第12話 イリハへの個別指導
屋敷に戻った俺達は、食堂で作戦会議を始めた。
「独自性と新規性のある研究発表を八日で用意する」
それが、最後の課題。
「無理じゃね?」
「無理だな」
「無理でしょうね」
満場一致だった。
「前回も無茶な課題だったし、なんなんだあの王様は! これも魔法でなんとかなるのか!?」
「研究ができる魔法は存在しません」
イリハは真面目に答えてくれた。
それを聞いて、美法は足を組んだ。
「なら、おそらくあの国王も、八日で研究が不可能なことはわかっているだろう」
「なのにこんな課題を出した。これは矛盾だ。よって背理法により、あの王様は八日で研究が可能だと思っている!」
久々に背理法が使えて、俺は気持ちよくなっていた。ほくほくしている俺を、イリハがピンと来ない顔で見つめている。
美法が俺を無視して続けた。
「国王の意図は明らかだ。普段から数学の研究をしている人間を求めているんだ。一流の数学者なら、常に発表できそうなネタの一つや二つ、ストックしているものだろう」
「そうなのか?」
数学者の卵であるイリハに聞いてみた。
「ストックしているかどうかは知りませんが、常に複数の研究を抱えているのはたしかです。その中には、発表できるものもあるでしょう」
「イリハも?」
「はい。まだ発表できる段階ではありませんが、八日で少しでも進めればなんとかなるかと」
なるほどなぁ。
たしかに、俺も常に頭の片隅に、数学の問題がいくつか入っている。暇なときとかに取り出して、ころころ転がして、またもとの引き出しに戻すのだ。
だから、これらの問題のどれかを発表すればいいのかもしれないが……重大な問題点がある。
「俺らの研究って、この世界で新規性があるのか?」
この世界の数学は、明らかに、俺達の世界の数学より発展している。
つまり、この世界で新規性のある研究をするなら、まずこの世界の数学を知らなきゃいけない!
それも、たった八日で!
「絶対にないということはあり得ないはずだ」
二重否定だ。つまり、あるってことだ。
「どうしてそう言い切れる?」
「この世界の数学がいかに巨大でも、あっちの世界の数学を、完全に包含しているとは考えにくいからだ」
そう言いながら、美法は空中に円を二つ描いた。
ベン図だ。
大きな円が「この世界の数学」で、小さな円が「俺達の世界の数学」。二つの円はほとんど重なっているが、小さな円が少しだけ、大きな円からはみ出ている。
「この小さくはみ出た部分は、この世界から見て新規性になる。これを見つけられれば課題はクリアだ」
「そう言われてもな……俺達はこの世界の数学を全く知らない。何がはみ出ているかを八日で調べるのも難しいぞ」
「その通りだが、幸い、私達は既に一つ、円からはみ出ているものを知っている」
あ、そうか。
「背理法か!」
「そうだ。背理法は、この世界にとって完全に新規性のある概念だ。だから、背理法をこの世界の数学者に納得させる発表ができれば、この課題はクリアできる」
俺と美法は、ゆっくりとイリハを見た。
「つまり、イリハに納得させることができれば」
「私達の勝ちだ」
「え、私ですか」
それから俺達は、何時間もかけて、イリハに背理法を説明した。
***
全く理解を得られなかった。
「論理的な構造は理解できたと思います。ハイチュウリツ? ニジュウヒテイジョキョ? というのを認めれば、たしかに論理的には成立するようですが……」
「認められない、か……」
「はい」
俺と美法はぐったりしていた。
個別指導でこれだけやって理解を得られないのなら、発表形式ではもっと無理だろう。
「どうして認められないんだ?」
息も絶え絶えに聞くと、イリハは真剣に考えてくれた。
「なんて説明したらいいのでしょうか。うまく言えませんが、その法則は、あまりにも人工的だと感じます」
「人工的……」
「どんな命題Aであっても、
「う~ん……」
強力。強力だろうか。
いや、たしかにそうなのかもしれない。
俺達の世界では、実に多くの定理が、背理法を使って証明される。背理法なくして数学なんてほとんどできないと言っていい。背理法は、そのくらい強力な証明法だ。
そして背理法の論拠は、排中律だ。背理法が強力なのだから、それを生み出す排中律は、もっと強力だろう。
イリハはこの短時間で、そのことを見抜いた。というより、直感的に感じ取った。おそらくそれは、彼女の数学的感性が働いたからだろう。
それほどまで数学の能力があるにもかかわらず、イリハは排中律も二重否定除去も受け入れられないのだ。
やはりこの世界の人間は、俺達の世界の人間と、何かが決定的に異なっている。精神的、哲学的、あるいは本能的な、何かが。
「諦めて、この世界の数学を勉強するしかないか。そのうちに何か思いつけるかもしれないし」
「基礎から学びたいところだが、時間がないな。最先端の数学を手っ取り早く身に付けたい」
「無茶なことを言いますね」
「いや、美法の言う通りだ。俺達には時間がない。最先端の数学を学んだ上で、そこから一歩進むしか手がない。この世界の最先端の数学っていうと――あ」
俺は、すっかり忘れていたあることを思い出した。
あの日からずっとバタバタしていて、読む時間が全くなかった。そうこうするうちに、忘れてしまっていた。あんなに重要なことを。
この世界の最先端の数学と言えば、あれだ。
イリハと出会うきっかけとなった、あの本。
「リーマン予想だ! イリハの両親が書いた、リーマン予想の証明を読ませてくれ! それを研究するしかない!」
「別に構いませんが、前に読もうとして諦めていましたよね?」
「もう一度挑戦させてくれ!」
「わかりました。ちょっと待っていてください」
そう言って、イリハは自分の部屋に本を取りに行った。
戻ってきたイリハの手には、例の青い表紙の本。
ついにこの本を、読めるときが来た!
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