第14話 イリハの発表

 それから八日間、俺達はリーマン予想の証明を読み合ったり、考え付いた研究計画を相談し合ったりした。「し合う」と言っても、主に俺が二人に相談していたのだが。


 そして、いよいよ、発表の当日を迎えた。


 俺達は城の中に通された。執事みたいな服装の人に連れていかれたのは、高校の教室くらいの広さの部屋だった。大きな窓から太陽の光が淡く入ってきている。窓の下には金色に縁取られた椅子が七脚。俺達はそこに座るよう言われた。

 先客が一人いた。モルダカだった。一番端の椅子に座っていた彼は、俺達を見るなり意地悪そうに笑った。


「よう、お前らも来たのか」

「そりゃ来るだろ」


 モルダカの態度は以前と変わりないが、以前よりも不快さが減った気がした。たぶん、俺の方の認識が変わったからだ。事情を知って、同情しているのだ。


「お前も大変そうだな」

「な、なんだよ、急に」

「いや別に」


 答えながら、俺はモルダカの隣に座った。俺の反対隣に美法、その隣にイリハが座った。


「どんな研究を持って来たんだ?」

「そんなこと聞いてどうする? また盗む気か?」

「まさか。ただお前と仲良くしたいだけだ」

「なんなんだよお前、気持ち悪いな」


 モルダカだけでなく、美法もなんだか引いていた。失礼なやつだ。


 室内には、窓と反対の壁際にも椅子と長机があった。あそこに審査員が来るのだろう。

 しばらく待っていると、残り三人の候補者も入ってきた。順に、イリハの隣に座っていく。


 そのあと、年配の男女が五人、執事に連れられてやってきた。彼らは長机の向こうの椅子に座ると、俺達に挨拶した。


「こんにちは、諸君。王立中央研究所のクリス・ゴーバです。そしてこちらは……」

 ゴーバさんが四人を紹介する。たぶん、全員数学者なのだろう。

「まもなく王様がいらっしゃいます。到着されたら始めましょう」

 言うや否や、扉が開いた。鎧を着た兵士が入ってくる。そのうしろに、ひげをたたえた高齢の男性。遠くから何度も見た、あの国王だった。


「お待たせして申し訳ない。みんなそろっているね」

「準備万端でございます、ハトル王」

「ありがとう。では、早速始めようか。そちらの君から順に、よろしく頼むよ」


 国王は、最後に入ってきた候補者を指差した。まさかの、席順での発表である。


「はっ、はいっ、よろしくお願いいたします」


 指差された候補者は緊張した様子で立ち上がる。ゴーバさんにうながされて、部屋の中央へ立った。

 彼は終始緊張した様子で、十五分ほどの発表を終えた。俺にはさっぱりわからない発表だったが、審査員たちの様子を見るに、あまり大した内容ではなかったようだ。発表の後には質疑もあったが、興味を持っての質問というより、候補者に発表の補足をさせるための質問だった。

 二人目、三人目の発表者も、同様の感じだった。期待外れという雰囲気を、ありありと感じられた。


 ……本物の数学者、マジ怖え。

 言葉遣いも穏やかだし、候補者たちの緊張を汲み取って、なるべくリラックスして発表できる雰囲気を作ろうとしている。そういう優しさが見える一方で、数学的な内容については容赦がない。少しでも論理の飛躍があると、的確に指摘していた。

 俺は元の世界で、本物の数学者と対面したことがない。元の世界の数学者もこんな感じなのだろうか。


 でも、これを怖いと思ってはいけないのかもしれない。きっと、これが学問としての数学なのだ。彼らはその学問世界を生きていて、俺より何倍も真摯に数学と向き合っている。


 ふと、思う。


 俺は数学が好きだ。けれど、ここまで数学に誠実だろうか。最初の課題を早々に諦め、美法にカンニングさせてもらったのに?


