転職先は闇

円寺える

転職

 転職しよう。

 そう思って三年が経過した。

 高校を卒業してからは、保険会社の営業として働いているのだが給料が上がらない。毎年いくらか基本給が上がるものだと思っていたのだが、入社時と全く同じ金額である。生活費諸々支払うと、毎月手元に残るのは一万円。一万円も残ればいい方で、悪ければ五千円の時もある。そんな生活、やっていられない。転職しようと思うものの、夜遅く家に帰ると転職する気は失せるし、休みの日は足りない睡眠を補給するので精一杯。しようしよう、と思っていただけで行動に移したことはなかった。


 そんなある日、必要な書類を鞄に入れて外へ出ようとしていた矢先に警察がやってきた。

 その場にいた少ない社員は呆然とし、警察に詰め寄られる社長を微動だにせず眺めていた。


「...え?」


 ぽかんと口を開けていると、いつの間にか夜になっていた。

 なんだか夢を見ていた気分だ。

 事情聴取をされたことは覚えている。特に、警察官が「こんな給料でよく今まで頑張って来たね」と言った時の哀れみの表情は脳裏にこびりついている。

 どうやら私は、とんでもなくブラックな企業で働いていたようだった。


 帰宅後、無心で白米を食べていると徐々に思い出してきた。


 社長と専務が詐欺をした。

 老婆相手に「この保険に入らないと癌が進行して死ぬよ」「この保険に入らないとご家族に危険が及ぶよ」などと言って騙し、加入させた。

 更には、保険金を横領して私腹を肥やした。

 その金額はどうにもできないものらしく、加入者に返すことなんてできない。

 これがどういうことを意味するか。


「…私、失業したんだ」


 社長と専務は逮捕される。

 当然会社は経営できず、破綻するしかない。

 あの社員たちの中で「この会社は絶対に守り抜く!もう一度立ち上がるぞ!」なんて熱意を持っている人間はいない。皆、目の下に隈をつくりながら毎日ゾンビのように働いていたのだ。もう働かなくていいんだ、と安堵している者と私のように呆然としている者のどちらかだろう。


 明日から、私は出勤しなくてもいい。

 六時に起きなくていいし、帰って寝るだけの生活はもう終わりだ。

 もう頑張らなくていい。目覚ましをかけなくてもいいし、好きなことができる。

 嬉しさがこみ上げてくるが、同時に現実の壁が上から降ってくる。

 金がない。

 家賃は払えなくなるし、光熱費もそうだ。食べるものも、金がなければ手に入らない。

 ボーナスという存在がなかったので貯金は雀の涙程しかない。

 これでは駄目だ。働いて稼がなくては生きていけない。

 私はいつもより遅く目覚ましをセットし、死ぬように眠った。



「あー、求人はないですね」

「な、ない?」


 翌朝、職業安定所へ駆けこんだ。

 どんな求人があるか分からなかったが、この世には色んな職で溢れている。選ばなければ仕事はすぐに見つかると思っていたのに、担当者は失笑気味に私の情報が記載されている紙を見て言った。


「資格何も持ってないじゃないですか」


 私が通っていた高校は普通科しかなく、在学中に資格を取るような機会はなかった。

 社会人になってからは毎日が忙しく、取得する余裕も、取得しようという考えさえなかった。


「で、でも、前職は営業をやっていました。営業ならできます」

「何で退職したんですか?」

「社長と専務が横領や詐欺をしたので、会社が潰れたんです」

「そんなところに勤めていて、気づかなかったんですか?」

「き、気づきませんでした…」

「観察力がないんですねぇ。まあ、資格がないと話にならないんで、せめて何か取得してください」

「資格はなくても、前職では営業を…」

「転職ですよ。二回目の就職。何か資格を持ってないと、アピールポイントにならないんで、取得してから出直してください」


 面倒だ、と担当者の顔が訴えている。

 そんなものなのだろうか。

 確かに資格があると強みになるとか、資格があると便利だとか、そんな話は聞いたことがある。けれど、資格がすべてではないはずだ。

 いや、私が知らないだけで、世間はそうなのかもしれない。私が間違っている可能性だってある。

 気付かないうちに資格社会になったのだろうか。

 もういいか、とでも言わんばかりの表情で見つめられ、耐えきれず職業安定所を出た。

 すると「すみません」とスーツ姿の女性が笑顔で近づいてきた。


「わたくし、こういう者ですが保険会社に興味はありませんか?」


 差し出された名刺には聞いたことのある保険会社の名前。

 

