第四章『首を吊ったライオン』

第14話

 少し、父の話をしようと思う。

『お前のことを愛している』

 高校を卒業するよりも先に蒸発した父が残していった手紙には、そう書き記されていた。

 その一文のあと、こう続けられていた。

『大事に思っているからこそ、お前を突き放そうと思う。可愛い子には旅をさせよ、ライオンは子を崖から落とすって言うだろう? この逆境を乗り越えた者こそ、真の幸せを掴めるんだ。蛍は大学に行きたかったみたいだけど、大学は本来、自分の力で行くものなんだ。親に金を出してもらうところじゃない。だから、蛍も、高校を卒業しても頑張って勉強を続けて、アルバイトをして、自分で貯めた金で行くんだ。いいか? 蛍は立派なことをしているんだぞ。高校を卒業しても、親の世話になるような軟弱な同級生がいる中で、蛍だけは、自立しているんだ。頑張れ、蛍ならできる。それから…』

 文章はまだ続いていたが、途中から流し読みした。

 手紙の敬具には、「愛している」と書いてあった。これが仮に、「問一・父親は息子のことを愛していたのか?」という国語の問題ならば、「愛していた」という答えを導き出せなくもないが、国語の問題で大事なのは、「前後を読む」ことだ。

 父が僕にしてきたことを参考にすれば、きっと「愛していなかった」という答えが正しいのだろう。

僕の父は、大学に進学するときに、二年浪人している。その間、隣県にある予備校に通い、その金を母親、つまり僕の祖母に出させた。

二年も勉強したんだ。さぞかし有名な大学に進学し、有名企業に就職するのだろうと思うかもしれないが、父が進学したのは、なんてことない私立大学だった。まあ、「置かれた場所で咲きなさい」って言葉があるくらいだから、そこで必死こいて勉強して、スキルを身に着ければ、それ相応に誇れる生活をできるはずなのだか、父は大学在学中、バンド活動に明け暮れた。

まあ…、これもまだ救いようがある。音楽は芸術だからな。世を探せば、音楽で人を幸せにしている人はごまんといる。父もそんな風になればよかった。だが、父は大して練習せず、素人に毛が生えた程度の演奏しかできなかった。勉強も音楽活動も中途半端、金は全部、僕の祖母に出させて、のうのうと暮らした。そして、大学を卒業後、彼女を妊娠させて、結婚した。

 まあ、いいよ。まだ大丈夫だ。親になれば、心機一転、進むようになるかもしれない。就職して、汗かきながら働いて、生まれてきた僕と、母さんと、苦しいながら幸せな日々を送ればよかった。それでも十分、「家族の形」だった。

そして父は、家を買った。まあ、これもいいよ。これも許容しよう。

家族に家は付き物だ。買う時期、ローンの返済計画をしっかり考えていれば、返済は難しくない。というか、誰もがやっていることだ。だが父は、頭金なしに家を買ったのだ。そして、「自然の中がいい」なんて馬鹿げた理想を掲げて、山の中に建てた。近くに幼稚園も、小学校も、中学校も、高校も、スーパーも、病院も無い。雪が降れば一瞬で白く染まり、町に下りることができなくなるような、閉鎖的な場所だった。

まだ許容してやるよ。自然で暮らすことは悪いことじゃない。野山を駆けまわれば、足腰を鍛えられるだろうし、畑を営めば、自給自足の手段を得ることができる。大事なのは結果だ。

結果的に、母が育児ノイローゼになった。これは先に話した通りだ。

気が狂った母は僕に虐待をした。父は見て見ぬふりをした。

 先に話した通り、母は、ローンの残っている家に放火し、僕を包丁で刺した。そして、一人で焼け死んだ。

 住む家を失った父は、僕を連れて実家に戻った。

父が負った代償は大きかった。

 予備校、私立大学の学費、大量に買った楽器、ローン、火災時の火の粉が隣家に燃え移り、その修繕費。これらのツケを払うことは、大した大学を出ず、大した企業に就職していない父には、不可能だった。

 これでやっと目が覚めたのか、父は真摯に働き始めた。

 もともと頭が切れたので、仕事を順調にこなし、出世した。微々たるものだったが、給料も上がった。このまま真面目に、コツコツと働いていれば、それなりに借金を返して、余裕のある暮らしを送れるかもしれなかった。

だが、傲慢な性格故、パワハラで訴えられ、会社を辞めさせられた。また別のところに就職して出世したが、最終的にはパワハラで解雇された。その度に和解金やら慰謝料やらで金が出て行き、一向に借金の返済は叶わなかった。

