第六章『ファイト一発』
第24話
アパートに戻ると、少し冷めた味噌汁を温め直し、充希と一緒に朝食にした。
充希は頬をほころばせ、味噌汁を飲んだ。
「美味しいね。この味噌汁」
「…充希と変わらないよ」
「だし巻きもきれいに焼けてるね」
「…充希と変わらない」
「ううん、ホタルの方がずっとうまい」
…まあ、そうか。綺麗に作らないと、綺麗に焼かないと、祖母に殴られて、納屋に閉じ込められるような環境で育ったのだから。
「ああ、そうだ」
充希は箸を置いていった。
「今日は、どうする?」
「どうするって…?」
「いや、だから、どこかに出かける?」
「別にいいよ。行きたくない」
「今日くらい、いいでしょうが」
充希は残念そうに唇を尖らせた。
「クリスマスくらい」
全身の血が凍る。慌ててスマホを手に取り、カレンダーを確認する。
何回見ても、今日は十二月二十五日だったのだ。
「あ、ああ…」
頬を冷汗が流れ落ちる。
怪訝な顔をしながら、充希が聞いた。
「どうした? やっぱり体調が悪いのか? だったら、無理をしなくても」
「いや、行こう…」遮って言った。「去年の、挽回をしたいからさ」
「去年…。ああ、真琴ちゃんのことか」
「…うん」
クリスマスにはいい思い出は無い。
去年のクリスマスもそうだった。
恋人なのだから、恋人らしいことはしなければならない。
そう思った僕は、部屋で小説を読んでいる彼女を、クリスマスデートに誘った。プランはもちろん決めていた。近所にあるイルミネーションを見た後、決して高くはないレストランで食事。それから、ショッピングモールに赴いてプレゼントを買う。そういう流れだったと思う。
最初、彼女は嫌な顔をしていた。「私を喜ばせたかったら、小説を買ってきて」と言った。だけど、それはいつもしていることだったから、僕は拒んだ。「クリスマスにしかできないことをしよう」と言った。
デートの結果は散々だった。
イルミネーションスポットは、クリスマスデートをするカップルで埋め尽くされ、幻想的な風情は台無し。予約していたレストランも、その日に限って予約の重複があり、かなりの時間を待たされた。いざ食べた料理も、美味しいとは言えなかった。その間、彼女はずっと眉間に皺をよせていた。
ショッピングモールに赴いて買い物をしたのだが、真琴はバッグや洋服には興味を示さず、十冊ほど小説を買った。その時だけは嬉しそうな顔をしてくれた。
帰ってから、真琴は言った。
「あんたってさ、まともなクリスマスを過ごしたこと無いでしょ」と。
僕が「どういうことだよ」と、怯えながら聞くと、こういった。
「私みたいな人間が、イルミネーションで喜ぶと思った? 目がちかちかするし、人ごみに酔うし最悪だった。レストランだって、量の割に値段が釣り合っていない。それに、イタリアンなんて好きじゃないし」
でも、こうも言った。
「まあ、本はありがと。大切に読むね。だけど、これもショッピングモールに行ってまで買うものじゃないでしょ」
「…うん」
「私はね、家でゴロゴロしている方がいいの。ご飯だって、あんたの作った方が美味しかった。それでいいじゃない。なんで背伸びをするわけ? 私たちみたいな底辺人間に、イルミネーションが似合うと思った? イタリアンレストランが釣り合うと思った?」
真琴は怒っているのか、諭しているのかわからないことを言った。
「あんたの『幸せ』の像って、どうなっているわけ?」
どうなっているんだろうな。もうわからなくなっちゃったよ。
去年のことを思い出して浮かない顔をしている顔を見て、充希は心配そうな顔をした。
「ええと…、じゃあ、どうする? 何処に行くの?」
「充希の行きたい場所でいいよ」
「私の行きたい場所かあ…。楽しかったらどこでもいいんだよね」
「…そうか」
味噌汁を飲み干した僕は、静かに手を合わせた。
「出かけるのは夜だろう? 三時くらいまでに決めてくれると助かる」
「ホタルが行きたい場所でもいいよ」
「…僕が決めたって、面白くないよ」
「ああ、そう? じゃあ…どうしよっかな。このあたりの地図ってある?」
僕は黙ってスマホを渡した。充希は「ありがと」と言って受け取ると、地図を開いて検索を始める。
少し休もうと思い、傍にあったクッションを引き寄せた。それを腰に敷き、壁にもたれかかる。ゆっくりと目を閉じようとした時、横に気配があった。
「………」
見てしまう前に、テーブルの上に置いたままの栄養剤をひったくり、飲んだ。
そうして、カフェインが吸収される前に、目を閉じた。
三十分ほど仮眠を取った後、ゆっくりと目を開けると、だらしなく伸ばした僕の足がぼやけて見えた。目を擦り、輪郭がはっきりと線を結ぶまで待つ。すると、伸ばした足の先に、誰かの足があるのが分かった。
一瞬は、充希かと思った。
だがすぐに、それが、黒く焦げた足だということに気づいた。
ああ…、またか。
危険を感知した僕は、すかさず俯いた。
充希に気づかれないよう、段ボール箱に手を伸ばす。そして、栄養剤を抜きだして飲んだ。
再び顔を上げると、気配は消えていた。
「…くそ」
亡者を見るのは、今日で三度目だった。そして、栄養剤を飲むのは二度目だった。まだ午後も来ていないというのに、一日目安摂取量以上のタウリンが身体に入ったということだ。もうすぐ、肝臓が破裂して死ぬかもしれないな。
この調子だと、あと一回は亡者を目にする気がする。
なるべくそうならないよう、僕は膝に顔を埋め、何も見ないようにした。
夜になったら、嫌でも充希と出かけなければならなくなる。栄養剤はその時のために取っておくべきだ。
そこまで考えた時、僕は一抹の不安に襲われた。
「………」
そう言えば…、栄養剤って。まだ残っていたっけ?
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