第27話
「なあ、仲良くしよう」
「…なんだよ、急に」
「そのままの意味だよ」
彼女は僕の肩を掴むと、そっと、その場に座らせた。
充希は僕の目をじっと見てきたが、僕は直視することができず、逸らす。それでも構わず、彼女は言った。
「ずっと、不思議に思っていたことがあるんだ」
「…うん」
「君はよく、何もないところを見ている。その度に顔を引きつらせて、栄養剤を飲むんだ」
「…うん」
「私は、その行為になんの意味があるのか、わからなかった…」
「…僕だって、わからないよ…」
うつむいたまま言う。
「昔からずっとだ。母さんが死んだときは、母さんの亡霊を見るようになった…。父さんが死んだときは、父さんの亡霊を見るようになった。ばあちゃんが死んだときも同じだ…」
目元を隠し、項垂れる。
「父さんは首を吊っていて…、母さんは、焦げている。ばあちゃんは、口から血を吐いて…、みんな死んだときのような姿をして、僕を睨んでいるんだ…。塩も効かなかった。寺に行ってみたけど、何も変わらなかった…。高い除霊料と、護符代をふんだくられただけだった…」
テーブルの上に置いたままになった、空の瓶。
「きっかけは覚えていない…。理屈はわからないけど…、栄養剤を飲んだ直後は、亡霊の姿を見なくて済むんだ…。たった数時間しか持たない。最近は一時間ももたなかったな…。とにかく、少しだけ、落ち着くことができるんだ…。ずっと、これに頼りっぱなしだ…」
「体調不良ってわけじゃなくて、ただ、亡霊の姿が見えないようにしたかったんだね」
「…うん。こんなの、恥ずかしくて言えるわけ無いだろう? 実際、カウンセリングの先生に言ったらめちゃくちゃ怒られた。そのくせに、薬は出してくれなかったし…」
栄養剤は一時的な安息でしかなかった。
飲んだ後、あいつらの姿が見えなくなったって、ふとした拍子に、また姿を現すんだ…。その度に、僕はパニックになりかけて、また栄養剤に手を伸ばした。そのうち、亡霊の姿が見えなくても、「もしかしたら、振り返ったところにいるかもしれない」「栄養剤を切らしてしまったらどうなるのだろう?」と不安が付きまとうようになった。
負の連鎖ってやつだった。
「わかったよ。大変だったね」
僕の話を聞いた充希は、静かに頷いた。
「でも、やっぱり、これを飲み過ぎるのはよくないよ」
台所のゴミ箱に目を向ける。燃えないゴミの袋には、この一週間で飲んだ大量の瓶が捨てられている。当然、一日の摂取量は優に超えていた。
僕は頭を抱え、頭皮に爪を立ててガリガリと掻いた。
「…でも、これがないと」
「大丈夫だよ。うん、大丈夫」
充希は念を押すようにそう言った。
「私を誰だと思っている? あの世から里帰りした幽霊だよ? 下手な霊能力者よりも霊感はある」
「…それが、どうした?」
「だから、父さんらの亡霊が現れたなら、すぐに私に言いな。すぐに彼らと話をして、どこかに行ってもらうようにお願いするから」
ドン! と胸を叩く。
「成仏させる力は無いけどね、でも、しつこくお願いしていたら、きっと諦めて消えてくれるだろう? 大丈夫だよ。相手は元人間なんだから、きっと、人間の道理は通用するはずさ。何も怖くない。大丈夫、何も怖くない」
だからね。
そう言って、充希は僕の手を取ると、自分の額に押し当て、祈るような姿勢をとった。
「もう少し、仲よくしようじゃないか。助け合えるくらいに」
「…………」
「確かに、私は幽霊だ。君の彼女の身体を奪った悪霊だ。だけど…、せっかく一緒にいるんだ。お互いのことを、もう少し話した方がいいと思うんだよ」
彼女は「だろう?」と言って続けた。
「だから、もう少しだけ仲よくしよう あと、半年くらいしか一緒に居られないんだから」
「…うん」
僕は静かに頷く。
僕は今まで、充希のことを心のどこかで嫌悪していた。邪険に扱った。それなのに、たった一回、目の前に現れた亡霊どもを消してくれただけで、僕の目に映る充希は、あの世から舞い降りた女神のように思えたのだ。