 そうして、自分がまいた種を解決することができないまま、父は僕の大学進学の資金を使い込んで、蒸発した。

 これを踏まえた上で、父が残していった手紙を読む。

『父さんはお前のことを愛している。大事に思っているからこそ、お前を突き放そうと思う。可愛い子には旅をさせよ、ライオンは子を崖から落とすって言うだろう? この逆境を乗り越えた者こそ、真の幸せを掴めるんだ。蛍は大学に行きたかったみたいだけど、大学は本来、自分の力で行くものなんだ。親に金を出してもらうところじゃない。だから、蛍も、高校を卒業しても頑張って勉強を続けて、アルバイトをして、自分で貯めた金で行くんだ。いいか? 蛍は立派なことをしているんだぞ。高校を卒業しても、親の世話になるような軟弱な同級生がいる中で、蛍だけは、自立しているんだ。頑張れ、蛍ならできる』

 大学は、アルバイトをして、自分で貯めた金で行くもの…だと? 祖母に金を出させた奴が何を言っているんだ? 素直に言えよ。「お前を大学に行かせることができない。学費を使い込んでしまってすみません」って。

 子どもを見捨てることを正当化する「可愛い子には旅をさせよ」ってことわざなんて使わず、素直に「自分が無能でした」って認めれば、潔くて、まだ可愛げがあった。

 まあ、でも、そんなものか。

 父は僕のことを愛していなかったんだ。育児ノイローゼになった軟弱な妻が産んだ、煩わしい残りカスみたいな存在だからだ。そんな存在に、頭を下げるほど、父はできた人間ではない。

でも、僕が煩わしいからと言って、ストレートに「大嫌いだ」と言うのは、人間としての矜持が邪魔をするのだろう。いや、やましさだろうか? 何一つ成しえることができなかった己の無力さを紛らわせるための申し開きだったのかもしれない。

 とにかく、だらだら書き記したとしても、手紙から伝ってくるのは、父が僕を愛していなかったという「事実」だけだった。

まあ、別にいいよ。むかつくけど、許してやるよ。

人間の生き方は決まってなどいない。父には父の人生があった。好きに生きていけばいい。

だけど、説得力は欲しかった。息子を見捨ててまで手に入れた「自由」だ。その自由に見合った人生を、父には送ってほしかった。

 手紙にべらべらと垂れた詭弁に見合った「幸せ」を、父には送ってほしかった。

 そうして半年後、僕の耳に、父の訃報が届いた。

 父は隣県にまで移動していて、借金返済のために奮闘していた。だが、一向に終わりが見えなかった。ついには気を病んで、アパートの天井から首を吊って死んだ。

 病院で父の死体を見たが、一人暮らしの不摂生で醜く肥え、それだというのに頬はこけ、目の下には炭をこすり付けたような隈が浮いていた。

足もとに置いてあった遺書には、彼が送ってきた人生の後悔が延々と綴られていた。

 要約するとこうだった。

『結婚するんじゃなかった』 

 あの馬鹿女のせいですべてを狂わされた。あの馬鹿女さえいなければ、家は買わなかった。あの女さえいなければ、自分の人生はもっと豊かになっていた。こうやって借金を抱えて死ぬことも無かった。あの女さえいなければ…。

 父のその思いは、暗に、『お前なんか産ませるんじゃなかった』と言っているようだった。

 僕を捨てて蒸発してまで手に入れた自由の先で、父は死んだのだ。

 虚しくて、虚しくて、たまらなかった。

 手紙は棺桶と一緒に燃やした。骨は先祖の墓にぶち込んだ。

 なぞるような葬式を終え、惰性で四十九日の法要をやった。

 異変が起こったのは、その後からだった。

 ふとした時、どこかを見ると、僕の目に首を吊った父の死体が映るようになったのだ。

 ああ、冗談だろう? って思った。

 さっさと成仏しろよ。クソ親父。そう叫んでも、何処からともなく現れて、首を吊りながら見てくる。唐突に現れる、焼け焦げた母の姿に、ようやく慣れ始めた頃の出来事だった。

 僕が幼い頃、焼け死んだ母。僕が高校卒業後、首を吊った父。

 二人の亡者は結託したように、僕の前に現れた。何をするわけでもない。ただ、そこにいるのだ。強いて言うなら、きっと、自分たちが死んだことを、僕のせいにしているのだろう。

 お前さえ生まなければ、もっと楽な生活が送れていた…。って具合に。

 知るかよ。生んだ張本人が偉そうに言うなよ。そう言ってみるが、亡者たちは何の反応も示さなかった。そりゃそうか。死んでいるのだから。

 本当、気分が悪い話だ。

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