第3話 正義の代行
「!?」
必死の叫び声が改札の奥から聞こえ、それと共に焦った表情で額から汗を垂れ流した男がものすごい勢いで改札を飛び越えて走ってきた。その手にはおそらく掏りで盗ったであろう財布が握られており、その後ろにはその財布の持ち主と思われる小柄な着物の女性がパタパタと草履で音を立てながら箸いて追いかけている。
咄嗟に奉行官の方に目をやったが、その姿にやる気は微塵も感じられず、お得意の『何とかしようとするフリ』にだけ必死になっている。
周囲の人々はというと、まるで暴走トラックの様に走ってくる男を避けるばかりで止めに入ろうとする者は誰もいない。駅員や一部の真面目な奉行官数名も追跡を行っているが、人をかき分けて進むのに精一杯で、おそらく抜け出せた頃には逃げ切られてしまっているだろう。
「はぁっ! はぁっ!」
通路を塞ぐ人を突き飛ばし間をすり抜けながら走り、もう少しで外に出られる地点まで出ることができた。後は外の人混みに飛び込み溶け込んでしまえば逃げ切ったも同然だ。
足に力を入れ直し、走り抜けようとした瞬間
ドガァッ
「ごっは……ッ!」
ドサッ
突然走っていた方向とは真逆の方向に、かつ美しい弧を描いて高く飛び、そのまま重力に連れられ背中から地面に落下した。目は白目をむき、ピクリとも動かない。
周囲の視線が伸びている男に向き、やっと人混みを抜け出せた奉行官が男の飛んできた方向を見て「あ!」と言うと、周囲の視線もそちらに移った。
視線の先には足を大きく開いて立つ瑞鳳の姿があった。
地面につけた左足の膝を曲げ、反対の足をゆっくり地面に下ろし、羽織とポシェットを直した。そして険しい表情でツカツカと掏り男の前まで行き、両腰に手を当てて睨むように見下ろした。
「己の私利私欲のために人様から盗みを行うなど言語道断です!! 恥を知りなさい!!」
一度、何が起きたのかを説明すると、様子を伺っていた瑞鳳だが、現状を奉行官に任せていては防ぐことができる事態も防ぐことができないと悟り、行動に移したのだ。
相手が民間人でかつ無武装の場合は大志館法度により武器を使用することができない。加え、とても話し合える状況でもなかったため、やむなく正面回し蹴りによる体術で事を収めた。
しかし、ただでさえ硬い革靴の踵で顎を蹴られたとあってはたまったものではない。威力は抑えたつもりであっても、下手をすれば首が折れてそのままお陀仏だ。
軽く息を吐いて冷静になると、自分が今この場にいる人々全員の注目の的になっていることに気付いた。
「/////!!」
(あ、あわわ……つい、やってしまいました……まだ目立つようなことは避けるようにと言われているのに……!!)
赤面させながら羽織の袖を掴み、この場をどう切り抜けようか頭をフル回転させていると、何かが足元に見えた。
視線を向けると、盗品と思しき黒茶色の革でできた財布だった。それを拾い上げ、視線を正面に戻すと、野次馬の中に先程掏りにあった着物の女性を見つけた。
小走りで駆け寄り、「どうぞ」と渡して次の言葉を出そうとしたところで、視界の隅にそそくさと立ち去ろうとする奉行官を見つけた。
「あ、あの! 奉行官の方! どちらに行かれるんです!?」
「ぐっ……」
瑞鳳の言葉につられ、野次馬達の視線が奉行官の方に向いた。テキトーになあなあにしようとしていたのだろうが、大勢の人の目がある中では対応せざるを得ない。
奉行官の一人が後ろ目で瑞鳳を睨み、ばつが悪そうな表情を浮かべあからさまに面倒くさそうに振り向き、ちょうど目についた真面目な奉行官に命令して伸びている男を立たせて連行させた。
その光景を見つめていると、指示を出していた一人の奉行官と目が合った。
「あ~犯人確保のご協力感謝する。けど、あんまり出しゃばって我々の仕事を取られたら困りますな~? お嬢さん」
まともに仕事をしない割には人を小バカにするような言い方をしてきたが、よく見ると左上腕に白結がついていた。ということは一般的な奉行官よりも高官な役人級ということだ。
瑞鳳自身、内気な性格のため挑発や煽りのような発言は得意ではない。しかし、怠惰で仕事もしないのにも関わらず態度だけ大きいこの奉行官に苛立ちを覚えたのも事実である。
そのため、少々皮肉を込めて言い返すことにした。
「それは非常に本当に大変失礼しました。お役人様程のお方がおられたのでしたら私が出ずとも十二分に対処できるはずですからね」
「・・・・・・」
不機嫌さを隠そうともせずに表面に出してくる奉行官を見て少し面白くなったのか、さらに続けることにした。
「それに、私達(大志館)が出てしまったら奉行官のお仕事がほとんどなくなってしまいますし、そうなるとお給料も貰えなくなってしまいますからね。以後控えるようにさせていただきます。ではお仕事頑張ってください」
少々言い過ぎるくらいの皮肉を言うと、奉行官も何かを言い返そうとしていたが、周囲からの痛い視線に気付き、「チッ」と吐き捨てて行ってしまった。
その場の一連を見ていた野次馬達もショーが終わってはそこにいる理由もないため、1人また1人とバラバラと散り始め、つい十分前と変わらない光景に戻った。
「ふぅ……では」
「あ、あの!」
瑞鳳もその場から移動しようとすると、後ろから呼び止められた。振り返って見ると、さっき掏りの被害にあっていた着物の女性だった。
