第5話 魔王との対決

 翌朝。俺とイリハは、アブサード家の向かいの家の前に立っていた。

 デカい豪邸だと思っていが、まさか魔王城だったとは。見た目は城というより屋敷だが。


「数年前から空き家だったのですが、いつの間にか魔王が住み着いていたんです」


 お化けか野良猫みたいな言い方だな。


「それでは、行きますよ」


 イリハは、門に付いた呼び鈴を鳴らした。

 チリンチリン、と小さな音が鳴る。こんなので中まで聞こえるのだろうか。


 俺の心配をよそに、門がひとりでに開いた。俺たちは恐る恐る、中へと入っていった。


* * *


 デカい玄関扉も自動で開き、俺たちはホールに入った。

 そこに立っていたのは、一人の少女だった。


「あなたは? 魔王さんの手下ですか?」

「いや。私が魔王だ」


 少女はそう答えた。

 ……え、こんな少女が?

 どこからどう見ても、ただの人間だ。見た目の年齢は、俺と同じくらい。この国では珍しく、黒い髪をしている。あまり手入れしていないのか、少しぼさっとしていた。

 着ている青いワンピースの生地は滑らかで、いかにも高級そうだ。そこだけは魔王らしいかもしれない。


「いきなり魔王さんのお出迎えですか。堂々としていますね」

 イリハは強気に凄んでみせた。震える手は背中に隠していた。

「そう怖がるな。こっちへ来い。客間に案内してやる」

 俺たちは魔王に言われるがまま、隣の部屋へ移動した。


 そこはまさに客間だった。ソファが二つと、テーブルがひとつ。こっちの世界でも客間といえばこういう構造なのか。

 魔王はソファに堂々と座ると、足を組んで俺たちの顔を眺めた。


「よく来たな。改めて挨拶しよう。私が魔王だ。二人の名前は?」

「わ、私は、イリハ・アブサードです」

「アブサード!」


 魔王は目を輝かせた。


「もしかして、アブサード夫妻の?」

「はい。私の両親を、返してもらいに来ました」

「なるほどね。で、そっちの彼は?」


 魔王が俺を見る。


「俺は、立神楯太郎だ」

「なに?」

「立神、楯太郎」


 この世界では変わった名前だろう。もう一度ゆっくり発音すると、

「いや、わかった。一度言えばいい」

 と魔王は手で制した。


「ふん、まぁいい。誰でもいいと言ったのは私だからな。じゃあ、問題を出す」


 いよいよだ。

 魔王が空中で指を振ると、半透明のウインドウみたいなものが空中に現れた。そこに文字が書かれている。

 それはこの世界の文字で、俺には当然読めなかったが、その意味は日本語のように理解できた。


『フェルマーの最終定理を知らないものとして、次の命題を証明せよ。

 0でない整数x,y,zがあり、x^3+y^3=z^3が成立しているとする。このとき、x,y,zのうち少なくとも1つは3の倍数である』


 え?

 こ、この問題は……。


「なんですか、この問題は!」

 俺の横で、イリハが激昂した。

「フェルマーの最終定理より、x^3+y^3=z^3は成立しません! 問題不備です!」

「ま、君らの数学観ではそういう理解になるだろうな」


 二人の口論を聞いて、俺はあることに気が付いた。

 魔王とイリハで、言葉の聞こえ方が違う。

 魔王の言葉は、翻訳されていない。

 こいつ……日本語を喋っている!? 


「君の言い分はわかった。で、そっちの彼……楯太郎はどうだ?」

「ジュンタローさん、解けますか!?」


 二人の声で、俺はハッとなった。そうだ、まずは目の前の問題を解かないと。


「安心しろ、イリハ。このくらい簡単に解ける。使

「は、ハイリホウ? 例の、あの?」


 俺は深呼吸すると、解答を一息に述べた。


「x,y,zがいずれも3の倍数ではないと仮定する。すると、z^3を9で割った余りは1か8になる。一方、x^3+y^3を9で割った余りは0,2,7のいずれかになる。したがって、これらが等号で結ばれることはあり得ない。これは矛盾だ。よって、x,y,zの少なくともひとつは3の倍数である。これでどうだ!」


