第2章 異世界に行ったら計算機がなかった

第6話 王国からの知らせ

 あれから数日が経った。


 住む場所のなかった俺は、美法みのりの豪邸に居候することにした。イリハの両親も「助けてくれたお礼に」と部屋を貸そうとしてくれたのだが、とある理由で断ることになった。


 この数日の間に俺は、イリハと美法からこの世界について色々と教わったのだが……背理法の次に衝撃だったのは、美法のことである。


「え、この家、あの女神にもらったのか?」

「そうだ。ちょうど空き家がある、と言ってな。私が最初に転移したのもこの家の中だった」

「俺は市場のど真ん中にポンと放り出されたんだが……」

「金庫にも大金があって、一年くらいは余裕で過ごせそうだった」

「俺は巾着袋に硬貨が入ってただけなんだが……」

「チート能力ももらった。私は物体に魔力を付与できるが、これができるのは数百人に一人らしい」

「俺は魔法があるってことすら教えてもらえなかったんだが……」

「あと、私は指を振るだけで魔法を使えるが、詠唱なしで魔法が使えるのは歴史上でも数えるほどしかいないらしい」

「…………」


 な、なんだ、この扱いの差は!?

 どうして俺にはなんにもくれなかったのに、美法にはこんなに至れり尽くせりなんだ!?


「おそらく、私が魔王退治に行かなかったからだろうな。チート能力を与えると言うことを聞かなくなる、と神が学習したんだろ」

「あいつ、神のくせにそんなことも予想できなかったのかよ!」

「ふむ。たしかに妙だな。神でも人間の行動は予知できないのかもしれないな」

「そんなことあるかなぁ。……っつーかお前も原因だからな!? お前が素直に魔王退治に行っていれば俺はこんな目に……ん?」


 いや、待てよ。

 よく考えたら、美法は俺の命の恩人ってことにならないか?

 もし美法が素直に魔王討伐に向かっていたら、あの女神はもう一人連れて来ようなんて思わなかったはずだ。そしたら俺は、あの交通事故でそのまま死んでいた……。


「美法。どうもありがとう!!!」

 俺はその場で土下座した。


 ちなみに、俺は魔法がほとんど使えなかった。イリハの言う通りに呪文を唱えても、子供でも使えるごく簡単な魔法すら発動しなかった。すると、


「ジュンタローさんは、神様への敬愛が少なすぎます!」


 と、なぜか怒られた。

 イリハによると、魔法というのは、神の力を借りて行う奇跡なのだという。そのため魔法を使うには、神への敬愛が必要なのだそうだ。

 日ごろから祈りを捧げたり、貢ぎ物をしたりして、いわば「徳」を溜めることでより強力な魔法を使えるようになるらしい。


 それから俺はもうひとつ、美法に気になることを聞いた。


「どうして美法は誘拐なんてしたんだ?」


 すると美法は、さすがに悪いことをしたと思ったのか、気まずそうに答えた。


「こっちの世界に来たばかりの頃は、まだ現実味がなくて……なんだかゲームの世界に入り込んだような気がしてしまっていて、彼らをリアルな人間だと思えなかったんだ」

 そんな言い訳から始まった。

「初めは情報を集めようと思っただけなんだ。そのためには識者を集めるのが早いだろうと思って、次々誘拐した。魔王の名を借りれば罪にも問われないだろうと思って、倫理のたがが外れたんだ」

「とんでもねぇな……」

「今は反省してる。で、すぐにこの世界には背理法がないことに気が付いた。そしたら他の学問がどうなっているのかも気になって、最初の目的も忘れて識者を片っ端から集めてしまったんだ」


 ハスキーボイスで男みたいな口調の美法だが、その時だけはしゅんとして、弱々しく見えた。

 やったことはとんでもないが、気持ちはわかる。突然こんな世界に、たった一人で放り出されたら、情緒不安定にもなるだろう。俺だって、イリハと出会わなければどうなっていたか。

 俺がそんな風に同情していたら、美法は急に目をキラキラさせた。


「それで分かったんだが、この世界は数学だけじゃなく、物理法則も私達の世界とは違うみたいだぞ! といっても、私はあっちの世界の物理をよく知らないのだが……。こんなことなら、数学以外の学問も勉強しておくべきだった。そしたら違いが分かって面白かっただろうに!」


 本当に反省してるのかこいつは?

