スイーレは偏っていた
僅か一点鐘もしないうちに――
スパントが持ちこんだ地図はピンで埋め尽くされそうになっていた。
そしてそれは執務室も同じことだ。カップに焼き菓子が乗せられた皿。さらには軽食が半端に残された皿。そういう残骸がそこかしこに積みあがっている。
当然、パン屑や焼き菓子の欠片なども散乱しているわけだが、今強引に掃除をしても意味は無いだろう。すぐに元の木阿弥になることは間違いないのだから。
アウローラが眉根を寄せただけで、その惨状をスルーしたのは流石の精神力であり、高い知性を示すものではあった。
そんな汚れにヴォミットが燻らす細巻きの灰が加わっていれば、アウローラも黙ってはいないだろうが、それはきっちりと灰皿に落とされていた。
その代わりに執務室の上空には紫煙が積み重なってしまったが、それは仕方のないところだろう。
そんな混乱の中で、地図にピンを差し続けていたスパントの手がようやく止まる。
最後にピンを刺したのは、地図の右端だった。
「……ああ、こんな東にまで目撃情報があるんですね。先生の言うようにクンシランが歴史にこだわるとして、この場合の目的は何になるのでしょう?」
「恐らくは『竹林峡』だな。アハティンサル地方の特色が見れる。という事は王国の風俗と異郷との重ね合わせに愉悦を感じたのか」
スパントの疑問にすぐに答えを返すヴォミット。
こんな風に地図がピンが埋め尽くされるまでの間に、ヴォミットはスパントの異常性を確信してしまったようだ。そのせいだろう。スパントへの態度が変わっている。
何しろスパントはスイーレが整理したクンシランの目撃情報を地図上に再現し、それを時系列順に並べて、それぞれの地点に現れるまでの所要時間を先にはじき出してしまったのだから。
異才――と言うしか表現のしようがない。
その結果、クンシランの行動の不合理さがますます浮き彫りになったわけだが、そこにヴォミットが指摘した法則を当てはめると、スパントはさらに細かくクンシランの動きを地図上に再現してしまったのである。
それでもスパントにとっては納得出来なかったらしい。
ピンを指先で弄びながら、こんなことを言い出した。
「地図に載っていないような道もあるんでしょうね。それがわかればもっと細かく……ところで“これ”って何です?」
まったく「今更」にも程がある問いかけであったが、何が何だかわからないのに、ここまでやってしまうスパントの異常性がますます際立ってしまったことは言うまでもない。
その制御を試みるつもりでもあるのか、スイーレもまた今更、
「――その前に急な呼び出しだったけど大丈夫だったの?」
なんてことを尋ねてしまった。スパントに人間社会の仕組みを思い出させようと考えたのだろう。スパントはその質問に対して二カッと笑顔を見せて、
「大丈夫です! スイーレ様の呼び出しですよ。うちのギルドでも何事にも優先されます! ズビャビャっとやってきました!」
と、様々な点でスイーレをさらに不安にさせる返事をするスパント。
スイーレは引きつりながらも、何かを誤魔化すようにスパントの最初の問いかけに応じることにした。
もちろんスパントを呼び出した理由の説明は簡単ではなかったし、途中でヴォミットの自慢話が紛れ込むので、かなり手間取ることになったことは言うまでもない。
そしてようやく、スイーレが「クンシランの動きを予想したい」という目的を明かそうとした瞬間――
「あ~、だとすると変ですね」
と、スイーレの機先を制するようにスパントが声を上げた。
説明を続けようとしていたスイーレの舌先がそこでつんのめってしまったのだが、どう考えても優先されるべきはスパントの「疑問」。その内容であることは明白だ。そこで、
「……あ、え、えっと、な、何が変なの?」
と、スイーレは寸でのところで紡ぐべき言葉を変更する。
「だってこれ、言ってみれば軍隊なんですよね?」
「言っても言わなくとも軍隊であることは間違いない」
それすら理解していなかったのか? とばかりにヴォミットが細巻きを嚙み千切るような勢いでへの字口を歪めながらも、どうにか答える。
するとスパントは、ヴォミットに視線を動かしながら、
「ですが先生。そうなると補給はどうなってるんでしょう? 略奪だけじゃ保ちませんよ、これだけ動き回ってたんじゃ。フールガー将軍じゃないんですから、そんな事は出来ないと思うんです」
そのスパントの訴えにスイーレが訝し気な表情を浮かべ、
「フールガー将軍? 誰? 集めた資料には出てこない名前だと思うんだけど――」
と、疑問の声を上げると、そのスパントのみならず、ヴォミットにアウローラまで驚愕の眼差しでスイーレを見つめる。
そんな三人の異様な反応に、スイーレの腰が引けた。
「な、何?」
「……よろしい。我がご説明差し上げよう。フールガー将軍とはざっと二千年以上前の人物です。今では神聖国が大部分を占める地域に共和国がありまして」
「あ、そこの将軍――」
「落ち着いてください。フールガー将軍はその共和国を滅亡寸前まで追い込んだ軍人です――しかしスイーレ様は博覧強記と思っていたのですが……」
それはヴォミットの意趣返しではあったのだろう。
だが、同時にアウローラもスパントも驚きながら頷いている。むしろそんな二人の反応の方がスイーレの心を抉った。
推理小説で世の中を学んだスイーレの知識は偏っている。
それがばれてしまったわけだ。
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