所詮は机上の空論か

「え? ヴォミット先生? ……なんですか?」


 そう実は、この新作を書いたのヴォミットなのよね。

 私がその名を告げると、アウローラは丸眼鏡をかけ直して、私がいったん休憩していた生原稿の束をしげしげと眺めた。


「ヴォミット先生の作品であるというなら、お嬢様が疲れていらっしゃるのもわかりますが……かなり読み進めてらっしゃいますね。――これは一体……?」


 なかなかに鋭い観察眼だアウローラ君。

 それではもう一つの秘密を教えて進ぜよう。


「実はね……スパントが協力してるの。というか原案がスパントで、それを形にしてるのがヴォミットというわけ」

「え!? あのお二方が? ……この前の事が縁で?」

「手短にまとめると、その通りみたい」


 だが、この種明かしはアウローラの琴線に触れなかったらしい。

 小首を傾げながら、


「それではヴォミット先生が納得しているとは思えませんが……」

「ああ、そうね。ちょっと手短過ぎたわ。ええとね――」


 スパントとヴォミットが私抜きで友誼を結んだらしいのよね。普通にヴォミットが褒められることで気をよくしただけのような気もするけど、スパントは普通に感激したみたい。


 それでその内、ヴォミットがスパントの職場に行って、なかなか入り込めない馬車の集積所なんかにも見学に行ったらしいのよね。

 で、そこでヴォミットを圧倒したのは「臭さ」なのよ。馬糞がものすごいから。


 でもそれを、


「生命の香りだ!」


 とか言っちゃうヴォミットはどうかと思う。

 スパントを気に入ったのだってさ。スパントって無自覚にヴォミット追い詰めるときあったてでしょ?


 あれは一種の被虐思考なんじゃないかと……はいはい。こういう言葉はここ以外では使わないから。


 で、集積所に日参している内に――


「何かに気付いたらしいのよ。ヴォミットが」

「ヴォミット先生が? それは一体……」

「それは読んでくれって。何かトリックに関係あるみたいなんだけど」


 そう言って私は持ち込まれた原稿をペラペラとめくってみせた。

 アウローラがごくりと唾を飲み込んだのが見えた。やっぱり興味が湧いてくるわよね。私はそんなアウローラの反応に気を良くしながら先に進める。


「で、荷馬車に関してはスパントを頼りにするしかないでしょ? スパントの能力はあの時見せつけられたわけで、ヴォミットもそこは素直に協力を申し出たわけ」

「なるほど……それでどうなりましたか?」

「そうなるとスパントに、ヴォミットが気付いたことを言わないとどうしようもないでしょ? もっともヴォミットにはそれがトリックになるっていう認識がこの時は無かったみたいなんだけど」


 その方がヴォミットらしいとは思うわね。


「で、それを聞かされたスパントがその気付きを中核に据えて、推理小説になるような原案を出したみたいなのよ。これはもうスパントの能力が無いと構築不可能な原案だったらしくて……この場合、どっちが原案だと思う?」


 そう尋ねてみると、アウローラの眉の間に逡巡が現れた。

 やっぱり、迂闊に判断しにくいわね。私はさらに説明を続ける。


「お互いがお互いに譲り合ってるような状態でね。それでもヴォミットとしては『探偵では無くて衛視を主役にした。そもそも探偵という職業は……』と、自分のこだわりもありつつ――」

「スパント先生は、ヴォミット先生の気付きが先にあって、しかも自分の原案を採用してくれて手も入れてもらえる……と。確かにヴォミット先生のファンなら夢見るような状況ですね」


 そうなのよね。

 お互い、得しかない状態。


 そして「ラティオ」としては――


「それで、面白いんですか? 整合性は?」


 アウローラがいきなり切り込んできた。

 うん。問題はそこだ。


「今のところ整合性はあるわね。登場人物がおかしい気もするけど、時間の経過や行動に不合理なところは無いわ……ただ難しいのよ。多分メモを片手に書き出していかないとしっかり読み込むことできないわ」

「ははぁ、それで疲れてらっしゃたのですね。そうなると面白いかどうかは未知数ですか」

「トリックの全貌がまだ見えないからね。多分ここかも? という部分は見つけたんだけど、それがヴォミットの気付きとどう繋がるのか……」


 あ、ダメだわ、これ。

 先にスパント経由で半端に情報が入っているから、素直な目で読めなくなってる。


 これはやっぱりメモを取りながら、最初から読み直すべきね。

 何にしても今は暇だし――


 コンコン


 とか思ってたら、ノックされた。

 クランナかしら? ヴォミットがいよいよ物になりそうな推理小説を書いてきたことは教えてないはずなんだけど。


 アウローラが扉に近付き、相手をしている。

 クランナではないみたいね。うん? ……兄上の部下かしら?


 アウローラがメモを受け取って、それを私に渡してくれた。

 これはいよいよ、南方で動きが――


「――な、何があったって言うのよ!!?」


 メモに記された短い文章を確認した瞬間、私は絶叫してしまった。

 兄上から伝えられた情報の内容は――


 ――竹林峡で爆発確認。クイスクリアゥム殿下は大怪我。クンシランは生死不明。


 ……やっぱり「机上の空論」に完璧はあり得なかったってこと? これでクーガーの「証明」は……


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一人称はここまで。

次回より三人称に戻ります。

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