「あ、どうも……その、お怪我はありませんでしたか? お財布の中身とかも……」
さっきは勢いでハキハキと話すことができたが、落ち着きを取り戻してしまった途端また元の内気に戻ってしまった。そのため、普遍的な質問でもやや挙動不審になってしまっている。
「お陰様で、怪我もありませんし特に盗られている物もありませんでした! 本当にありがとうございます!!」
「そうですか、それはよ……くはなかったですよね……被害にあってしまっていますし……」
「優しいね、あなた。でも実害は全く無いんだから全く気になんかしてませんよ!」
申し訳なさそうに肩を落とす瑞鳳に対し、その女性は全く気にする様子もなくニコニコとしている。
「それよりも! さっきの一部始終見てましたよ! 大の男をたった一蹴りでやっつけちゃうなんて! すっごいですよ!!」
「あぁ、はは……ありがとう、ございます……」
続けてさらに、興奮気味に目をキラキラさせてべた褒めという名の追撃を浴びせた。
「突っ込んでくる男に対して咄嗟にあんな綺麗な蹴りを繰り出せるなんて、普通じゃ絶対できませんよ!! それにあの体たらくな奉行官に言ったあの一言も……」
慣れていない褒めの連続攻撃に、さらにオドオド+赤面し体もすっかり熱くなってしまった。
しかし、その女性の表情はいたって真剣・真面目なもので、一見大げさにも聞こえるが彼女の本心であることはよくわかる。
(か、顔が近いです……)
体を少し反らして距離を保っていると、女性もグイグイ行ってしまっていることに気付き、ハッとしてすぐに体ごと引いた。
「あ、ああごめんなさい……私の悪い癖なんですよ~……凄いもの見た後とかって、こう、グイグイっと行っちゃうんですよね」
少し申し訳なさそうに「はははっ」と笑った。
「いえいえ、全然全く大丈夫ですよ」
「そうですか? 絶対迷惑だったと思……」
何かを思い出したのか、突然止まったと思った瞬間いきなり大声で「あっ!!」と言った。咄嗟に耳を覆ってしまうほどの声量だったため、周りにいた人々も何事かとこちらを見ている。
「ど、どうしたんですか!?」
「今何時!?」
「今、ですか? えっと……午後の、二時過ぎですが……」
キョロキョロと辺りを見渡して壁に時計を見つけると、針のさしている時刻を教えた。すると女性はさらに慌てだし、暫く体を右往左往させると鞄をゴソゴソとあさり始めた。そしてその中から一枚の紙を取り出し、瑞鳳に差し出した。
「これ私の名刺! 今度お礼しますから! 時間あったら電話してください! そいじゃ私はこれで!」
半ば押し付けるように手渡すと、綺麗に着付けていた着物の足元を崩した。そして回れ右をすると、そのまま全速力で走り去って行った。
「・・・・・・。さっきの男性よりも早いのでは……?」
走り去る後姿を呆気にとられながら見送り、暫くその方向を見つめた後、先程渡された名刺に目をやった。
(それにしても、何と言いましょう……忙しい人でしたね……)
「多々良青蘭さん、ですか。ふふ、良いお名前、しかし珍しい苗字ですね。く、れ? ふくやさん? ……見慣れない漢字は、わからないですね……多分ちょっと変わった服屋さんということです、よね?」
瑞鳳が『忙しい人』と例えた女性の名は「多々良青蘭」、どうやら隣街で『鈴蘭』という呉服店を経営しているようだ。華町ではなかなか見られないような上品な着物を着ていたのも納得である。
しかし、学に乏しい瑞鳳は読めない漢字の方が多いために、結局何の店なのか分からなかった。
裏面を見てみると、左下に電話番号、その他に小さな文字で年齢や誕生日、名刺に必要かわからないが血液型や星座、趣味なども書かれていた。
「え、私よりも……2つ……下……?」
視線を名刺よりも手前に移し、左掌を自分のまっ平らな胸に当て、わかりやすく大きなため息をついた。
女性にとってはやはりその部分はコンプレックスのようで、瑞鳳の中で怖い沈黙が訪れていた。瑞鳳の歳はまだ18歳、この世界では成人を迎えたばかりで全然若い。ということは、既に成長期を迎えているということである。
「・・・・・・」
(何でしょう……このモヤモヤとしたものは……)
通りのど真ん中で突っ立っていては行き来する人々の邪魔になってしまう。脇の方にそれると、貰った名刺を財布の中にしまい、ポシェットに入れた。
(お礼、ですか……奉行官方の言っていた通り、ただの出しゃばりだったと思いますが……)
先程の行動は瑞鳳の属する大志館にとっては業務の一環である。つまり、ただ仕事をこなしただけであるので、青蘭の言っていた『お礼』の意味を分かっていなかった。
(純粋に人助けをしたお礼と考えていいのでしょうか? ……そういえば、大志館に入隊する前はお礼なんてほとんど言われたことはありませんでした……)
入隊前の過去を思い出し少し悲しげな表情を浮かべたが、どこか心温まる感じを覚えた。軽く微笑むと、背筋を伸ばし、体の向きを変えると
バシッ(鞘が通行人にぶつかる音)
「痛っ! 何だ?」
「あ、すいません!」
「ちゃんと周り見ろよな!」
少し油断するとこうなる。
大昭戦記 桜茶 @YAMATO62
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。大昭戦記の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます