王太子フォルティスコルデ
尊き身分のイラッハ伯を「賊」呼ばわり。
到底、許されるものではない。これを許してしまえば王国の秩序の基本である身分制度に歪みが生じてしまう。
もちろん、キンモルの証言は「湖の宮殿」の外に漏れるものではない。
ただ、その発言を聞いた王国のお偉方が憤懣やるかたなくなってしまったのも仕方のない話ではあるのだ。
そして、それを周りの者たちが察して問題にしようとしている動きがあった。
だが、この時同時にイラッハ伯に仕える兵士が問題のクンシランに協力していたことも明らかになっている。
「賊」は言い過ぎにしても、イラッハ伯の脛が傷だらけであることも確かなことなのだ。
迷う王国首脳部。
そこにさらに飛び込んでくる報告は「クンシラン逃亡」と「ソシオ城の混乱」である。
これは王国首脳部の混乱ぶりを示すものでもあるわけだが、この時まで、
――イラッハ伯はどうやって攫われることになったのか?
という疑問を持たないまま、事態を把握しようとしていたのである。
「ソシオ城の混乱」についての報告が無ければ、ずっと肝心な情報が欠けたまま事態を把握しようとしていたわけだ。
「湖の宮殿」のソシオ城の混乱が伝染したようなものである。
そして、この事態の厄介な部分はきちんとした報告書が作成されても、その混乱が収まらないことだ。
事実が報告書には並べられているはずなのに、誰もそれを理解できない。どうしたら報告書のような状態が出来上がるのか想像できない。
しかし「イラッハ伯拉致」と同じように、結果だけは確かに残っている。
たった二人の兵士に、いや実質たった一人に城が陥とされてしまったという結果が。
王国首脳部はその報告が本当なのか? と、それを確かめようとした。
いや、その報告が否定されるまでひたすら調査を続ける可能性もある。
だが、そんな無駄な時間と労力を費やすことに「待った」をかける者がいた。
ありがたいことにその人物は王太子フォルティスコルデ――ルティスである。当然、王宮においての発言力は強い。
事態が報告され、それが一月ほど経過したのちルティスは会議の席でいきなり断言した。
「――イラッハ伯は『賊』という事で問題ないでしょう」
と。
濡れたような黒髪に、翡翠の瞳。整った顔立ちではあるが、どこか病的に見える――実際病弱ではあるのだが――面差し。
飾り立てた衣服を身に着けるのも、体に障ると言いたげな簡素な装いで、しかも白を好むのでますます病人に見える。
だが、その頼りなさは頭の働きにまで影響を与えることはないようで、病弱の身でなければ善き王になるだろうと言われている若者であった。
そんなルティスがいきなり過激な発言をしたのである。
当然、会議は一気に熱を帯びた。ルティスはそれを抑える事もせずに、薬代わりのはちみつを舐めながら、発言者たちが疲れるまで沈黙を保つ。
やがて頃合いを見計らって、
「――イラッハ伯は帝国と通じている疑惑があります」
とさらに、とんでもないことを告げたのである。
今度も出席者が騒ぎ出して然るべき発言ではあるのだが、この時にはすでに皆、疲れ切っていた。
――特に、騒ぐ必要のある者たちは。
そこまで計算しての事か、ルティスは丁寧にイラッハ伯が南方の動乱を利用して富を得ていたこと。またそれは帝国と示し合わせていると考えた方が自然であることを説明する。
「さらにですね――」
イラッハ伯配下の者が半ば堂々とクンシランに補給を行おうとしている事についても言及。何故そんなことが出来るのか? と、考えれば、
「イラッハ伯は得た富で自分の味方を増やそうとしていた……いや既にイラッハ伯の“お友達”も多く宮廷にいるのかもしれません。そういうお友達が『イラッハ伯はクンシランと関係は無い。ただ出入りしていた商人がクンシランと接触していただけ』と擁護の声が上がるはずだったのではないでしょうか?」
と、ルティスは推測して見せたのである。
そして、それに異を唱える出席者はもういなかった。
「もっとも、そういう工作が有効であるのもイラッハ伯がソシオ城で頑張っているからこそ。囚われの身では、何よりイラッハ伯自身の弁解が届かない。お友達もどう動けばいいのかわからない……失礼」
ルティスがそこでいったん間を置いたのは、ただ咳をするため――だけとは出席者は誤解できなかった。
じわりとルティスは会議を絞め殺しにかかっているとしか考えられなくなっていたのだ。
「コホ……ン……ああ、すいません。それで……ああ、イラッハ伯が囚われの身であることで最も計算が狂ったのはクンシランでしょう。だからこそ彼は不確かな噂であっても一目散に逃げだした。ね? 筋が通るでしょう?」
そしてさらにルティスは締めにかかる。
こうなると騒動が報告されて後、一月の間沈黙を保っていたことすらも、ルティスが「湖の宮殿」に毒を仕込むためと思えてきた出席者たちだ。
「帝国と通じての陰謀。これは貴族の身であっても、いや貴族の身であるからこそ許されるものではない。ですから王国にとってイラッハ伯は『賊』。まずはそういう認識で良いと思います」
そしてルティスは弱っていた獲物にとどめを刺すように、繰り返しそう主張する。
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