第21話

 父が蒸発してからも、祖母は相変わらずだった。

「息子が子供を放って消えた? ああ、なんて風が悪いんだろうね。恥ずかしくておもてを歩けないよ」

 そう言って僕を殴ったが、痛くもなんともなかった。

 父が、貯めていた大学の学費を使い込んでしまったために、僕は受かっていた県立大学を断念せざるをえなかった。だから、高校を卒業しても、ずっとあの家に留まり、年老いて力が弱くなった祖母の手助けをした。

「お前の顔を見ていたら腹が立つよ」

 祖母は四六時中そんなことを言った。

「出来損ないの息子が、出来損ないの娘と結婚して産んだ、出来損ないの孫だ」

 僕が作った料理も、「不味い」と言って床にぶちまけた。

「別に出て行っても良いんだよ。だけど、お前が一人で生きていけるとは思わないね。それに、恩のある私を捨ててみろ。お前は、薄情者として世間で後ろ指を指されるんだ」

 つまり、出て行くな。という意味だった。

 そうして半年がして、父の訃報が届いた。

 それから、祖母は変わった。

 何に対しても怒るようになった。僕が廊下を歩いているだけで「消えろ」と怒鳴った。料理を作っても、洗濯をしても、掃除をしても、「全然なっていない。そんなので生きていけると思うなよ」と言った。

 祖母の体調が悪化しているのには気づいていた。たびたび咳き込むようになったし、血色も悪くなったからだ。だけど、祖母は決して病院に行こうとしなかった。僕が「病院に行きなよ」と提案しても、行かなかった。

「病院だと? そんな金が何処にあるんだい? 私は、自殺した馬鹿息子に金を使い込まれているんだ。それとも何だい? お前が金を持っているのかい? なわけないだろう? 人の家に居候しているタダ飯食らいなんだから」

 バイトを禁止しているのはそっちじゃないか。

 それに、炊事洗濯は、全部僕の仕事じゃないか。

 そうして、父が死んで二週間後、祖母が血を吐いた。

その時初めて、祖母は僕に、「救急車を呼べ」と言った。

 救急車が来るまでの間、祖母はゴボゴボと血を吐きながら、僕への恨みつらみを言った。

「私がこんなになったのは、全部お前のせいだ」

「…うん」

 床に蹲る祖母の後ろには、焼け焦げた母と、首を吊った父がいた。

 その時点で僕は、「ああ…、きっと、ばあちゃんもこの中に加わるんだろうな」という予感がしていた。

「あの馬鹿息子が結婚しなければ…、子供を作らなければ…、お前なんかが、生まれてこなければ…、私はもっと楽しい暮らしを送っていたんだ。恨むよ。これは絶対に恨むよ…。治療費をふんだくってやる。一生こき使ってやる。死んだ後も、お前の後ろにずっといるんだ。お前に恨みの言葉を吐き続けてやるんだ」

 そして、祖母は搬送先の病院で死んだ。

 病名は忘れた。だけど、医師に「なんでもっと早く連れてこなかったんですか? 末期でしたよ」と言われた。知るかよ。病院を拒んだのは祖母だ。

「病気の祖母を見殺しにした」という僕の悪名は一瞬にして近所の人間に広がり、祖母の言った通り、僕は周りに後ろ指を指されるようになった。

 別にそれでよかった。祖母の言いつけで、ご近所さんとはほとんどしゃべったことが無い。見知らぬ奴に罵られたって痛くも痒くもないし、そもそも、そういうのには慣れっこだった。

 唯一僕の心を抉ったのは、それ以来、祖母の亡霊が僕の前に現れるようになったことだった。

 歩いていても、ご飯を食べていても、風呂に入っている時でもお構いなし。血を吐きながらそこに立っている。逃げようとすれば、父や母の亡霊が立ち塞がる。栄養剤を飲めば見えなくなるのだが、飲む頻度、つまり亡霊を見る頻度は、初めて母を見てから三倍ほど増えていた。そりゃそうか。父と祖母が加わったのだから。

 亡霊は語らない。だけど、その虚ろな目には、「お前なんか生まれてこなければよかったのに」という、恨みの念が込められているようだった。

 この地獄の日々は、いつになったら終わるのだろう?

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