第15話

 充希が真琴の身体を奪って、四か月が経った。

 大っ嫌いな、冬がやってきた。

「あ…、雪だ」

 ぼーっと窓の外を見ていた充希が、そんなことを洩らした。

 釣られて窓を見ると、確かに、白い雪がちらちらと待っている。道理で、静かで寒いわけだ。

「積もるかな?」

「いや…、この程度じゃ、無理だろう」

 僕たちが暮らしている町は、西の方に山脈があって、それに守られているために、毎年降雪量は少ない。降っても、ケーキに砂糖をまぶす程度だった。一応、膝下くらいまで積もった年もあるようだが、それも五年前の話だった。

「金魚、大丈夫かな?」

「水が凍らなければ大丈夫だよ」

「ヒーターとか買おうかな?」

「極寒地帯でもないし、大丈夫だって。それに、金魚は変温動物なんだから、下手に温度を弄ったら、余計ダメになる」

「詳しいね」

「常識だ。とにかく、このままそっとしておけよ」

 僕は少し苛立ちながら、心配性の充希を諭した。

 まあ、心配するということは、それだけ、金魚を愛しているということだ。

 あの夏の日以来、充希は金魚の世話を欠かせたことが無い。毎日朝と夕に餌をやり、水が濁ればさっさと換えた。溝が多くて、苔が生えると掃除が大変なオブジェの掃除も、面倒くさがることなくやった。僕の介添えなんて必要なかった。

 最初は、急に変わった環境を目の当たりにして委縮していた金魚も、いつの間にか慣れて、水槽の中を悠々と泳ぐようになった。心なしか充希の方に懐いている気がする。餌をやった時の食いつきが、僕と充希で違うのだ。

「こんなむすっとしている男よりも、私みたいな優しくて美しい女の方がいいのかい」

 そう言って彼女は、寄って来る金魚をガラス越しに撫でた。

 金魚のくせに、愛してくれる人がいるなんておめでたい事。

 そう、嫉妬めいた感情抱きながら、僕はコーンポタージュでも飲もうと、冷蔵庫の上に置いてあったやかんを取った。

「あ、私も欲しい」

「…なにが?」

「コーンポタージュ作るんだろう?」

「…違うね、昆布茶だ」

「じゃあ、私はコーンポタージュで。頼むよ」

 触れた指に、ピリリとしたものが走る。良いか悪いかで言えば、悪い気分だ。

 お互いが飲もうとしたものが何であるか気づくくらいに、この奇妙な生活に慣れたのだ。

 やかんに水を入れて火に掛けて、沸騰するのを待っていると、ベランダの窓がガタガタと揺れる音がした。首を捻って見ると、外を舞う白い雪が、風と共に窓に打ち付けられていた。

「結構吹雪いているね」

「…そうだな」

「大丈夫だとは思うけど、万一飛ばされてもいけないから、カブのプランター、持って入ってくれるかい? 火は私が見て置くから」

 言われて、僕はコンロから離れた。

 リビングを横切り、窓を開けてベランダに出る。途端に、頬を切り裂くような風が吹き込んで、部屋のカーテンを揺らした。

「早くして~。寒い~」

 充希が急かす。

足もとを見ると、赤カブのプランターが置いてあった。充希が秋頃に種をまき、最近実り始めたものなのだ。重いし、低いし、流石に飛ばされないと高を括っていたが、表面の土が巻き上げられて、周りを汚していた。

 風の力ってすごいな。と思いながら、僕はプランターを抱えて部屋に戻った。

 その時、台所に立つ充希の後ろに、老婆が立っているのが見えた。

 腰の曲がった老婆は、口をあんぐりと開けたまま、何かをしゃべろうと、下あごをかすかに動かす。すると、ゴボッ! と、排水溝が詰まるような音がして、喉の奥から赤黒い液体が溢れだした。血のようなそれは、床に滴り、びちゃびちゃと跳ねた。

老婆の、白玉のような眼球が、僕を睨む。

 ガシャン! と、何かが割れる音で我に返った。

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