第三章『亡霊との暮らし』

第9話

 僕が真琴と付き合い始めて少し経った頃、彼女に言われたことがある。

「あんたってさ、いつも、変なところ見ているよね。なんかいるの?」と。

 その時は、「そんなこと無いよ」と答えた気がする。多分、嘘であることは見抜かれていたと思う。なぜなら、僕の声はどうしようもなく震えて、顔は青く染まり、肩は雨に濡れた子犬のように震えていて、そして、その目は部屋の何もない場所を見ていたからだ。

 真琴の言う通り、僕が変なところを見るときは、そこには、常人の目には見えない者がいる。

 主に三人。黒焦げた女。首を吊った男。そして、血を吐く老人。彼らは何をしてくるわけでもない、生気など感じない、僕の目にしか見えない亡者たちだ。

 霊感がある。とは少し違うのだと思う。なぜなら、僕はこの三人の亡者以外に、霊らしいものを見たことが無いからだ。実際、試しに地元で有名な心霊スポットに踏み入れてみたが、これと言って変わったことは起きなかった。親指の第一関節を見ても、霊感の証拠である「仏心相」は無い。

 じゃあ、霊感も無いのに、どうして三人もの亡者が見えるのか?

 これにははっきりとした根拠があった。

 それを説明するためには、まず、僕の母親のことを語る必要がある。

母のことを一言で説明するのなら、「軟弱者」だった。

産まれてから僕を生むまで、一度も「苦労」という名の苦労をしたことが無い。小学校での成績は中の下。中学の成績も中の下、高校も、一番近くにある偏差値の低い学校に通い、そこでも中の下の成績だった。

そうして、勉強もせず、指定校で学費の高い私立大学に進学した。

今までに苦労をしたことが無い母は、進学先の大学で、同じく苦労したことが無い父と出会った。

 初めての恋。と言えば聞こえはいい。だが、それはつまり、「無知」だった。

 深いことを考えず、父に身を預けた。そして、四年生の夏に、僕を妊娠した。

 これで「母性」の一つや二つが目覚めれば、もう少し、ましなことになっていたのかもしれない。結果から察するに、そうはならなかった。

 大学を卒業し、父と結婚した母は、就職せず、僕を産んだ。「優しい子に育てて見せる」なんて意気込んで、乳を与え、おむつを替え、四六時中抱っこした。祖母が言ったことだから信憑性は皆無だが、それはあまりにもお粗末な育児だったらしい。

 そうして、気が付くと、母は僕を虐待するようになった。

 育児ノイローゼ。と言えば聞こえはいい。そうなるくらい苦悩したってことだからだ。世間からの同情をもらうことができるだろう。だけど、母が僕にしたことは、「精神が疲弊していたから」という一言じゃ片付けられない、悪魔の所業だった。

 今でも覚えている。

 四歳の僕が、布団の上で眠っていると、母が僕の顔を覗き込むんだ。

その顔はへらへらと笑っていて、だらしなく開いた口からは、「産むんじゃなかったなあ…」という心の後悔が漏れ出ていた。

 自分に苦痛を与える我が子を頭の先からつま先まで眺めた母は、笑いながら手を振り上げ、そして、叩いた。

 バチン! と、父が頭金も無しに買った家に、乾いた音が響き渡った。

 母は、真っ赤に腫れた僕の頬を撫でると、また叩いた。髪の毛を掴んで身体を起こさせると、また叩いた。もう一度叩いた。今度は、お腹を殴った。

 胃に衝撃が走り、思わず、さっき食べたお菓子をその場に吐き出す。

「だめじゃない。吐いたら」

母はそう言うと、また僕の顔を叩いた。四歳の貧相な身体じゃ踏みとどまることもできず、倒れて、堅い床に頭を打ち付ける。その時に額の皮膚が裂けて、血が滲んだ。

 床に滴る液体を見た瞬間、母は「あ…」とだけ言った。

 長い髪をくしゃくしゃにしながら蹲ると、発情期の猫のような声で唸った。

「あああ…、可愛そうに…。血が出て可哀そうに…」

 自分がやったくせに、そんなことを言った。

 一通り鳴き喚いた母は風呂場に走ると、バケツに水を汲んで戻ってきた。それを、僕の顔面にぶっかけた。額の血も、口についた吐しゃ物も洗い流される代わりに、鼻に水が入り、眼球の奥がツンと痛む。息が詰まって、また激しくせき込んだ。