「素敵な女性だな、と思って声をかけさせてもらいました。よかったら話を聞きに、会社まで来ませんか?その場で履歴書を書いてもらって面接もできますよ!是非どうですか?」


 また保険会社に勤めようか。

 そう思い、女性を見ると綺麗な笑顔だった。

 あぁ、この笑顔は何度も見たことがある。

 人を食い物にしてやろう、という顔だ。

 身に覚えのある顔、知っている顔。

 また保険会社で働いたとしても、今までと同じような生活になるだろう。

 どうせなら、もっといいところで働きたい。

 警察官の哀れみの視線を思い出す。

 あの給料は、世間から見ても低いのだ。あれよりは多く貰いたい。

 目の前に立ちはだかる女性に「結構です」とか細い声で返し、走って逃げた。


 家に帰り、職業安定所のサイトを開く。

 直接行かなくてもネットでも求人の掲載を見ることができるようだ。先程の担当者を思い出してしまい乗り気はしなかったが条件を絞って覗いてみた。


「えっ、あるじゃん」


 学歴不問、経験不問、資格なしOK。

 そんな言葉を見かけては安堵する。

 なんだ、大丈夫じゃん。


 鞄を持って、もう一度職業安定所に足を運んだ。

 明日でもよかったが、一刻も早く職を探さねば貯金の底がつく。


「またですか」


 違う担当者だったらいいな、と期待したのだがその期待は裏切られた。

 面倒そうに顔は歪められ、溜息まで吐かれた。

 あまりの態度にむっとしてしまうが、変な求人を押し付けられても困るのでぐっと堪える。


「あの、求人には資格なしでもいいと書いてある会社がありますけど」

「表向きはそう書くしかありませんよ」

「はい?」

「こんな資格がある人を募集、って書いたら誰も応募しないじゃないですか。ただの営業や事務を募集しているだけなのに、そんなことを記載すると変な人からクレームが入ったりするんですよ。だから書いていないだけです」


 そんな内情を聞いてしまえば、もうどうすることもできない。

 本当はこんな資格を持っている人が欲しいけれど、「資格なしOK」と嘘を記載する。

 そんな会社は、給料面でも嘘を吐いているのではないか。信用できるのか。

 何を信じていいのか、何が嘘なのか、さっぱり分からなくなった。


「だから資格は必要なんですよ。スキルアップは社会人の常識ですよ」

「そ、うですね…」

「五年以上働いて何の資格も持っていないということは、向上心がないと同義です。スキルアップをしようとしない人は、どこへ行っても受け入れてくれませんよ」


 でも、それは理由があって、夜遅くまで働いていると何をする気も起きないからで、休日は足りない睡眠を欲している体が眠ってしまうから何かをする時間なんてなくて。

 頭の中で言い訳ばかりがぐるぐる回る。


「職業訓練がしたいのなら、募集の紙はあっちにあるんで勝手に取ってください。ただし、受講するにあたって金銭援助はないので自腹でお願いします。早いものなら三か月くらいで講座が終わりますよ」


