第3話 異なる世界の異なる論理
「そうだなぁ。お前、名前は何だ?」
出題を考えていたはずのモルダカが聞いてきた。名前なんて聞いてどうするんだ?
「タテ……」いや待て、この世界の名前は、苗字が後っぽいな。「楯太郎、立神だ」
「ジュンタローか。よし、出す問題が決まった。この問題は、解けた召し使いが一人もいなかった問題だ。だから、お前にもきっと解けない」
誰も解けなかった問題? 召し使いが何人いるのかも、その人達の数学力がどのくらいなのかも知らないが、モルダカの顔を見る限り、相当難しい問題が出てくることは確かだ。
だが、数学なら俺だって負けていない。中学までは常に成績トップだったし、高校に入ってからは毎日数学研究部で数学をしていたんだ。こんな下らないヤンキー貴族の出す問題なんて、たちどころに解いてやる。
「準備はいいな? 問題だ」
モルダカが自信満々に出題した。
「今ここに、三人の人間がいる。三人の内訳は、男のモルダカ、男のジュンタロー、女のイリハだとわかっている。そしてモルダカは常に真実を言い、ジュンタローは常に嘘を言うこともわかっている。三人のうち二人が、残りの一人を指差し、『この人物は女だ』と言った。さて、指された人物は誰か?」
「……はい?」
なんだ、これは。数学の問題というから、てっきり整数論とか微分積分とかの超難問を出してくるのだと思ったが、まさかの論理パズルである。それも、ごく簡単な。
俺が戸惑っていると、モルダカは笑い出した。
「おいおい、困ってるのか? 論理魔法の詠唱すら忘れてるじゃねえか」
隣の少女を見ると、絶望の表情をしていた。
「君もわからないのか?」
「だって、こんなパズル……魔法をいくつ重ねがけすればいいかもわかりません」
さっきからよくわからないことを言っている。もしかして、頭が良くなる魔法でもあるのだろうか。便利だな、あとで教えてもらおう。
そんなことより、この問題を解いてしまおう。えーっと、三人のうちモルダカは常に真実を、ジュンタローは常に嘘を言い、イリハは不明。三人中二人が残り一人を「女だ」と言ったのだから……。
「指された人物はモルダカだ」
俺が答えると、モルダカは笑うのをぴたりとやめた。
「……なんて?」
「指された人物はモルダカだ。どうだ? 合ってるだろ?」
「……」
モルダカが仏頂面で、俺の胸に本を押し付けた。
俺がそれを受け取ると、
「チッ」
と舌打ちして、去っていった。
なんだったんだ、いったい。
しかし、無事に本は取り戻せた。
「あ、ありがとうございます……」
少女は釈然としない顔で、俺から本を受け取った。
「じゃ、俺はこれで」
俺はとっとと立ち去ろうとした。早く本屋に行って、同じ本を見つけないと。あの市場の屋台に売っていればいいのだが。
「待ってください!」
少女が俺の腕を掴む。強気な表情だった。
「聞きたいことが山ほどあります」
「お、おう。なんだ? なんでも聞いてくれ」
「そうですね……まずは自己紹介させてください。私はイリハ・アブサード。お察しの通り、あのアブサード夫妻の娘です」
いや、全然察せれてないんだが? なんで二人とも、俺が知ってる前提で話すんだ。
「あなたは、ジュンタローさん、でしたっけ。教えてください、どうしてジュンタローさんは、あのパズルが解けたんですか? それも、論理魔法すら使わずに」
さっきのパズルの話か。
「背理法を使っただけだよ。指された人物がイリハだと仮定すると、嘘つきのジュンタローは『男だ』と言うはずだから矛盾する。指された人物がジュンタローだと仮定すると、真実を言うモルダカは『男だ』と言うはずだから矛盾する。よって、指された人物はモルダカだ」
一気に説明すると、イリハは首を傾げた。
「あの、ハイリホウってなんですか?」
「えっ」
し、知らないのか、背理法!
いや、知らない人もいるか。俺にとっては常識だが、日本では高校に入るまで習わない。イリハは俺と同い年くらいに見えるが、差別を受けているようだし、まともな教育を受けていなくても不思議じゃない。
ん? でも、それならどうしてリーマン予想の本なんて持ってたんだ? そんな本を読めるレベルの人間が、背理法を知らないとは思えない。
「背理法ってのは、数学における証明方法のひとつだ。イリハは、数学は詳しいんだよな?」
「そうですね、一般の人よりは詳しいと思います。家にある数学書は全部読んでいますし。でもハイリホウというのは初めて聞きました」
ますますわからない。背理法が出てこない数学書なんてあるのか?
「どういう証明方法なんですか?」
「導きたい命題の否定を仮定して、矛盾を導く論法だ。矛盾が出てくれば、仮定が間違っていたことになる。命題の否定が間違っていたんだから、正しいのは否定の否定、つまり導きたかった命題が正しいってわけだ」
イリハはまた首を傾げる。まぁ、いきなりこれだけ聞いても、わかるわけないよな。
「そうだな、なんか適当な例を……。じゃあ、素数が無限にあることを証明しよう。素数は知ってるよな?」
「はい」
「よし。いま、素数は無限にない、つまり最大の素数Pがあると仮定する」
「素数は無限にありますよ?」
「だから、仮定なんだって。最大の素数Pがあると仮定するんだ」
「最大の素数が得られたと仮定する、ということですか?」
「なんかちょっと違う気がするけど……とりあえずそれでいい。それで、すべての素数をかけ算した値をSとする。ここに1を足して、S+1という数を考えよう。この数は、Pよりも大きな数だよな?」
「Sが無限だからですか?」
「いや、だから、今は素数は無限にないんだって。最大でもPまでなんだから、それらの積は有限の値を持つ。だからSもS+1も有限だ」
イリハはどうもピンと来ていないようだ。この説明じゃダメだったか?