 呆れながら俺は、数学研究部のたかしのことを思い出していた。もしあいつがこっちに来てたら、今の美法みたいな反応をしてただろう。いや、孝に限らず、有梨も賢一もきっとそうだ。数研メンバーはみんな、「自分が知らないこと」に対する好奇心が強いんだ。

 この世界にみんなもいたら、さぞ楽しかっただろうなぁ……。


 数研メンバーをこっちに連れてくることはできないが、俺があっちに帰ることはできる。そのためには、魔王を倒さなくてはいけない。魔王を倒すためには、魔王を見つけなくてはいけない。だが……。


 どうやって探したものか、俺はこの数日、ずっと悩んでいた。

 そして、「美法なら知っているんじゃないか?」という結論に至った。

 神から色んな援助を貰っている美法だ。魔王を見つけるための手がかりだって貰っているに違いない。

 食堂でお菓子を食べながら数学書を読んでいた美法に、俺はそのことを尋ねた。


「そういえば……たしか、城に行けと言われたな。落ち着いたらで良いから、城を訪ねろと」

「城? 魔王城のことか?」

「いや、おそらくこの国の王城のことだろう。魔王城や、魔王のいる場所は、私も聞いていない」

「ふぅん?」


 変な話だが、行くべき場所がわかったのはありがたい。早速準備して城へ……。

 と思った矢先、食堂にある小さなベルが鳴った。


「何の音だ?」

「インターフォンだ。おそらくイリハだろう」

「インターフォン? この世界にそんなものがあるのか?」

「もちろんだ。楯太郎だって最初に来たとき鳴らしたろ? 門の呼び鈴を鳴らすと、こっちのベルが連動して鳴るようになっているんだ」


 そういう仕組みだったのか。

 この世界には電気がない。代わりに、魔力が付与された家具や家電(家魔と言うべきか)がある。物体に魔力を付与できる人は数百人に一人だが、この国の人口は数千万人だから、単純計算で十万人がこうした家具を作ることができる。

 それらの家具は、ごく普通に店で売っている。付与魔法を使えない人は、そうした店で買うわけだ。


 俺たちは玄関ホールにイリハを迎えに行った。


「ただいま戻りました!」

「おかえり、イリハ」


 元気にイリハが帰ってきた。

 そう、イリハは。遊びに来たわけじゃない。彼女もここに住むことになったのだ。

 俺がイリハの家に住まなかったのは、これが理由だ。彼女が、

「こっちの家で、三人で暮らしましょう! 異世界の数学の話、たくさん聞かせてください!」

 とせがんだからである。


 目の前の家なんだから、一緒に暮らさなくてもいつでも会えるのでは? と言うと、イリハは真剣な目をした。


「私、今回生まれて初めて一人暮らしをして、とても心寂しくて苦労したんです。ですから一度、親元を離れて、自分たちだけで生活してみたいと思ったんです!」


 と大変立派なことを仰った。

 まぁ、その原因を作った奴が、この家の主なんだが。


「ジュンタローさん、ミノリさん。ビッグニュースです!」

 玄関ホールに入って来たイリハは、俺達の姿を見つけると、一枚の紙を差し出した。A4サイズくらいのチラシだった。

「国王が、魔王討伐の協力者を募集しているそうですよ!」

「協力者?」


 要約すると、次のような内容だった。


 魔王はこの数百年間、何度も復活しては、そのたびに封印されている。

 この度、二度と解けない封印を作るために、を募集している。

 集まった者に数学の試練を課し、クリアした若干名を協力者とする。

 もちろん、謝礼も弾む。


「数学? なんで?」

「歴代の魔法使いたちの封印魔法には、脆弱性がありました。魔王は何十年もかけてその脆弱性を看破し、封印を破ってきたんです。そこで国王はついに、この国で最も優れた数学者を見つけることにしたんです」


 意味がわからん。


「なんで魔法に数学が必要なんだ?」

「え? だって、魔法ですから」

「んん?」


 俺とイリハのすれ違いを見て、美法が説明した。


「封印魔法という魔法は、存在しないんだ。代わりに、別の多くの魔法をうまく組み合わせることで、封印を実現している」

「その組み合わせを見つけるのに、数学が必要ってことか?」

「そうだ。この世界の魔法は、プログラミングに近い。単純な魔法を実現する無数のコマンドが用意されていて、それらを組み合わせて複雑な現象を起こせるようになっているんだ」


 なんだそりゃ。

 魔法というからには、頭で思い描いたことがそのまんま実現されるのだと思っていたが……。


「じゃあ、イリハが魔法を使うときに呟いてる呪文が、そのコマンドなのか?」

「ああ。慣れればかなり複雑なこともできるようになる」

「神様への敬愛が少ない人は、使える呪文が少なかったり、一度に重ねられる呪文の数に限りがあったりするんです」


 ジュンタローさんのように、とイリハは俺を睨んだ。


「今度教会にでも行くよ」

「そうしましょう!」


 適当に言ったのだが、どうやらこの世界には教会があるらしい。

 なんにせよ、これは渡りに船だ。要はこの数学コンテストを勝ち抜いて、魔王討伐隊の一員になれば、元の世界に帰れるってことだろ?


「それで、どうすれば応募できるって?」

「明日、王城に集まればよいそうです!」

「オッケー。じゃあ明日に向けて、準備するか!」


 俺は拳を握って、気合を溜めた。

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