 三か月。そんなに待てるだろうか。

 頭の中で貯金と出費の計算をするが、できれば今すぐ就職をしたい。


「求人を探す前にスキルを持ってください。話はそれからです」


 会話が終了した。担当者はもう話す気がないようで、背もたれに背を預けたまま口を閉じている。

 私はふらふらと立ち上がり、職業訓練と大きく書かれたコーナーで全種類の紙を引き抜き、鞄に詰めて立ち去った。


 帰り道、通りがかった公園のベンチに腰掛け、職業訓練についての紙に目を通す。

 資格取得や技術の会得を目的としており、どれも三か月か六か月のコースしかない。簿記からアプリ開発まで、色んな種類の訓練があるらしいが拘束時間が長い。

 例えば三か月を犠牲にして資格を取ったとして、すぐに就職できないこともあるだろう。

 就職できない場合もあるだろうから、三か月後確実に就職できる保証はない。

 すぐに働いて稼ぎたい。けれど、資格はない。

 資格がないまま職業安定所に行っても、担当者が同じだと追い払われる。

 どうしたものか。


 やはり職業安定所の前で出待ちをしていたあの保険会社に就職するしかないか。

 前職と似た匂いがするけれど、金のためには仕方ない。

 資格がないと門前払いされてしまう職業安定所に通うよりは、あの保険会社の女性に声をかけてすぐ面接をしてもらう方がいい気がしてきた。


「あー、もう!」


 帰る実家があればこんなことにはならないのだろうが、両親が離婚し、それぞれ家庭を持っているので頼る実家なんてない。

 新しい配偶者ができ、子どもができ、そうしていくうちに私は邪魔者になってしまった。

 父も母も口にこそ出さないが、来ないでほしいという雰囲気を漂わせるので高校を卒業すると同時に会わなくなった。


 帰る実家はない、職もない。

 あぁ、涙が出てきた。

 世の中には私よりも不幸な人がいる。私は恵まれている方かもしれない。それでも自分の不運さを嘆いてしまう。


 涙が頬をつたう前に拭うと、持っていた紙が風で飛ばされた。


「あっ」


 平日昼間の公園は静かだが、人がいないわけではない。

 子どもはいないが、大人の姿がある。

 四十代くらいの男性が地面に落ちた紙を拾ってくれたので、礼を言って受け取ろうとするが「仕事探してるの?」と声をかけられた。

 男性は帽子を深く被っていて、どんな顔をしているかは分からない。

 身なりが小奇麗なので、私のように失業して公園にいるのではないだろう。


「はい。昨日会社が潰れちゃったので…」

「気の毒だね」


 まあ座って話そう、と促され再びベンチに腰掛ける。

 男性から爽やかな香りが鼻を掠めた。柔軟剤ではなく香水の香りだ。


「どんな仕事を探してるの?」


 どうしてそんなことを聞くのか疑問に思ったが、隠すことでもない上に、見知らぬ人に話したところで何のデメリットもない。


「前は保険会社の営業をしていたので、営業職にしようかと思ってます。でも職業安定所から、まずは資格を持てと言われたので職探しをしたらいいのか、資格を取ればいいのか分からず途方に暮れているところです」

