クーガーの一月

 招かれざる客とは、改めて確認するまでもなく白いもじゃもじゃ頭のクーガーであった。


 相変わらずのニガレウサヴァ伯家の軍服姿。

 しかし王家の一員となることが発表されているのに、いつまでもその恰好なりで良いのか? という疑問は尽きない。


 その後ろを四角い眼鏡のキンモルが、長身を折りたたみながら申し訳なそうに続いてくる。

 キンモルの立場も不鮮明であることは間違いない。やはり同じ軍服姿ではあるが、それが示すように、このままニガレウサヴァ伯の陪臣という事になるのか。


 それともクーガー直臣――つまりは王家に仕える先を変えるのか。

 彼自身に選択の自由があるかもまた不鮮明ではあるが、このまま神聖国までクーガーについてゆく覚悟があるのかないのかもまた不鮮明だ。


 そのキンモルにアウローラが光る丸眼鏡越しに鋭い視線を投じた。それは単純に、ノックの意味を無くしたクーガーの振る舞いを何故抑えることが出来なかったのか? という非難を意味している。


 それを察したキンモルはますます背を丸めて、


「あ、諦めてください……」


 と、最後通牒のようなことを言い出した。覚悟を決めるのは早い方らしい。


「何言ってんだキンモル。俺は諦めないぞ。王家に約束させてやる――あ、座って良い?」


 キンモルの言葉に反射的に答えながら、執務室の応接セットを指さすクーガー。

 そんなクーガーを、スイーレは座った目で見つめる。


 今日の耳飾りは「レモンに雨プリエテル・レ・ラメ」と気候の雅号がモチーフだった。飾られた繊細な銀鎖がたおやかに揺れる。


「あのね。何で今更礼儀正しく振舞おうとするの。ノックと同時に勝手に入っておいて」

「だって、長い間スイーレに会えてなかったんだぞ。辛抱できるもんか」


 そして耳飾りのデザインを褒めながら、スイーレを何時ものように褒め倒し始めるクーガー。

 クーガー自身は心から称賛しているわけだが、スイーレにとっては完璧に食傷状態だ。


 そして結局、クーガーは勝手にソファに腰掛けた。さんざんに散らかった部屋の様子には違和感を覚えなかったらしい。日頃どういう環境で生活しているのか窺えるというものだ。


 それでもこうなってはクーガーに茶の一つも出さないわけにはいかない。アウローラが給仕の準備を始めた。


 それをデスクの向こうで斜めに見ながらスイーレはクーガーに声をかける。


「あのね――」

「それにすぐ行かなくちゃならないんだ。湖の宮殿まで」


 スイーレは「これから来客がある」と伝えるつもりだった。

 だがクーガーはその話を聞かずに、さらに重要なことを口にする。


 すぐに行かなくてはならない、はスイーレにとって朗報だが、その目的地が「湖の宮殿」となると話が違ってくるのだ。


 「湖の宮殿」とは王国の中央にあるラクス湖湖畔にある城の事を指す。

 そして同時に王国の首都を表す言葉でもあった。


 その首都に行くというのである。今のクーガーの状況を考えると、単純に挨拶に出向くだけとは考えにくい。

 それに先ほどから繰り返されている、不穏当な発言。


 スイーレは迷った結果、ここ一月の間のクーガーの尋ねることにした。

 

 ――「湖の宮殿に何故、今向かうのか?」


 という疑問に対する答えだけ聞けば済む話ではあるのだが、時系列順で話させないと双方ともに混乱すると判断したわけである。


 すると予想通り、クーガーはニガレウサヴァ伯に帰還を命じられていたらしい。

 同時に、王家からの通達と、現状の複雑な経緯の説明を受けていたらしいのだが――


「正直言ってさっぱりわかんなかった。俺の本当の母上もやっぱりニガレウサヴァ伯領出身で、母上はその紹介元だとかなんとか」

「ああ、全然関係が無いのに閣下がお引き受けになられたわけでは無いのね」


 スイーレがおおざっぱに事情を理解した。

 大体はおおざっぱに予想していた事情からは外れていないと。


「それで、ウチに来ていた王家の使いがうだうだ言いやがるもんでさ。俺にはやたらに腰が低いクセに、母上とウィルには横柄な奴で」


 改めての話だが、クーガーの言う母上とはニガレウサヴァ伯爵夫人である。

 そしてウィルとは、今まではクーガーの妹という事になっていたウィルペイスのことだ。


 どうやらクーガーは自分が王家の一員であることを自覚しようとせず、ニガレウサヴァ伯領の性質そのままに、王家に対して不羈の心構えのままであるらしい。


 恐らく、一月の間クーガーに教え込もうとしていたのは、そういった心構えの違いなのであろう。

 だがそれは完全に裏目に出たようだ。


「それでさ。そのうち俺にも文句言うようになってきてさ。ちゃんと――どうすれば“ちゃんと”なのかは言わないんだけど――しろって。おまけに母上とウィルがどうなるかわからんと言い出しやがるから……」

「『湖の宮殿』に乗り込んで、話をつけてやると」

「そう!」

「それはニガレウサヴァ伯も、さぞ応援してくれたでしょうね」


 ニガレウサヴァ伯爵夫人はそういう為人である。

 スイーレは頭痛を感じて、こめかみを揉んだ。


 しかし手間は多少かかったが、クーガーが何故現れたのかは理解できた。

 ニガレウサヴァ領から、湖の宮殿へ向かうとなれば確かにクーメイニは通り道になる。


 そのついでにクーガーがスイーレに会いに来ることもあり得る話ではあるだろう。

 ついでに行おうとしているのがどちらかわからなかったとしても。


 だが、クーガーとの接触はスイーレの予想外であった。

 早すぎるのである。

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