第28話

 そこまで言った時、充希は僕の口を塞いだ。

「死ぬのは、やめよう」

「…でも」

「大丈夫」

 またもや抱きしめられる。やっぱり柔らかい。良い匂いがする。

「死ぬのはよくない…」

「生きていても、良いことがわるわけがないだろう? 多分、僕は死んだ方が幸せなんだよ…」

「私は、幸せなんだ」

 その言葉に、脳裏にぴりっとした刺激があった。

「私はね、自殺をしたんだ」

「…え」

「いやまあ、実際は事故死なんだけどね。だけど、あれは自殺と言ってもいいくらいの事故だったんだ…」

「…どういうことだよ」

「私も、ホタルと同じだ。いい親に恵まれなかったんだ。母親がレイプされて産んだ子供でね…、生まれた時からいい扱いを受けなかった。よく殴られたし、こき使われた」

「…そうか」

 うらやましいものだ。僕のような境遇でありながら、こんなに優しく育ったのだから。

「死にたい毎日だったけど、中学になってすぐに、妹が生まれたんだ。今度はレイプじゃない、ちゃんとした純愛だった。これが凄く可愛くて…、毎日構ってやったよ。母親はいい顔をしていなかったけど…、妹の方は私に懐いたんだ」

 彼女は遠くを見て、「幸せだったねえ」と言った。

「本当に、幸せだった。人に構うこと、人に愛されることが、こんなに気持ちがいいとは思わなかった…。だけどね、五歳にならないうちに、妹は死んだんだ」

 声の調子が下がる。

「交通事故だったよ。私が学校に行っている間のことだったから、防ぎようはなかったんだけど…、後悔した。どうにかならなかったのか? って常に思うようになった…。母親や父親にも責められたよ。まあ、八つ当たりだろうね」

 充希は髪を掻き上げてため息をついた。

「おかげで、私…、ちょっと頭がおかしくなってね。ふらふら歩いていて…、気が付いたら、車に撥ねられて死んだ…」

「そうか…。妹と同じ死に方だったのか」

 それから、僕は言った。

「良かったじゃないか。妹と同じ天国に行けて」

「まあ、確かに、天国で再会はしたけど…、一緒にこの世に帰ることはできなかったよ」

充希は肩を竦めて聞いた。

「なあ、ホタル。どうして、あの時、あの道端に、私のナスビの牛が置いてあったと思う?」

「え…」

「簡単な話だよ。私は、家に帰ることができなかったんだ。親が、それを望まなかったから。私にだけ、精霊馬が用意されなかったんだよ。あそこに置いてあったものは、近所の人間がお情けで置いてくれたものだったんだ」

 充希はそう淡々と言った。

「言っただろう? 天国は素晴らしいところなんだ。だから、帰ったのは気まぐれだったよ。そして、帰省に期待なんてしていなかった…。きっと、私があの世から戻っても、世界は私を拒むような形を形成しているんだって思った…。だけどね」

 充希が僕の頬を撫でた。

「真琴ちゃんの身体にホームステイして、君と一緒に過ごすようになってから、わかったんだ。生きるのは、案外悪くないって」

 充希の目に、少しだけ涙が浮かぶ。

「これは、まともな人生を送れなかった私に対する、神さまのお情けなんだ。君と過ごす日々は、本当に楽しいんだ…」

「…そんなわけあるか」

 僕は目を逸らした。

「僕は臆病者で…」

「そういう話をしているんじゃないよ」

 充希は困ったように笑う。

「君には、後悔をしない生き方をしてほしいんだ。私みたいに、ならないように。そうしないと、ホタルは、救われないじゃないか」

 ぽつん…と、心に、澄んだ雨粒が落ちたような気がした。

「親に恵まれなくて…、自殺して、地獄に落ちる人生なんて、悲しいだろう? これは、一度天国に行ってしまった私からのアドバイスだよ。生きて。ホタルが望むのなら、私は手伝うよ。君が天国に行けるように」

 雲の合間から覗く陽光を浴びるような、暖かさ。頬を撫でる風のような、柔らかな感触。

 気に入らないよ。死者に、人生を説かれるなんて…。

それなのに、不快な感覚は、蜃気楼のように消えていく。

 僕は何も言わなかった。

 静かに、充希を抱きしめた。その胸の顔を埋めて、肩を震わせた。

 充希は何も言わなかった。僕を抱きしめ、ぽんぽんと背中を叩く。

「…だから、もう少し、仲よくしよう」

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