「あぁ、だからこれ」


 紙を手渡されたので頷きながら鞄におさめた。


「どうしても営業がいい、ってことでもないんだ」

「そうですね。本音を言うと、お金を貰えればなんでもいいです」

「営業だったなら、前は結構いい給料だったんじゃない?」

「そんなことないです」


 私は包み隠さず前の職場の話をした。

 給料がいくらか、どんな待遇だったか。

 話終えると男性は驚いたようで「そんな会社があるんだね」と感心したように呟いた。


「家賃補助はない、残業代もボーナスもない。ブラック企業の代表だね」

「働き始めた時はおかしいなと思ったんですけど、時間が経つと当たり前になったのですが、やはりおかしいですよね」

「そうだね。気づいた時点で辞めるべきだったね」


 入社して一か月経たない間に妙だと思ったが、すぐに辞めるのは非常識だと思いずるずると働いてしまった。

 今思えば時間の無駄だった。


「今は実家暮らしなの?」

「いえ、実家は頼れないので…」

「どうして?」

「両親が離婚して、それぞれに家庭があるので…私はどこにも帰れないんです」

「結婚してる?」

「してません。というか、彼氏すらいません」


 なんだか面接を受けているみたいだ。


「君、忍耐力はありそうだよね。どう?」

「まあ、そうですね…会社が潰れなければまだあの会社で働いていたと思うので、それなりにはあるかと思います」

「ふうん」


 隣から無遠慮に視線が刺さる。

 品定めされているようだ。


「じゃあ、僕のところで働く?」

「えっ、社長さんなんですか!?」

「社長というか、経営者だね」

「は、働きます!」


 即答だった。

 どんな会社なのか知らないけれど、清潔感のあるこの男性から悪い感じはしなかった。

 職業安定所の前にいた保険会社の女性よりも断然この男性の方が好印象だ。


「ただし、僕のところで働くのなら転職はさせないよ」

「…え?」

「秘匿性の高い職場でね、個人情報や仕事内容を外部に洩らされると困るんだ」


 あぁ、そういうことか。

 転職してしまうと、もう職員ではないからとぺらぺら口外されることを避けたいのか。


「えっと、仕事内容や待遇にもよります…」


 思い出すのは前の職場。

 あれよりは良い待遇を望んでいる。

 そんな私の思惑を察したのか、男は「待遇は大丈夫」とすぐに返してくれた。


「給料は前の職場の三倍出すよ。仕事内容はまだ言えないんだよね。なんて言えばいいかな、医療系というか解剖系かな」

「か、解剖ですか」

「君は助手をしてくれたらいいよ。あ、助手じゃないな、雑用かな」

「雑用…」

「掃除、洗濯、あとは来客の対応とか。他にも色々あるけど、そういう雑用」

「やります!!」


 解剖と言われて驚いたが、雑用ならできる。

 雑用をするだけで前職の給料三倍ならば好条件だ。

 断る理由なんてないし、こんな美味しい話は職業安定所にだってないかもしれない。

 突然降ってきたこの話をなんとしてでも掴みたい。


「じゃあ決まりだね。今から職場へ行こうか」

「はい!」


 男性が立ち上がると、帽子で隠れていた顔がはっきりと見えた。

 おじさんと呼ぶには若々しく、若者というには貫禄がある。

 髭は綺麗に剃られていて、肌艶がいい。

 小奇麗というよりは、美。

 美容クリニックで働いていそうだった。


 職場はここから遠いようで、バスに揺られ、歩き、またバスに揺られる。

 郊外にぽつんと佇んでいる建物の前で「ここ」と言われ、ごくりと喉を鳴らす。

 看板は色褪せており、文字が読めない。恐らく、内科と書かれてあったものと思われる。その前の言葉は分からない。〇〇内科、という看板だったのだろう。

 病院だったその建物の中へ入ると、消毒液の匂いがする。

 黒ずんでいるため、清潔さからはかけ離れているが、受付や待合室があるので病院だったことは確実だ。


 奥へ進んで行くと、途中から真新しい壁になった。

 増築したようなので、この男性が仕事に必要でそうしたのだろうか。

 扉を開けると、中にはナース服を着た女性が一人立っていた。その隣には手術台のようなものがあり、人が仰向けになっていた。


「おかえりなさいませ」

「ただいま」


 看護師と目が合うものの、彼女は何も言わない。

 挨拶でもした方がいいかと思い、一応「こんにちは」と声を出すが、無視された。


「今日からうちの雑用。名前は…」

「杉本寧々です」

「寧々ちゃんね。僕は赤坂徹、彼女は新島久美。これからよろしくね」

「はい!」


 赤坂さんは満足そうに笑い、私の頭に手を置くとどこかへ行ってしまった。

 目の前には看護師の新島さん。

 しかし赤坂さんがどこかへ行ってしまったタイミングで私から視線を逸らした。

 かちゃかちゃと、準備する音だけが響く。

 今から手術でもするのだろうか。医療系、解剖系、と言っていた赤坂さんの言葉を思い出す。解剖とは手術のことか。

 新島さんが準備しているのはドラマでよくある、メスというものだろう。

 ならば、執刀するのは赤坂さんか。


 その予想は的中し、赤坂さんは青い手術着で戻ってきた。


「寧々ちゃん、どうする?」

「どう...?」

「見る?」

「えっ」


 手術の様子は見たくない。

 大量の血を見るなんて卒倒しそうだし、それに臓器はもっと見たくない。


「え、遠慮します」

「そ。じゃあ掃除でもしてて。これ終わったら色々教えるから」

「は、はい」


 今日から仕事をするのか。有難い。

 扉が閉まると、清潔感のない室内をどうにかしようと、色々物色し、掃除道具が置いてある部屋を発見した。

 箒でざっと掃いたあと、掃除機のスイッチを入れ、塵を吸引する。

