曇天が似合う男

 「ラティオ」執務室内は暗かった。クーガーが去って間もなく、一気に雨雲が空を覆ったのだ。部屋のガス灯の炎が静かに揺れている。

 今更、クーガーたちが雨に降られるかも? などとは心配しないスイーレは、変わらず証明のための計画を練っていた。


 デスクの上のランプにも火を灯し、スイーレは改めて資料をひっくり返している。

 成り行き、というかあまり深く考えずにクーガーにアバウトな指示を出してしまったために、制約がさらにきつくなってしまったのだ。


 それでも何かしら形になったことは幸いと言い張ることも可能ではある。

 実際、スイーレは今まで何故思いつけなかったのか? という欲求を生み出していたのだから。


「……地図が欲しいわね。南方の、概略図でもいいから」

「南方だけ、となると少し手に入りづらいかもしれません」


 主人の欲求にアウローラが見通しを返す。

 何しろクーメイニ、ひいてはルースティグ伯家の領地は王国の北西に位置している。


 そんな中で南方の地図とは、まず民からの需要が乏しいわけでクーメイニではなかなか見つけるのも難しいだろう。

 王国全土の地図の方が簡単に手に入り易い事は間違いない。


 そこまでアウローラに教えられ、スイーレは小さな声で「この際それでもいいか」と、納得しかかったところでガバッと顔をあげた。


「――待って。スパントなら持ってそうじゃない?」

「スパント先生……ですか?」


 突然挙げられたその名前に、ピンとこないアウローラ。

 スパントもまた「ラティオ」から推理小説を刊行している作家の一人だが、形になった作品は一つだけで、まだまだ新人と言ったあたりだ。


 その刊行に至った作品もスイーレがほとんど手ずから導いたようなもので、アウローラは「まずスパント先生は推理小説家には向いていないのでは?」と胸の内で感じていた。


 そんなアウローラの心中にかまうことなく、スイーレは手短に指示を出す。


「スパントに使いを送って。南方の地図を持って顔を出してほしいって」


 一瞬、それを諫めようとするアウローラ。


 だがしかし、今スパントが求められている内容は小説家としてではないことは間違いない。そして、理由を聞くのは実際に来てもらってからでもいいだろう。

 そう考え直したアウローラは小さく頷きかけるが……


「そういえばクランナはヴォミット先生を迎えに出していたんでしたね」

「……そうだったわ。というか遅いわね」

「この天気ですからね。準備に手間取っているか、馬車が渋滞に巻き込まれているのか――」


 まさに、そのタイミングで執務室の扉がノックされた。

 思わず顔を見合わせるスイーレとアウローラ。頷きあったところで、アウローラが扉へ向かう。


 するとアウローラが扉を開けた途端に声が入り込んできた。

 クランナの声だ。


「ああ、何とか間に合った。もう雨が――」

「ご苦労様です。続いてスパント先生のところへ。王国南方の地図をお持ちなら持ってきて欲しいとお願いして迎えに行ってください。地図は詳細であればあるほどいいでしょう」

「え?」

「さぁ、早く。雨が降り出してしまいます」


 スイーレの座るデスクからはよく見えないが、クランナがアウローラに無茶振りをされていることはよくわかる。

 そしてスイーレはそれを止めようとはしなかった。


 むしろ逆に、


「ヴォミットはいるの? 入ってきて」


 と、ヴォミットだけを招き入れるつもりであることを示した。

 その後、何やらやり取りがあったようだが、結局執務室に現れたのは黒づくめの男ただ一人。


 この男がヴォミットである。


 白髪まじりの髪を肩口で綺麗に切りそろえ、喪服のようではあるが身だしなみは行き届いている。

 髭は生やしておらず、その代わり、というのも変な話だが堀が深くそれが顔に陰影を作り出していた。


 しかし鼻が高いわけでは無いので、つまるところ額が前の前のめりになっている事実ことが窺えるに違いない。

 そして張り付いたようなへの字口。「偏屈もの」という単語で思い付く、そのままの姿形なりがった、


「いらっしゃい、ヴォミット。来てくれて助かるわ。雨に祟られた様子はないわね」

「……ここにしばらくいることになるのなら祟られることになるでしょうな」


 と言いながら、真っ黒なコートをアウローラに預けるヴォミット。

 その下には、やはり真っ黒なフロックコートにそれとは対照的な絹の白シャツ。


 装飾品はフロックコートのポケットから流れ出る、懐中時計に繋がっている銀鎖ぐらいだろう。

 質素に見えるが、その全てが最高級品であることは間違いない。


 ヴォミットは一般的には「成功者」なのだから。

 「ラティオ」、つまりはスイーレの前では「落第」の焼き印を押されまくっていたとしてもだ。


「ふむ。数日前にこちらを訪ねた時も相当なものだったが、ますます酷くなっているようです。座れるところがあるのは幸いですが」


 さっそくヴォミットが挑発的にスイーレに声をかける。

 スイーレはそれに肩をすくめることで応じると、先ほどクーガーが座っていたソファを勧めた。


 ヴォミットはそれを受けて粛々とソファに腰を下ろす。

 通常なら、ここでアウローラが用意するお茶を待つべきなのだが――


「大体察してくれているみたいだけど、今回はあなたに頼みたいことがあるの」


 内容とは真逆に、スイーレはデスクの向こうから、居丈高に反り返りながら切り出した。

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