スカルペア
「お嬢様!」
私の右手が上がったことによって、アウローラが察してしまったのだろう。
控えていた場所から、大声を上げる。
私は振り返ってアウローラをちゃんと見据えると、「大丈夫だ」と伝えるためにあげた右手を掲げて見せた。
そして、改めて妃殿下へと向き直って立ち上がる。
「私の侍女が失礼しました。私を思っての事ですので、ご容赦いただきますようお願い申し上げます」
私はそう言って深々と頭を下げた。
「え? ええ、それはもちろん……あ、あのそんなに?」
いきなりこんな風に話が大きくなったことで、妃殿下もびっくりなさっているようだ。
ただ、これぐらい大きくなった方が見せ甲斐があるというものかもしれない。
何しろ、こんな女と婚約、そして結婚となったらクーガーは王家の一員として、絶対に表舞台には立てない。
それなら妃殿下も改めてクーガーを除こうとは考えないだろうし。
「ええ、大したことではないのです。ただ、私の右目がかなり見苦しいだけで」
私はもったいぶるように、逆にそう答えながら、改めて右目を覆っていた前髪を上げた。
瞬間、妃殿下の喉から「ヒィ」と小さく悲鳴が聞こええてくる。
ああ、やっぱりそうなるか。私もいちいち確認はしないので、少しはマシになってるかとも思ったけど、そううまくは行かないわね。
「それは……スカルペア……だね?」
か細い声で、ルティス殿下からそんな風に尋ねられた。
私は前髪を元に戻し、小さく頷いた。
「ええ。殿下よりも随分マシですけど」
「うんそうだね……そういう捉え方もできる。だけど君の方がより深刻だと捉えることも出来るのかもしれない」
それはどうだろうか?
“
その点、私は顔に傷がついただけ。それ以外は何も問題なく健康。
ただ、女の身でこの顔の傷はねぇ……確かに殿下の言うように、深刻だと捉える者が多いのかもしれない事も理解できるわね。
~・~
スカルペア。
二十年ほど前に神聖国で発生した伝染病。
その名の通り、身体に「ひっかき傷」が生じてしまう病気だ。
この病気については色々わかっていることもあるんだけど、ある程度は治療法というか予防法も判明しつつある。
だがそれが見えてきたのはごく最近で、わかってない頃は無茶苦茶な対処法とか、何の根拠もない理屈がまかり通ったりしていた。
特に最悪な対応をしたのが神聖国だ。
それも国を挙げて。
神聖国は神ヘリアンサスのみを唯一神として崇めてるんだけど、スカルペア罹患者は「ヘリアンサスを崇めなかったことによって神罰を受けたもの」なんて言い出したものだから、考えるまでもなく大混乱。
そして罹患者を追い立てて、ゾウナ河を渡らせ――ルースティグ領に捨ててきた。
それだけが原因ではないけど、ルースティグ領を中心として王国にも再びスカルペアが蔓延し始めたらしいわ。
私は子供の頃なので、当時スカルペアが国にどれほど猛威を与えていたのかはわからない。体感は出来ていない。
だけど失くしたことだけはわかる。
母上がいなくなってしまった。クーガーの父上――今となっては養父になるんだろけど――もお亡くなりになった。
アウローラの夫も子供も死んでしまった。
ルースティグ領では家族を亡くしたものが多い。隣接しているニガレウサヴァ領もかなり亡くなった人がいると聞いている。
そして生き延びた者たちにも傷跡が刻まれた。
兄上は殿下と同じで身体の中に。今は疲れやすいぐらいしか影響がないみたいね。
父上は、両方の頬に引き攣れたような傷跡が残ったので、それを隠すためにあのおかしな口髭を生やし始めた。
……絶対あの長さはいらないと思うんだけど。
あれは父上が、民を安んじるために、あんなふうにしたんだと思っている。
スカルペアの傷跡は酷いからね。
だから私の傷跡も酷いはず。
幸い失明という事にはならなかったけど、右目の付近は特に悲惨なことになっているらしい。
だから私はそれを前髪で隠して、それから注意をそらすために、大げさな耳飾りをつけるようになったというわけ。
――私が神聖国に対して含むところがあることもこれが理由だ。
~・~
スカルペアについては、当然王族の方々にも苦心の記憶があるようで、私が傷跡を見せたことで、一気に気安くなった。
ルティス殿下なんか、今でも苦労為されているわけで、さらに気安くなったと言えるだろう。
妃殿下の口ぶりも優しくなった。
羽扇で顔を隠すことも無くなっている。
ああ、やっぱり苦労なさっておいでのご様子。
結構しわが目立つわね。それに金髪だと思っていた御髪にも白いものが。
こうなると、ルティス殿下に確実に王位を継いでほしいと画策するのも、わかってしまいそうになるわね。
私のそんな想いがちょっと溢れてしまったのだろう。
妃殿下との距離も少し狭まった――
「……ところで、そなたの傷跡とクーガーという子にはどういう関連が? そういう話だったでしょう?」
あ、そうだった。
私はまたクーガー独自の理論を説明しなければならなかったのだ。
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