第3話

 結局、予鈴が鳴るまでストレス発散の道具にされた。本鈴が鳴るギリギリに滑り込むようにして入った私に、教師は溜息を吐いた。クラスメイトはクスクスと笑っていたが、千夏だけが驚いた表情をしていた。


 制服から体操服に着替えれば良かったかな……まあ、ボロボロな制服を身に纏って何も言われないし、いいか、別に――


 ふと机に視線を向けると、何やら落書きがしてあった。それは全て悪口なのだが、それを消すことすら億劫で、私はそのままにした。


 授業が始まり、私は取り敢えず黒板に書かれている内容をノートに模写する。


 書いたところで無意味になると分かっているが、書かないと教師に何を言われるのか分からない。ノートの無駄遣いだなぁ……と心の中でゴチる。


 九十分の長い授業が終わり、小さく溜息を吐く。千夏が心配そうに駆け寄ってきたけど、私は「大丈夫」とだけ言い、それ以上答えようとはしなかった。変に口を開いて千夏に何かあったら嫌だから。千夏にはずっと、笑顔でいて欲しいから。


 けれど、私なんかを心配してくれる千夏は、休み時間の間、私のそばにずっと居てくれた。有難いなぁと思いながらも、申し訳ないという気持ちが勝った。


 事態が動いたのは、その日の放課後だった。私は帰宅部だから特に何も無いが、千夏は部活があるため、準備を始めた。


「――気をつけて帰ってね」


「うん。千夏も部活頑張ってね」


 私たちは手を振って別れた。


「さて……寄り道せずに今日は帰ろうかな」


 そう思い教室を出た時、葛城に声を掛けられた。


「ねぇ、皇さん。少し……いい?」


 そこに取り巻きはいなかった。


「取り巻きと一緒じゃないんだ」


「ああ……なんか、邪魔だなと思って」


 予想外の言葉に、何て反応すればいいか分からない。


「少し、私と話す時間をくれない?」


「私と話……ね。まあ、いいよ」


 今までの葛城とは考えられない言動に驚いてしまう。暴力を振るわれることはあっても、話をすることはほぼなかったから。


 葛城に着いていくと、そこは屋上だった。


「屋上の鍵……職員室からくすねてきた。きっとバレない」


 ガチャガチャと鍵を回し、取り付けられていた鎖も外す。ぎぃぃぃと歪な音を立てて開かれたその扉の先に、葛城は入る。


「ほら、皇さんも来て」


 手招きされ、私は仕様なくその場所に足を踏み入れた。


「あはっ。これで共犯だね」


「そう……だね」


 先程から情緒不安定すぎないか……?


「さてさて。早速で悪いんだけど、ここに連れてきた理由、話していい?」


「私と話をするために連れてきたんでしょ。ダメって私が言うと思う?」


「そうだね。皇さんはそういう人だった」


 クスリと笑う葛城のことを、私はジト目で見る。何か……バカにされた気がする。そんな私の視線を無視して、葛城は言う。


「単刀直入に言うけど、もう皇さんに意地悪するのはやめるよ」


「えっ……」


 突然の告白に理解が追いつかない。

 私にいじわるするのを辞める……?

 それはつまり、もういじめをしないことを意味する。一体どうして……?


「次のターゲットを見つけたから」


 ああ、心を改めた訳ではなく、別の誰かが私がされたことをされるということか。


「――私にそれを報告する意味は?」


「え、だって突然いじめなくなったら、不安に思うでしょ?」


「思うわけないでしょ。何言ってるの」


「あれ、そうなの? おかしいなぁ」


 ぽりぽりと頭を搔く葛城に、私は苛立ちを覚える。


「本当の理由は?」


「――うん?」


「私にそれを報告した本当の理由。あるんでしょ?」


「本当の理由?」


 葛城は考える素振りを見せる。それは理由を考えているのではなく、その理由を話すリスクについて考えているのだと思う。


 そしてその口は開く。


「――気に入らないと思っちゃったんだ」


「何が……」


「皇紫苑は私の玩具なのに、それを邪魔するあいつのことが」


「それってどういう――」


「次の標的は高澤千夏。あいつに決めた」


「…………は?」


 意味が分からなかった。何を言われたのか理解したくなくて、聞こえなかったことにしようとした。


 けれど、葛城はもう一度その言葉を口にした。


「次のターゲットは高澤千夏だよ」


「いったいどうして……」


「うん?」


「千夏と友達だったんじゃないの……?」


「友達……それは少し違うかな」


 葛城は私の言葉を否定した。どういう事なのか訊ねようとした。


 けれど、その前に葛城がその意味を説明するために口を開いた。


「私の後ろにいつもいる五人がどう思ってるのかは知らないけど、私はただ、皇さんをいじめるために千夏のことを利用していただけ」


「利用……」


「私も最初は普通の友達として、振舞おうと思った。けれど、無理だって気付いたの」


「どうして……」


「だって彼女、皇さん以外と話す時、タニシを見るような目で見ているんだもの。そんな相手と、普通に接したくても出来ないよね」


「そんなことないと思うけど……」


「そんなことあるんだよ。まあ、そんなわけで、今日をもって皇さんを解放するよ。言いたかったのはそれだけ。丁度十分かな。それじゃあ、私はこれで――」


 踵を返そうとする葛城の腕を、私は無理やり掴む。


「へぇ? 皇さんから触ってくれるなんて、珍しくて驚いちゃうよ」


「話はまだ終わってない。言いたいことだけ言って逃げるな」


「逃げたつもりは無いけど……話って? 私はもういいんだけど」


「千夏が虐められる。それを私が容認すると思ってるの……?」


「別に容認しなくていいよ。だってこれはもう……確定事項だからね」

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