しかし難しい顔をしながらも、
「P以下の素数の積に、1を足せば、Pよりも大きな数になる……そうですね、そこは正しいです」
と、ひとまずの納得を見せてくれた。
「よし、それでいい。いま、S+1は絶対に合成数だ。なぜなら、最大の素数Pよりも大きいから、素数ではあり得ない。当然、1でもない。よって合成数だ」
「え? でも、S+1は割り切れませんよね? Sは素数の積ですから、S+1はどの素数で割っても必ず1余ります」
「そう! その通りだ! S+1は合成数なのに、どの素数でも割り切れない。これは矛盾だ。よって、最大の素数は存在せず、素数は無限にある!」
「はぁ、なるほど、それがハイリホウですか」
わかってもらえた!
そう思ったのだが、イリハはやはり首を傾げる。
「それは、まぁ、矛盾からはどんな命題も導けますから、そうでしょうね」
「そぉーじゃねぇーんだよぉーーーー!!」
なんなんだ、この子! どう考えても数学能力は低くない! S+1が割り切れないことに瞬時に気づけるのに、どうして背理法を理解できないんだ!?
考えてみれば、モルダカもなんであんな簡単な問題を出したんだ? もしかして、あいつも背理法を知らないのか?
「第一、そんな面倒なことをしなくても、素数が無限にあることなんて簡単に証明できます」
「へ、へぇ、どうやるんだ?」
俺は半ば自棄になりながら聞いた。
とはいえ、興味もあった。おそらくイリハは、数学を体系的に学んでいない。しかし数学の素養はある。その状態で、どうやって素数の無限性を証明するのか?
「“ハイアラワル”、出でよ、ペン」
イリハが呪文を唱えると、彼女の手の中に箸みたいな木の棒が現れた。
「素数が無限にあることは、これで証明できます」
イリハは俺の横に立ち、指揮者みたいに棒を動かした。すると、空中に文字が書かれていく。
なんだこれ、めっちゃ便利だな!
興奮しながら文字を追う。
もちろん見たことない文字だったが、俺の頭は自動でそれを変換した。
それは数式だった。数式そのものは“翻訳”されなかったが、それぞれの記号の意味は理解できた。これが「=」で、こっちは「+」だ。
長く複雑な式だった。全く見たことのない数式だった。
だが、俺にはわかった。
「素数の一般項だああああああーーーー!?!?!」
イリハがびっくりして飛び上がった。
「ど、どうしたんですか?」
「なるほどね! この変数に自然数を代入すれば、n番目の素数が得られるわけだ! そして自然数は無限にあるから、素数も無限にある! って大道具すぎるわっ!!」
「なんなんですか、さっきから」
こっちが聞きたい! なんなんだ、この世界の数学は。素数の一般項が知られ、リーマン予想も解けているのに、背理法がない? そんなバカな話、あるわけない!
「なぁ、本当に知らないのか? 背理法だぞ? もしかして当たり前すぎて名前がついていないのか? それとも翻訳がバグってるのか?」
「翻訳魔法のバグですか? ありえますね。ジュンタローさんの話す言葉は、先ほどからたまにおかしいです」
「やっぱりそうなのか。しかし困ったな。俺が翻訳してるわけじゃないし……」
イリハは難しい顔で首を傾げる。
「ですが、翻訳以前に、論理がおかしい箇所があります」
「どこだ?」
「たとえば先ほどの素数の無限性の証明ですが、あれは証明になっていません。だってあれでは、素数の構成方法がわかりません。証明が意味を持つのは、対象の構成方法が示される場合、かつその場合に限ります。これは、数学の大原則です!」
「……!!」
な、なんだって?
今の説明、聞き覚えがあるぞ。
そうだ、前に数学研究部で、賢一が話していた。
俺たちの知る「論理」は、あくまでいくつもある論理のうちのひとつにすぎない。異なる前提を用いた、異なる体系の論理も考えることができる。
イリハの説明は、そのときに聞いた論理のひとつ……直観主義論理だ!
俺たちは、論理を使って数学をする。
俺たちは数学を正しいと思っているが、その正しさは、論理の正しさによって保障されている。
では、論理の正しさは、どうやって保障すれば良いだろう?
その方法のひとつが、「それを構成する方法を示すことができる」という考えだ。ある命題P(x)があるxについて成り立つことを示すには、そのようなxを構成する方法を示せばいいし、示さねばならない。素数が無限にあることを示すには、実際に、無限個の素数を構成する方法を示す必要があるのだ。
言ってみれば、「論理の正しさ」を、「人間がそれを確かめられるかどうか」に依拠したのだ。この考えに基づいた論理を、「直観主義論理」と呼ぶ。
直観主義論理は、俺たちが普段使う「古典論理」と似ている部分もあるし、異なる部分もある。
その中でも、最も大きく、最もわかりやすい違い。
それが、背理法の有無。
背理法は、命題の否定から矛盾を構成する。従って、背理法で得られるのは「矛盾の構成方法」であり、命題そのものの情報は一切得られない。直観主義にとって、これは証明でもなんでもない。
だから、直観主義論理には、背理法が存在しないのだ!
「なんてことだ……」
俺は膝から崩れ落ちた。
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