会話とは取引の繰り返し

「ふふん。我に頼み事ですか」


 こちらも負けずに反り返りながらヴォミットが応じる。


「我に頼むのなら、当然見返りに――」

「そんな交換条件で『ラティオうち』で本出して、それであなたの自尊心は満足?」


 そんな風にヴォミットが言い出すことは読めていたのだろう。

 デスクの上で両手を組んで、その上に顎を乗せたスイーレが艶やかに微笑みながら。つまるところ最上級にヴォミットを挑発して。


 しばし静寂にとどまる空気。

 そして雷鳴がそれを圧縮し、


 ――カッッ!!


 雷光がクーメイニを貫く。


「……あの……お、お茶淹れましたよ。帝国から輸入したコーヒーです」


 雷に驚いたのか、二人の間に蟠っている剣呑な雰囲気に気圧されたのか、トレイを両手で持ったアウローラが恐る恐る声をかける。


「……ふむ。それは有難い。今、コーヒーは多少割高になっていますから」


 話を変える、もしくは出版に関する取引の話はここで打ち切りとする。

 そういう意思表示でもあるのか、ヴォミットが阿るようなことを口にした。


 あくまで阿る相手はアウローラであることを示すように、スイーレには一瞥も与えずに。


「コーヒーが? そうなの?」


 そしてスイーレもまた、ヴォミットを無視するようにアウローラに確認する。

 するとアウローラは小さく頷いた。


「はい。確かに多少、というかきっぱりと高くなっていますね」

「へぇ。そういう事、気が付かないタイプだと思ってた」


 それは嫌味というより、純粋な驚きであったのだろう。

 スイーレはカップを持ち上げるヴォミットの横顔を見ながら呟いた。


「我は問題ありません。金銭的な意味では」


 そんな視線を受けて、ヴォミットは短く答えながらカップに口をつけた。

 確かに、コーヒーが値上がりしたところで経済的にヴォミットが難儀するという可能性は無いだろう。


 だが続けて――


「しかしそれで人が心に歪みを持つきっかけになる可能性もありますゆえ。常に世の中の動きには敏感でなければ」


 と、言葉を添えたのは完全に嫌味だろう。

 貴族のお嬢様に、そんな感覚は無いだろうと。


 しかしスイーレはその言葉に満面の笑みを浮かべる。


「そうなの。私ってば世間知らずの貴族令嬢だから。色々教えて欲しいことが出来たのよ」

「……、……」


 ヴォミットのへの字口が角度がまずます急になる。

 コーヒーが苦いせいばかりでは無いだろう。確実に。


 苦みを感じているのは、小娘にいいように弄ばれている現状についてだ。

 声にならない呻きが、薄い唇の隙間から漏れている。


 そこにスイーレが追い打ちをかけた。


「ね? さっさと話聞いた方が楽になるでしょ?」

「それを自分で言ってのける方が悪辣だ、と申し上げるしかない――で?」


 ようやくヴォミットの覚悟が決まったようだ。

 いや、クランナの招きに応じた段階でスイーレの呼び出しの理由については察していたに違いない。


 出版とは関係ない、何かしらの話があるらしいと。

 それならば取引ができると考えたわけだが、それはすぐさま叩き潰されてしまった。そうとなってしまえば相手は貴族令嬢。あまり無下にも出来ない。


 結果、


「さっさと話を聞いた方がましだ」


 という結論に辿り着いたわけである。

 それは危機回避の観点に立てば、真っ当な判断と言えるだろう。


 しかし、スイーレがもちかけてきた話はまったくもってであった。


 南方での混乱、それをもたらす傭兵団の跳梁。

 スイーレは話の順番として、丁寧にそこから始めたのだがヴォミットにとっては「いったい何の話だ?」と混乱したのも無理のない話だ。


 この辺りでスイーレは、大人しく話を聞かせるための駆け引きも想定していたのだが、ヴォミットは沈黙のまま大人しく話を聞いている。

 意外に素直、と思ったスイーレだったが、ヴォミットは大人しく、では無く、ただただ呆気に取られていただけなのである。


 何しろ遠い地の戦乱の話だ。

 しかも、それに加えて帝国のちょっかいを排除したとヴォミットは聞いているわけで、何故スイーレがこんなことを説明し始めたのか全く見当がつかないのだから。


 だが、やっと自分に関係のある単語をスイーレの口が紡ぎだした。


「『ケルヴス礼拝所』……ですか」

「そう。問題の、というか私が注目している傭兵隊長クンシランがね。どうにも礼拝所を気にしてるように見えるのよね」

「ふむ」


 ヴォミットがようやくの事でスイーレの話に興味を覚えた。


「……だが、壊すわけでは無い」

「そう。それでもあの礼拝所にこだわる辺り、何か思いつくとはないかと思ってね。どういう基準でクンシランが動いているのか理解したいのよ」


 それを聞いてヴォミットは片眉を上げた。


「人間とはそう簡単なものではないです。突発的な動機で動き、すっかり忘れていた妄執が復活するときもある。それに法則を揉めるのはナンセンスです」

「それは個人を相手にした場合でしょ? 何よりクンシランは隊長なのだから、ある程度は部下に説明できる理由が必要だと思うのよね」


「……それは――うむ、それに一理あるとしてもだ。クンシランという傭兵隊長の事を我は知らないのです。礼拝所にこだわっているという事以外は」

「やっぱり他の情報も欲しいか……地図があればねぇ。じゃあ、クンシランについてわかっている事だけでも説明しますか」


 スイーレはそういってデスクの上の紙束を手元に引き寄せた。

 その様子を見たヴォミットは、この展開も読まれているのでは? と訝し気にスイーレを眺める。

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