第11話

 それから一週間くらいが経った頃だった。

「ずっと気になっていたんだけどさ」

 台所でそうめんを茹でていた充希が、おもむろに口を開いた。

「この金魚って、何処で買ったの?」

 菜箸で、玄関の靴箱の上を指す。そこには、幅二十センチくらいの小さな水槽があって、中で赤い和金が、一匹のんびりと泳いでいた。高いろ過装置を使っているとは言え、水は少し濁り、ガラスには、ぽつぽつと黒い藻が浮いていた。

 僕はめんつゆを椀に注ぎながら答えた。

「…夏祭りだよ。七月に近く商店街であったから、そこの金魚すくいで取った」

「真琴ちゃんと行ったの?」

「当たり前だろ」

 あえて真琴の名前は出さなかったが、いざ指摘されると、胸の奥が痛んだ。

「どうだった? いちゃいちゃできたのかい?」

「お察しだよ」肩を竦める。「恋人らしいことをしたくて、真琴も誘ってみたんだけど…、全然楽しめなかった。真琴って歩くのが嫌いだし、そもそも、人がいるところが嫌いなんだ…。雰囲気だけでもって思って、金魚すくいをしたけど、水槽とかろ過材、餌のことを考えていなくて、結構金が飛んだ…」

「そうだろうね。特に、出店の金魚はストレスで死にやすいから」

「五匹いたんだけど、生き残っているのはその一匹だけだよ。当然、真琴は世話を手伝ってくれないから…、全部僕が面倒を見ている」

「水、結構汚れているね」

「うん…、そろそろ交換しないとね。ろ過材も換え時だ」

「私がやってみてもいいかな?」

 充希は目を輝かせて僕を見た。

「別に良いけど…、たかが金魚の水替え、僕がやるよ」

 真琴の肉体の賃料の代わりと言っても、水槽の水替え程度苦ではなかった。それに、飼い始めたのは僕だ。人に世話を任せるなんて無責任なことは憚れた。

「慣れているんだよ。僕がやった方が早い」

「だったら、もう少しにぎやかにしてあげようよ」

「にぎやか?」

そう言われて、僕は今一度水槽を見た。彼女が言わんとしていることを理解し、頷く。

「…確かに、寂しいよな」

 金魚すくいをしたその日のうちに、即席で飼育キットを買って、それきりだったために、水槽の中は砂利と小さな水草のみで、殺風景だった。

真琴に一度だけ、「自分はエアコンもテレビもある綺麗な部屋に住んでいるのに、この子には何も与えないなんてかわいそうね」と言われたことがあった。かといって彼女は、水草を買い足すことも、オブジェを置くこともしなかったが。

 充希は「だからさ」と、楽げに提案した。

「ペットショップ行ってみないか? この水槽に合うオブジェとか、砂利とか買ってみよう」

「…ああ、そうか」

 何度でも言うが、僕は真琴の身体を奪った悪霊とのお出かけなんて御免だった。生理的に受け付けないんだ。だが、それを「ごめんだね。勝手に行ってこい。この悪霊め」と言って拒絶するほど、僕の肝は据わっていなかった。それに、充希に悪意が無いのはわかっている。断るなんて、彼女にも金魚にも薄情な気がした。

「…わかったよ、いこう」

 頷くしかなかった。

「よし、決まりだな」

 充希は氷水で締めた素麺が乗った皿を僕に渡した。

「これ食べたら、早速出かけよう」

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