持ってるんじゃないかなーって思って。……どうかなー?」

「そういう意味でいうなら持ってますよ」

 重信はふたたび即答した。それが意外だったのか、葉月は目を丸くして口を閉ざし、対して純は面白そうに微笑んでいる。

「それ、ちょっと説明してくれるー?」

「嫌です」

 みたびの即答に、葉月は眉間にしわを寄せた。

「あんたねえ――」

「きみは、自分の手の内をすべてさらしているのか?」

「えっ? ……そ、それはもちろん、お嬢に対しては何も隠したりしてないに決まってるでしょ」

「きみはそこまで戸隠とがくしさんを信頼しているということか」

「当たり前!」

「なら判らないか? おれが手の内をすべてさらさないのは、そこまでの信頼関係がないからだ」

「は? いまさら?」

「いまさらというか、今だからだな」

「何を――」

「はづっちは黙ってて」

 身を乗り出してきた葉月の頬に無遠慮に手を当てて押しやり、純がいった。

「……今だからって、どういう意味か教えてもらえるかなー?」

「高梨さんの件があって、おれたち“帰還兵リターナー”でもエローダーに身体を乗っ取られる可能性があるとはっきりしましたよね?」

「そうだねー」

「たとえば、もし戸隠さんや榎田さんがエローダーになってしまったら、おれの情報はすべて敵側に筒抜けになるわけですよね? というか、おれには、今この時点で榎田さんがすでにエローダーに取って代わられていないという確証さえ持てない」

「そ、そんなこといい出したキリがない――」

「だからはづっちは黙っててねー」

 ふたたび葉月を押しやり、純は大きくうなずいた。

「ザッキーの懸念も判るよー。すでに明かしてしまった情報はともかくとしてー、これ以上手の内をさらしてリスクを高めたくはないってことだよねー、つまり?」

「そういうことです」

「でもさー、現実問題、情報共有をせずに連携を取ることは無理だしー、とりあえず“機構”にいる人間は味方だって前提でないと、組織として戦ってくことは無理だと思うんだよねー」

「そ、そもそもあんた、今だって立花さんに美咲みさきちゃんを護衛してもらってるんでしょ? それは立花さんを信頼してるからできることだよね?」

「――――」

 そこまで信頼してはいない、ともいいづらく、重信は口をつぐんだ。だが、このまま葉月にいい負かされたような形で引き下がるのは面白くないし、何より、葉月自身のためにもならない。

 少し言葉を選んで、重信はいった。

「……まるで自分たちには信頼関係があるとでもいいたげだが」

「何よ?」

「戸隠さん個人はともかくとして、組織としての“戸隠機構”は、おれたちのことをそこまで信頼していない。少なくとも一〇〇パーセントの信頼は置いていない」

「は? 何いってんの?」

 棘のある声で聞き返す葉月ではなく、重信は純の顔を見つめた。組織内でのポジションを考えれば、葉月よりも純のほうが中心に近いところにいる。それは葉月に向けての言葉であると同時に、純に対する確認の言葉でもあった。

滝川たきがわさんにもいわれたはずだ。芋蔓式におれたちリターナーの情報が漏洩しないように、おれたちはごくかぎられた一部のリターナーの存在しか知らされずにいる」

「そ、それが何なの?」

「それは別に、敵に掴まって拷問にかけられるだの、身近な人間を人質に取られるだの、そんなありふれたルートでの情報漏洩に備えてたんじゃない。本当は最初から、おれたちもエローダーに乗っ取られる可能性があると考えていたからなんじゃないんですか?」

「……そのルールを決めたのはわたしじゃないしー」

 純はそういってはぐらかしたが、重信の推測を否定するつもりもないようだった。

「はからずも今回、高梨さんの件でその懸念が現実のものとなった。こっちのリーダーが戸隠さんだということは、もうエローダーたちにバレていると考えたほうがいい。……ただ、だとしても、エローダーたちにもれる可能性のある情報を制限するというルールは、おれは間違っていないと思う。おれたちはたがいに信頼しすぎるべきじゃない」

