第12話

 突然決まったお出かけだったために、レンタカーを用意することはできず、駅まで歩いて、そこから電車で隣町のショッピングモールに向かった。

 人の多い場所はあまり好きではなかったが、着いてみると思っていたほどおらず拍子抜けした。そりゃあ、平日だからそうか。

 自動ドアを潜ってショッピングモールに入ると、カフェやブティックの前を通り過ぎ、まっすぐペットショップに向かった。

 電車に乗っている間に話し合って、ある程度買うべきものを決めていた。第一に、アクアリウム用のオブジェ。その次に、そのオブジェに合う砂利、そして水草。なるべく本物がいい。予算内に収まれば、水質保持用の薬や、バックスクリーンも買いたいと思っていた。

 これだけ計画を立てたのだからすぐに終わると思っていた。だが、理想と現実は違うもので、店内に入り、アクアリウムコーナーに入った途端、僕たちはその品揃えの多さに圧倒された。

「まずはオブジェだけど…」

「種類、めちゃくちゃ多いな…」

 うちの水槽のサイズは、幅二十センチで、ある程度絞れるのだが、それでも多い。

 僕たちが立っている商品棚一面が、その対象だった。

「…充希は、どんなデザインが良かったんだっけ?」

「洋風なものが良いんだけど…、多いね」

 城だけでも結構ある。外観を一望できるデザインのものや、内装を一望できるもの。おなじみの、捨てられ船や、古代遺跡のようなオブジェもあった。値段も月と鼈だ。五千円のフレデリスクボー城のオブジェと、八千円のノイシュバンシュタイン城のオブジェの違いってなんだろう?

「うーん…」充希は顎に手をやり、考え込んだ。「…どうしよう、どれもキレイで悩む」

「悪いけど、僕の経済状況じゃ一つしか買えないよ…。ごめんよ」

「何言ってんの。私が提案したんだから、私が出すよ」

 充希はそう言って、ロングスカートのポケットから出した財布を振った。小銭の音がしないということは、札が多く入っているのだろう。

「真琴ちゃんって、意外に倹約家だね。通帳にめちゃくちゃ入ってた」

「それ、窃盗紛いじゃないか?」

 今は充希が真琴のような存在だとは言え、通帳の金を勝手に引き出すのはいかがなものか。

「僕が買うから…」

「…わかったよ。なんかごめん」

 充希は財布をポケットにしまった。

 気を取り直して、僕たちはオブジェを見た。

「…それで、何にする?」

「私的には、城がいいね。内装が見えるやつがいい」

「じゃあ、それだけでも結構絞れるじゃないか」

「だけど、ちょっと違和感があるっていうか」充希は恥ずかしそうに頬を掻いた。「…ほら、魚って、水中にいるだろう? だったら、捨てられ船とか、流木とかを置いた方が雰囲気にマッチするんじゃないかなって」

 めんどうくせえ…って思った。

「まあ、充希が決めろよ」

「ホタルはどう思うのさ」

「…僕はどうでもいいよ」と言いながらも答える。「まあ、強いて言うなら、和風が良いかな? 和金に洋風の城とか、捨てられ船は、ミスマッチな気がする」

 言った後で、「まあ、和金はそもそも中国から伝わってきたんだから、和風とも言えないけど」と付け足した。

 僕のひねくれた発言を聞いて、充希はこくこくと頷いた。

「なるほどね…、確かに」

「となると、僕はこれを選ぶね」

 そう言って、少し離れた場所にある日本の城のオブジェを指した。値段も三千円と結構安い。

「城って、山の上に築かれているイメージがあるから、砂利を積み上げて、その上に置いて…、周りを短めの水草で囲んだらそれっぽくなるんじゃないかな?」

「いいね。となると、空色のバックスクリーンを買って貼り付けたら、結構雄大に見えそうだ」

 充希もすっかりその気になっていた。

 早く終わらせたかった僕は、「じゃあ、これにしよう」と言って、オブジェを取り、籠に入れた。それから、水草コーナーに向かって、葉の短い水草を買った。丘を作るため、砂利も買った。空色のバックスクリーンは売っていなかったので、後で百均に寄って、水色の画用紙を買うことにした。

 予算は少しオーバーしたが、これで帰れる。

 充希は最後まで「半分出そうか?」と言っていたが、無視をしてレジに向かった。

 ああ、疲れたな。帰ったら、さっさと設置してしまおう。そして眠ろう。

 そう思いながら、買い物かごを、暇そうにしていた店員さんに渡した。その時だった。

 店員さんが「いらっしゃいませ。ポイントカードはお持ちですか?」と僕に聞いてくる。その後ろに、誰かが立っていることに気づいた。

一瞬は他の店員だと思ったが、様子がおかしい。

 天井から垂れ下がった、半透明のネクタイ。それを首に巻きつけ、宙にぶら下がって揺れているのは、ボロボロのスーツを身に纏った男。口はだらしなく開く、唾液のような血のような、粘っこい液体が糸を引いて滴っている。

 生気のない目と、僕の目がバチリと合った。

僕は変な声をあげると、とっさに口を押さえた。

 首を吊った男が、僕を睨む。

 冷凍庫の中に放り込まれたような寒気が全身を襲い、足が小刻みに震え始めた。舌の付け根から、苦い唾液が分泌され、それにより吐き気が催された。

 ああ…、まずい。「あれ」が来る。

「ホタル? どうした?」

 充希が、僕の肩を掴んだ。僕は、はっとして充希の方を見る。

 僕の充血した目を見て、彼女は何かを悟った。

「お前、大丈夫か?」

「…いや、ごめん」

 僕は俯いて顔を隠すと、持っていた財布から二万円を抜いて、充希の胸に押し付けた。

「これで会計、済ませてくれ…」

 それだけ言うと、逃げるようにペットショップから飛び出した。

 すぐそこにあった地図で薬局の位置を確認すると、踵を返す。だが、客が行きかう通りの二十メートルほど先に、さっきの首を吊った男がいた。虚ろな目で僕を睨んでいる。

 ダメだ! と思い、別の道から行こうと振り返った。しかし、案の定、その先には、黒焦げになった母親が立って、僕を待ち構えていた。

 首を吊った男。黒焦げになった母親。二人に囲まれた僕は、頬から脂汗を流しながら、「あ…、あ、ああ…」と泣きそうな声をあげた。

 どうする? そう思って、ふと横を見る。

 そこには、口から血を吐く、腰の曲がった老婆が立っていた。

 後のことは、よく覚えていない。

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