 母は空になったバケツを壁に投げつけると、わが身を抱いて蹲り、また泣いた。

「あーあ、またお洩らしして…。こんなふうに育てた覚えはないんだけどなあ…」

 そして、呪詛のように、「あんたなんて産むんじゃなかった…」という後悔の言葉が吐き出された。

 母から吐かれるその言葉を、僕はぐちょぐちょに濡れた床の上に倒れて聞いていた。

 ちなみに、父は何もしなかった。

 仕事から帰ってきて、この惨状を目の当たりにするたびに、「あーあ…、またか」と言いたげな顔をし、泣いている母の肩を叩いた。

「もう少しちゃんとしろよ。母親だろう?」

 そう言って、自分の部屋に戻って仕事を再開した。

 父は家のローンに追われてあくせく働く。母は育児ノイローゼで僕をせっせと殴る。僕は痛みに耐えながら、必死に生きる。

 そんな地獄の日々が終わったのは、僕が五歳になった時のことだった。

 幸運か、それとも悲劇か、あの日は、珍しく穏やかな夜が僕を待っていた。

 その日一日、母は僕を殴ることも、暴言も吐くこともせず、終始にこやかだった。夕食時には、「お父さんが出張だから、贅沢しようね」と言って、少し高級なレトルトハンバーグを買って食べさせてくれた。一緒にお風呂に入った。一緒の布団で眠った。

 毎日のように僕を殴っている母の変貌に、嫌な予感を覚えずにはいられなかった。

 一緒に眠ってうとうとし始めた頃、母は静かに布団を抜け出した。

 僕は微睡みの中、リビングの方で母が立てる音を聞いた。

 ゴボゴボ…と液体が零れるような音。それから、母の鼻歌。

 母は笑いながら寝室に戻ってきた。

「一緒に逝きましょう」

 そう言ったのを、確かに聞いた。

 僕はまだ幼かったから、そう言われた時、寝ぼけていたせいもあって、どこか楽しいところに連れて行ってくれるのかと思い、目を開けた。

 僕を見下ろす母は、包丁を持っていた。

 人間の防衛本能とは不思議なもので、僕はすぐに布団から這い出ると、母に背を向けて逃げようとした。だが、母は僕の髪の毛を掴み、床に押さえつけた。

 心の準備もままならない間に、背中に包丁の刃が刺さる。

 心身ともに衰弱した母の力は弱く、刃の手入れも怠っていたということもあり、深くは刺さらなかった。せいぜい、表面の肉を裂いた程度だった。

 でも、痛いことに代わりは無い。絶叫した僕は、「なんだよ! 何するんだよ!」と叫び、覆い被さる母を見た。

 その瞬間、リビングの方で、パチン! と、火の粉が弾ける音がした。

 それだけじゃない。空気が熱くなって、頬がむくむ。

 床に灯油が撒かれ、燃え広がっているのだ。

「一緒に逝きましょう」

 母は繰り返し言った。

「もう限界なの。もうだめなの…。もう、楽になりたいの…」

 包丁を深くまで刺そうとしたが、灯油と血でぬめり、刃がそれ以上動くことはなかった。

 僕は肘で母の顔を殴っていた。あれが、最初で最後の、僕の火事場の馬鹿力だった。

 母がひるみ、僕から離れる。その隙を突いて、顎を蹴り上げた。

 そのまま拘束から抜け出し、炎を横切って玄関まで走る。血の流れる背中に、母の叫び声が貼りついた。

「あああああ! 何なのよ! なんで母さんの言うことが聞けないのよ!」「産むんじゃなかった! 産むんじゃなかった! 産むんじゃなかった!」「殺してやる! 殺してやる!」

 そして、最後に聞こえた言葉が、今の僕を縛り続けている。

「あああああ! 一生恨むからな! お前なんて! 産むんじゃなかった!」

 父が頭金無しで買った一軒家は、母の凶行により全焼した。ローンがまだ、四十年残っていた時の出来事だった。

 首に一生残る火傷を負いながら逃げのびた僕は、失血性ショックを起こして、その場で気を失った。その一週間後に、病院のベッドの上で目を覚ました。

 担当してくれた綺麗なお姉さんに、母が死んだこと、これから葬儀を行うことを知らされたが、「まだ本調子じゃないから、休んでいようね」と言われて、行くことはできなかった。行ったとしても、母の死体を拝ませてはくれなかっただろう。

 そのため、僕は母の最期を見ていない。

 それ以来、僕の視界に、黒焦げになった女の姿が映るようになった。

 何をするわけでもなく、ふとした拍子に現れて、僕を黒い眼底で睨む。まるで、「お前のせいだ」「お前なんて産むんじゃなかった」と言われているようだった。

 僕だって思う。僕さえ生まれなければ、母は狂わなくて済んだ。

 僕があの時、母の顔を殴って逃げ出さなければ、一緒に死ぬことができた。

 後悔先に立たずとは、このことだ。

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