 魔王は長いため息を吐いた。

 イリハがハラハラしながら俺と魔王を交互に見ている。

 魔王が、重々しく口を開いた。


「……正解だ。約束通り、人質は解放しよう」

「本当ですか!? やったー!!」


 飛び跳ねて喜ぶイリハを尻目に、俺と魔王は目を合わせた。二人の間に、ある種のコンセンサスが生まれていた。


「魔王。聞きたいことが色々あるが、まずは名前を聞かせてもらおうか」

「そうだな。名乗るべきだろう。私の名前は、大鉾おおほこ美法みのりだ」

「やはり……日本人!」


 だから日本語を喋れるんだ!

 それに今の問題。あれは、1998年に信州大学で出題された超有名問題なのだ。俺も美法も、それを知っていた!


 俺たちは立ち上がると、ゆっくりと近づいた。

 思い詰めたような表情で目の前に立つと。


 ガバッと抱き合った。


「よかった〜〜〜〜!!」

「背理法が通じる人間が見つかった〜〜〜!!」

「わけわかんなかったよぉ〜〜〜! なんなんだよこの世界は〜〜〜!!!」


 俺たちは抱き合ったまま、泣き叫んだ。


 ああ、良かった!

 本当に良かった!!

 俺と同じ状況の人がいてくれて!!

 こんな世界にずっと一人きりだったらどうしようかと、俺はずっと不安だったんだ!


 俺たちはわんわんと泣き続けた。


***


「ははぁ、お二人とも、異世界からいらしたと……」


 俺たちはイリハに事情を話した。

 元々は背理法のある世界に住んでいたこと。事故で死亡し、神によってこちらの世界に転移させられたこと。そのすべてを話した。


「なるほど、それでジュンタローさんは時々変な論理を使っていたんですね」

「変って……俺も驚いているんだよ。数学は宇宙の共通語だっていうのに、こっちの世界じゃ通じないんだから」

宇宙共通ユニバーサルであっても、多宇宙共通マルチバーサルではなかったってことだろうな」


 美法がシニカルに笑った。


「というか、イリハは俺たちの話、信じるのか?」

「はい。荒唐無稽ですが、お二人は聞いたことのない言語を話していますし、異界から物体を召喚する魔法は存在します。神様の力なら、人間を召喚することも可能でしょう」

「……神の存在を信じているのか?」


 イリハはキョトン、とした。それから、ふふふ、と笑った。


「大昔の人みたいなこと言いますね。信じるも何も、神様はいますよ」

「そ、そうか」


 意外だ。この世界じゃ、構成できないものは信じなさそうなのに、神は信じるんだな。


 ま、いいか。気になることはたくさんあるが、もう気にする必要はない。

 だって、これで。


「これで、元の世界に帰れるーー!」


 俺は喜びの声を上げた。

 すると、足を組んでお茶を飲んでいた美法が、「ん?」と首を傾げた。


「楯太郎は元の世界に帰りたいのか?」

「ああ! 美法は帰りたくないのか?」

「私は別に。あんな世界、未練はないさ」


 クールな奴だな。元の世界でよっぽど嫌なことでもあったのだろうか。


「で、なんでこれで元の世界に帰れるんだ?」

「さっき言ったろ。魔王を倒したら帰してやるって、神に言われたんだ。美法は言われなかったのか?」

「言われたな」

「だろ? そして今、俺は魔王を倒した! だから帰れ……る…………あれ?」


 お茶をすする美法を見た。

 こいつも魔王を倒すように言われた?

 どういうことだ? こいつが魔王なんだよな?


 美法は空のグラスをテーブルに置くと、俺を見上げた。


「私も魔王を倒すように言われた。あのときは気が動転していて、倒すと約束したが……こっちに来てから気が変わった」

「おい、それって、つまり」

「ああ。私はだ。楯太郎が倒すべきは、他にいる」


 な、な、な……。


「なんだとぉぉおおおお!?!?」

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