「では次の方、お願いします」

「はい」


 その声にハッとする。イリハの声だった。

 イリハが立ち上がると、数学者たちの目つきが変わった。みんな彼女を知っているのだ。

 イリハはずっと、この視線にさらされてきた。偉大な数学者夫婦の子供として、クユリ人の代表として、どこまでのことができるのか。あらゆる人から、試すような目を向けられてきた。

 それは決して、慣れることのない視線だ。


「イリハ・アブサードです。よろしくお願いします」


 イリハの声は上擦っていたし、手も震えている。それでも彼女は、不安を見せることなく立っていた。


「“ト・トウツス”」


 呪文を唱えると、イリハの横に文字が現れる。いわゆる「発表スライド」だ。ただし、俺達の世界のパワーポイントのように、四角いウィンドウはない。空中に文字だけが浮かんでいる。


「私の発表は、『ジェロノ・アルゴリズムのファディオ予想への応用』です」


 発表タイトルを聞いて、モルダカが顔をしかめるのが分かった。イリハにも空気が伝わったと思う。それでもイリハは無視して発表を進めた。

 話すうちに緊張もほぐれてきたようで、五分もすれば堂々と言葉を紡いでいた。


 ファディオ予想というのは、俺達の世界には存在しない。発表内容から察するに、なんらかの方程式の整数解に関する予想のようだ。イリハはそれをガウス整数に広げ、ジェロノ・アルゴリズムで解こうと試みた、という発表であった。


「……以上のことから、複素ファディオ方程式のガウス整数解が、ジェロノ・アルゴリズムの応用で求まるが証明できました。すなわち、弱いファディオ予想が証明できました。このことは、一般ファディオ予想もジェロノ・アルゴリズムの応用で解けることを示唆します」


 イリハは最後のスライドを見せ終わった。


「発表は以上です。ご清聴ありがとうございました」


 イリハがお辞儀をすると、数学者たちが軽く拍手をした。これまでの三人はなかったことだ。


「発表ありがとうございます。やぁ、これはすごい。弱いファディオ予想の証明ですか」

「これはもう、他で発表してるんですか?」

「論文を提出済みで、査読待ちです」


 こっちの世界にも査読とかあるんだ。

 というか、ガチの研究結果を持って来たんだな!? イリハの本気具合がうかがえる。


「では、ひとつ質問を。弱いファディオ予想といえば、最近バッツ氏による研究もありましたが、それとの関連は?」


 数学者たちからの質問にも、イリハは丁寧に答えていく。その受け答えにもそつがない。ほとんどの質問を想定してきていたのだろう。


「質問はそんなところかな。イリハ・アブサードさん、ありがとうございました」

「ありがとうございました」


 イリハは再びお辞儀して、席に戻った。


 やばいな。この雰囲気、完全にイリハの勝ちだ。俺達が何を発表したところで、イリハより上位になれることはないだろう。

 しかし、討伐隊に選ばれるのは一人とは言っていない。「若干名」と言っていた。イリハと俺が選ばれる可能性もまだ残っている。それに賭けよう。


 次は美法の番だ。美法も部屋の中央に立つと、お辞儀した。


大鉾おおほこ美法です。よろしくお願いします」


 美法は指を鳴らして、スライドを召喚した。それだけで、国王は目の色を変えた。この審査は優秀な数学者を選ぶと同時に、魔王に対抗できる有能な魔法使いを探す場でもある。その基準で言えば、美法は間違いなく合格ラインだ。


「私の発表はこちらです」


 美法がスライドに視線を向ける。全員の目がそちらを向いた。


 実は、俺は事前に、美法の発表内容を聞いていた。四日前、発表内容の相談をしに行ったら、美法は既にスライドを作り始めていたからだ。

 そのとき美法と交わした会話は、いつまでも俺の脳裏にこびりつくことになった。あまりにも衝撃的な内容だったから。


 美法がスライドの文字を読み上げた。


「『リーマン予想が予言する、新たな魔法の存在について』」

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