「だって……そんなこといったって、わたしたちは――」

「そこはきみ自身の心情とは区別をつけたほうがいい。現に戸隠さんはそうしている」

「……え?」

「立花さんの存在はまだしも、同じ学校に石動いするぎ先生という強力なリターナーがいたことを、彼女はきみにずっと伏せていただろう? きみはそのことをどう思っている?」

「そ、それは――」

「たぶん戸隠さんがもっとも信頼しているリターナーはきみだろう。だが、そんなきみに対しても、彼女は隠しごとをしていた。そのことの意味を考えたほうがいい」

「…………」

 葉月はぎゅっと眉根を寄せ、唇を噛み締めて重信を睨み続けている。しかし、重信が口にしたのが単なる事実の羅列でしかなかったためか、返す言葉もなく押し黙ってしまった。

「おれは立花さんにある程度の信頼を寄せているが、だからといって完全に信用しているわけじゃない。彼女がエローダーに乗っ取られる可能性はつねについて回るし、たとえそれを無視するにしても、彼女が倒される、あるいはミスをするという可能性だってゼロじゃない。――ただ、それをいうならおれ自身も同じことだ。おれなら田宮くんを完璧に守り通せるとうそぶくつもりはない」

 だから、そこはもう割り切るしかない。

「個人個人の心情としては信頼関係があったとしても、万が一のことを考えれば、あえてすべての情報をオープンにするのは危険だし、するべきじゃない。そこは割り切ってビジネスライクに徹したほうが気が楽だ。組織はそう考えているんだろう。だから組織にもおれのスタンスを認めてもらいたいと思っている」

「んー、なるほどね。ザッキーのいいたいことは判った。それでいいんじゃないかなー」

「え? ちょっと純さん――」

「いいのいいの」

 不服そうな葉月を制し、純は続けた。

「――たださー、それでもやっぱり信頼関係って大事でしょー? だからこれだけは確認させてほしいっていうかー、イエスかノーで正直に答えてくれればいいからさー。……本当に、ほかにこれといった切り札はないんだよねー? 持ってるか持ってないかだけ教えてくれるー? 結局こっちはザッキーの言葉を信じるしかないわけだしさー」

「持ってないですね」

「またまた即答だねー」

 したり顔でうなずいてタブレットを操作する純と、まだどこか不満そうな葉月と、そしてハンバーグを片づけてコーラを飲み干しにかかった重信と、三人がそれぞれに言葉をなくしているところに、スマホを片手に滝川すみれが戻ってきた。

「待たせちゃってごめんなさい。思ったより長引いて……え? どうしたの? 何かあった?」

 その場にただよう不穏な空気を敏感に察知したのか、すみれは怪訝そうな表情を浮かべた。

「別に。――それよりもう遅いし、早く帰ろう。わたし、きょうはお嬢のとこで寝る」

「あ、そう? じゃ、先にザキくんちに回ってって――」

「いや、いいですよ、送ってもらわなくても」

 口もとをナプキンでぬぐい、重信は首を振った。

「ここからならウチまで五キロもないですし、食後の散歩がてら、走って帰ります」

「五キロって、それは直線距離の話でしょ?」

「ええ」

 重信なら、進行方向に何があってもたいていの場合はまっすぐに突っ切っていくことができる。民家の屋根の上を走り、川を飛び越え、それこそクルマでの最短ルートを行くよりも早く帰宅できるだろう。家に帰って寝るだけなら疲労のことを考慮する必要もない。

 純は白衣の胸ポケットに芯の入っていないシャーペンを差し、タブレットを持って立ち上がった。

「ま、本人がそういってるんだからいいんじゃないですかー? ただ、うっかり人目について騒ぎになったりだけはやめてねー?」

「判ってます。――ごちそうさまでした」

 すみれに軽く頭を下げ、重信は先に店を出た。

 九月もなかばに差しかかった夜の空気はまだ肌にまとわりつくようにぬるく湿っていて、冬場の夜気の凛とした冷たさが好きな重信には、あまり心地よくは感じられない。

「……日本の九月はこういう暑さだったな、そういえば」

 重信はいまさらのようにこの世界の日本の残暑を思い出し、まだ日中の熱をかかえたままのアスファルトの上を走り出した。

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