通り過ぎた嵐

 イラッハ領の兵士たちも、主君が攫われるのを黙って見ていたわけでは無い。

 補給部隊に兵員が割かれてはいたが、相手は二人なのだ。尻込みする必要は全く無い――はずなのだが。


 こんもり盛り上がった白い髪の若者の動きを理解できない。見失う。隠れて待ち伏せしていても先に発見される。

 そして足の腱を斬られ、無力化されてしまう。


 銃を並べて通路を塞ぎ、この若者を倒そうとする兵たちもいた。

 それはごく真っ当な判断であるはずなのだが――若者に弾が当たらない。


 いや、それだけならまだ良い。

 良くは無いのだが、良いことにするにしても、だ。


 若者は当たらないことを最初から知っているかのように、軽く身を捻るだけで弾を躱し、そのまま立膝で銃を構える兵士たちを無力化してゆく。


 まったく無茶苦茶だ。

 そして、説明できない。


 そんな理不尽わかものはただ通り過ぎてゆく。

 その後ろを、主君を担いだ四角い眼鏡の兵士がついていった。


 実はそれもまた異様な光景ではあるのだ


 兵たちの主君、イラッハ伯はロープでぐるぐる巻きにされても、見間違えることは無いほど大きく膨らんだお腹の持ち主なのだから。

 片手でひょいと担ぎ上げられるような重量では無いはずなのに、この眼鏡の兵士はさして苦労している様子もなく、異常な若者の後についてゆく。


 イラッハ伯の身を飾る、金銀宝石の煌めきも結構な重さがあるはずなのに。

 それは今となっては「派手な男」という目印になっただけだとしても、せめてこの理不尽な二人を阻む助けぐらいにはなって欲しかった。


 それが無力化され、床に這いつくばる兵士たちの切なる願いであった。


 当然、囚われの身のイラッハ伯はさらに真剣に解放されること願っている。

 せめてもの抵抗で、


「ムグッ! ウーウーウー!!」


 と、声を発しようとするが、無残なことにロープで猿轡を噛まされているので、それも意味をなさない。普段なら綺麗に整えられた髪も口髭もすでに乱れ放題だが、成果は無いようだ。


 もちろん意味はなさなくとも、主君の訴えは察することはできる。

 というか、この状況で主君が望むことはだた一つだろう。


 ――自分を助けよ。


 それしかない。


 だが、それに応えようとしている兵士たちが次々といなくなってしまう。


 目隠しに適した布が無かったことで、やむなくクーガー達はそのまま運んでいたのだが、こうなってみるとイラッハ伯に絶望させるために目隠ししなかったようにも見えた。


「やっと終わったみたいだな。馬もいただいておこうか。こんなにデブだったとは……」


 理不尽な若者――クーガーは、自分たちこそが被害者だと言わんばかりの物言いで、イラッハ伯を担いでいるキンモルへと振り返った。


 キンモルはそれでも余裕はないのだろう。

 こっくりと頷きを返すだけ。辛うじて「二頭、借りましょう」とか細い声で呟く。


 そんな明け透けな相談に、異論を挟み込む者は誰もいなかった。

 足の腱を斬られただけなので、言葉を発することはできるのだが、何と言えばいいのかわからない。


 言葉の代わりに、というわけでは無いだろうが、倒れ伏した兵士の一人が銃口をクーガーに向けていた。

 しかし「攻撃する意志」は瞬く間にクーガーに察知されてしまう。


「おっと」


 一声発して、クーガーは大げさに体を傾ける。

 と、同時に踊るように身体を回転させると、銃口を向けようとしていた兵士が引き金を引く前に、その銃を蹴り飛ばしてしまった。


「銃は本当に厄介だなぁ。とにかく面倒臭い。蹴り飛ばしながら行くか」


 と、どこか呑気に歩を進め、悠々と城内を進むクーガー。

 キンモルは応じるべき言葉も、気力も尽きてしまっているのかただ頷くだけ。


 それでも、この二人を遮るものは何もなかった。

 キンモルに担がれたイラッハ伯も言葉を失っている。


 こうして無人の荒野を行くようにして、二人はソシオ城を辞した。


 ――宣言通り、二人は馬を二頭借り受けることも忘れなかったのだが、それは些細なことである。


                ~・~


 理不尽な嵐がソシオ城を通り過ぎた。

 それは全く災害にも似て、嵐を見送るしかなかった人々は、しばらくの間呆然と佇むだけ。


 思考が追い付いてゆかないのだ。

 何が起こったのか? その説明を求め続ける。


 だが、いつまでもそうしているばかりではどうにもならない。

 足の腱を斬られた兵士たちの手当てをしなければならない。そんな風に目の前にやることが積み重なっている者たちから、順番に気力を回復させてゆく。


 そしてようやくの事で気付くのだ。


 ――とんでもないことが起こってしまった!


 と。


 戦場に出ていたわけでもない、伯爵という高い爵位を持った大貴族が堂々と攫われたのだ。

 それも城に居たのに。平時に使うような邸宅にいたのならまだ受け入れやすかったのかもしれない。


 嵐を目撃した者たちは心の均衡を求めて、とにかく語る。

 同じ思いを分かち合う。緘口令を出すべき者は嵐にさらわれてしまっているのだから、それが留まるはずはない。


 ――そしてそれと同じ災厄が「湖の宮殿」を巻き込むのは、それから十日後の事であった。

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