随分と、都合のいい話だ。
こんな、人の彼女を乗っ取った幽霊なんかに心を許してたまるか。
そう思わなくもなかったが、この胸に宿る気持ちは、栄養剤を飲んだ時よりも清々しかった。
気が付くと僕の口から、嗚咽とともに言葉が零れ落ちていた。
「僕は生まれなきゃよかったんだ」「母さんの気が狂って…、僕に暴力を振るうようになって…」「水を掛けられて…」「叩かれて、殴られて…」「ご飯を抜かれて…」「お腹が空いて…」「お腹を殴られて…」「でも時々は優しくて…」「と思ったらまた殴られて…」「あの日はすごく穏やかな日で…」「美味しいものを食べたんだ」「でも、あれは最後の晩餐で…」「母さんに包丁で刺されて…」「僕は母さんの手を蹴り飛ばして…」「母さんは焼け死んで…」「最期の言葉が、お前なんて産むんじゃなかったって…」「親族に責められて…」「それから母さんの亡者が現れるようになって…」「父さんは僕に無関心だった…」「何もしてくれなかった」「僕のことを厄介者だと思っていた」「母さんが産んだ出来損ないだと思っていた…」「高校を卒業したら、学費を使い込んで蒸発して…」「残していった手紙には、言い訳ばかりで…」「結局何もできずに自殺して…」「遺書には僕への恨み言ばっかりで…」「まるで、お前なんて産むんじゃなかったって言っているようで…」「父さんが死んだ日から、父さんの亡霊を見るようになった…」「そうだ…、ばあちゃんも僕のことを邪険に扱ったんだ…」「たくさん殴られた…」「木刀で殴られた時は、額が裂けて血が止まらなくて…」「でも止血してくれなくて」「毎日のように納屋に閉じ込められて」「ご飯なんてもらえなくて…」「散歩だけが楽しかったけど、すぐに捕まって吊るしあげられて…」「友達との交流を制限されて…」「差別上等で…」「大好きだった友達も、みんな馬鹿にされて…」「みんな僕のことを避けるようになって…」「高校の進学でもめて…」「電車代を出してくれなくて…」「自転車で頑張って通学して、足を痛めて…」「皆勤賞を逃した…」「このくらいで怪我をするなんて軟弱者だって言われて」「結局、お前なんて産まれなければよかったって言われて…」「ばあちゃんの体調がおかしいのは僕のせいだって言われて」「僕がばあちゃんのストレスになっていて…」「ばあちゃん、血を吐いて死んで…、最後まで僕に恨みつらみを吐いていて…」「それから、ばあちゃんの亡霊も見るようになって…」「もう僕に何も残っていなかったのに…、親戚はここぞとばかりに、僕のところにやってきて、僕を罵って…」「勝ち誇ったような顔をして帰っていくんだ…」
僕の支離滅裂な告白を、充希は僕を抱きしめたまま聞いていた。
時々、「そうか…」「それは大変だ」と相槌を入れながら。
それから僕は、真琴の話をした。
「僕は…、真琴のことは好きじゃなかった…」「ちょっと仲のいい、読書友達だった…」「告白なんてしなければよかった…」「人生経験のつもりだった…」「母さんらが、お前なんて産むんじゃなかった…って言ったから…、自分の人生に、価値を見出したかったんだ…」「だけど、やっぱり駄目だった…」「真琴をちっとも幸せにできなかった…」「真琴をいつも怒らせてばかりだった…」「…そうだ、去年のクリスマスだって、イルミネーションは人がたくさんいたし…、イタリアンレストランを予約してもトラブルが起こったし…、わざわざショッピングモールに行ってまで本を買って…」「あの日だった。僕がレンタカーをパンクさせなければ…、僕が足を滑らせなければ…。こんなことにもならなかった…。僕は、真琴に別れ話を告げて死ねばよかった…」「僕が生きていれば…、何も良いことが起こらない…」「一生、人を幸せにしてばっかりだ…」「ああ、死にたい…」
そこまで言った時、充希は僕の口を塞いだ。
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