 モップはあるが、使い古されていて買い替えが必要だ。

 仕方ない。雑巾で拭くか。

 その雑巾も古くなっており、買い替えた方がいいのだが他に使えるものがないので雑巾片手に床を拭く。


 拭けば拭く程綺麗になり、それがクセになる。

 家の掃除でもこんな丁寧にしない。

 無我夢中で掃除をしていると、扉が開いて手術着を脱いだ赤坂さんがやってきた。


「うわぁ、ちょっと綺麗になってる」


 そうなのだ。

 ちょっとしか綺麗になっていない。

 やはり掃除道具は新調した方がいい。


「えっと、手術お疲れ様です」

「手術?あぁ、まあ、手術ではないけど」


 違うのか。

 手術でなかったら、何だろう。

 首を傾げていると新島さんと一緒に、手術台にいた男性が現れた。


「あぁ、起きたんだ。どう?」

「ちょっと、痛いような気もします」

「はは、じゃあこれ」

「ありがとうございます」


 赤坂さんは茶封筒を渡すと、受け取った男性は中身を取り出した。

 大量の札束にぎょっとし、私は思わず凝視する。


「よかった。これで借金が返せる」

「また抜きたいものあれば連絡してね」

「はい。お世話になりました」


 男性は一礼すると、振り向くことなく去って行った。

 大量の万札。抜きたいもの。

 よくない想像をしてしまう。

 赤坂さんを盗み見ると、こちらの視線に気づき「何?」とにこやかに言った。


「あの、さっきのは、手術じゃないんですか?」

「体にメスを入れることを手術と呼ぶなら、そうだね」

「怪我を治したんですか?」


 そう訊ねると、赤坂さんは口角を上げてにひるに笑った。


「僕は治す医者じゃないよ。抜く医者だよ」

「抜く?」

「そう。臓器を抜く」

「ぞ、臓器を…」

「さっきの人は、腎臓を抜いたの」

「い、いいんですかそんなことして…ていうか、死なないんですか…」

「腎臓は二つあるからね。一つ抜いても生きてるもんだよ」


 物騒な発言に頭が痛くなる。

 腎臓を抜いた。

 それは、合法だろうか。


 あの男性は怒ってなかった。むしろ礼を言っていた。借金を返せる、と大金を見て喜んでいた。つまり、金と引き換えに腎臓を抜いてほしいと男性側が望んだのだ。

 赤坂さんが無理やり腎臓を奪ったのではない。

 だとすると、これは合法か。


「あの人は金を貰えて嬉しい、僕は腎臓が貰えて嬉しい。いい関係でしょ」

「腎臓を貰ってどうするんですか?」

「売る」

「う、売る?」

「腎臓が欲しい、っていうところに売る」


 怖い、怖い。

 先程から表情を崩さず淡々と話す赤坂さん。

 もしかして私が異常なのだろうか。これは普通なのだろうか。

 あの男性も、腎臓を抜き取られたというのに金を見て嬉しそうにして帰って行ったし、これはこの業界で普通のことなのか。


「助手は看護師の久美ちゃんがいるし、雑用の寧々ちゃんが来てくれて仕事が捗りそうだよ」

「そ、そうですか」

「寧々ちゃん元営業なら、できれば顧客獲得にも奔走してほしいな。営業兼雑用ってことで、どう?」

「頑張ります」

「偉い偉い」


 危ない仕事ではなさそうだ。

 営業と雑用ならできる。

 頑張って働こう。

 前よりも給料がいいのだから、前職以上に頑張ろう。


「赤坂さんは、お医者さんでいいんですよね?」

「うん、そうだよ。医師免許も持ってる」

「さっきの行為は、何ていうものですか?医療行為とは違うんですよね。臓器を抜いてお金を渡す行為に名前はあるんですか?」


 素人質問で申し訳ないが、そういうことは無知である。


「行為?うーん、普通に売買じゃない?ほら、臓器売買って言うでしょ」

「確かに、聞いたことあります」

「それに僕、医師免許は持ってるけど、バレたら捕まっちゃうから仕事のことは誰にも言わないでね」

「...え?これって、合法じゃないんですか?」

「合法な国もあるよ」

「…ここでは違法なんですか」

「言ったでしょ、秘匿性が高いって」


 人差し指を口元に当てる赤坂さんは茶目っ気があるけれど、笑えない。

 つまり私は、違法な職に関わってしまったのだ。

 顔が青ざめていく。


「転職なんかしないでね。給料はちゃんと払うし、条件は悪くないでしょ?」


 そう言われると、頷くしかない。

 金さえあれば生きていける。


 しかし犯罪に片足を突っ込むのは抵抗がある。

 そんな私の心情が伝わったのか、すっと目を細めたので、びくりと肩が反応してしまう。


「逃げたらどうなるか、分かるよね?」


 逃げたら最悪の場合、殺されてしまう。

 私は必死にこくこくと首を縦に振った。


「じゃあ今日はこれで終わりだから、明日また出勤お願いね」

「はい!」


 我ながら元気よく返事をした。

 不遜な態度や口答えをしても殺されるのではないか。そんな不安が頭を過り、良い子でいようと決心した。


 建物を出ると、色褪せた看板が目に入った。

 しっかり観察すると、「内科」だけは読める。

 強ち間違いではない。

 体内にある臓器を引き抜いて、金を渡す。引き抜いた臓器は売り飛ばす。

 恐らく、安く買い取り高値で売るのだ。この金銭的なやり取りさえなければ、内科なのかもしれない。


 誰かに何かを聞かれたら、内科で働いていますと言おう。


 家族と話すことはないし、友人とは就職してから疎遠になったので、言う機会はないが万が一の可能性がある。


 私は、内科で働いている。


 そう思い込んで帰宅した。

 今日から私は、内科の営業兼雑用係だ。

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