かわいそうなヴォミット
ヴォミットもまた「ラティオ」に所属する小説家である。
いや「ラティオ」から本を出したい小説家だ。
小説家志望では無く、きっぱりと本業であるところが事態の悲惨さを表していると言えるだろう。
ヴォミットはすでに文壇に認められている小説家なのである。いや認められているどころではない。「寵児」とまで言われた小説家ではあるのだ。
代表作は何と言っても「ケルヴス拝礼所」である。
王国南部に建立された、神ヘリアンサスに祈りを捧げる古い建造物だ。ヘリアンサスを祀る意味もあって、とにかく派手な礼拝所として知られている。
そういった建物をタイトルにしたこの小説は、その「ケルヴス拝礼所」に魅せられた男の執着、そして破滅までを丹念に描き切っていた。
それだけにその筆致には狂気さえも滲んでいると、文壇から畏敬の対象としてヴォミットを含めて「ケルヴス礼拝所」は扱われている。
さて、このように評価を確実なものとしたヴォミットは従来の文壇に多大な影響を与え、またヴォミット自身も「文壇の守護者」と自認していたのである。
そういった状況下の中、台頭してきたのが「ラティオ」だった。
最初は「ラティオ」を無視していた文壇ではあったが、推理小説について苦々しく感じていたお歴々は、面白くないと感じていた状況であることは間違いない。
だが「ラティオ」は貴族令嬢の御遊び――そう貴族相手なのである。
そのため、なかなか手は出せないでいた。
そういった文壇の空気を読み、ヴォミットは動く。
「ケルヴス礼拝所」に見られる、ある種の狂気を期待されていたこともあるだろう。
そういう動機であったので、ヴォミットは最初は大上段にスイーレに接触した。
「推理小説には価値が無い。あんなものはパズルだ。読んだことが無いのなら我の『ケルヴス礼拝所』を読んでいただければ。それが、ありありとわかります」
と。
その頃、既に推理小説の全部が自分の好みでは無いと見切っていたスイーレは、半ば投げやりに「ケルヴス礼拝所」に目を通す。
そして数日後、ヴォミットに感想が必要なのか? と尋ねた。
それをヴォミットがどういう感情で受け止めたのか。
感動したに違いないという確信があったのか。はたまた、生意気だと感じながら貴族相手であるので、多少は阿るつもりだったのか。
とにかく感想を受け付けることをヴォミットが了承すると、スイーレはこう切り出した。
「――まず、この主役が随分と色情に狂うようなのよね」
と。
それを聞いたヴォミットは心の内でほくそ笑んだ。
なるほど、貴族のお嬢様にはこういう人間の本質に関わる欲情については耐性が無く、そもそも真っ当な感想も抱けないらしいと。
だが――
「これちゃんと考えた? 序盤からさんざん書いてる『ケルヴス礼拝所』のこだわりと、女性にやたらに抱く劣情に何の関係があるわけ? 小説の最後に礼拝所へのこだわりを思い出したようだけど突然すぎる。借金取りに追われたよう……そういえば主人公も借金まみれだったわよね。自分で書いて気付いたの? タイトルにつけてしまったことをすっかり忘れていたようだけど」
立て板に水とはこのことか、とばかりにスイーレがまくし立てた。
突然始まった、小娘の批評に目を白黒させるヴォミット。だがスイーレの舌はまだまだ止まらなかった。
「そもそもこの主人公が良く出来てないのよ。礼拝所が好きだ好きだと、結局は同じことを繰り返して訴えているだけ。最初は見た目に惹かれるのは良いとしても、何故惹かれるようになったのか? という追及はせずに女、女、女。あの『ケルヴス礼拝所』って少し調べただけで、最初は四大神のための礼拝所だったことがわかるのよ。インタスアルゴの『ヴァーダムン・シリーズ』でも紹介されてるわ。まぁ、知らないんでしょうけど。とにかくまとめると、あなたの書く人間は薄っぺらい」
「な、なに――を、仰います。我の評価は……」
何とか抵抗しようと試みるヴォミット。
しかし、慌てたせいかそれは悪手極まりない抵抗だった。
「そういうのを気にしないのがあなたの作風ではないの? 結局そういう事? 狂気とか言われているようだけど、それは他人の目を窺いながら書いたわけね」
「ち……いや、我は人間を描くことにこだわりがある。そのためには人間を観察する必要があるのです」
今度は何とか抵抗に繋げるヴォミット。
だが、それもまた、
「結果、あの色に狂った主人公? 思い付きで要素付け足したようなのが人間?」
「そ、それもまた人間の一つの形。現実では――」
「小説家は『架空』を作り出してこそでしょ? 苦しくなったからって、現実はこうだ! なんて言い出すのはただの逃げよ。『架空』を書きなさい。皆が納得する整合性のある『架空』を」
ついにヴォミットは黙り込んでしまったという……
その後、打倒スイーレを心に誓ったのだろうか。ヴォミットは「ラティオ」に持ち込みするようになってしまった。
それに危機感を覚えた文壇は、印刷所に手を回して強引にクランナという男を「ラティオ」に送り込んでヴォミットのサポートをしようと試みたが、それはますますスイーレの不興を招いただけだったのである。
そして現在はお互いに発展性のないまま、いがみ合い、いやスイーレによってヴォミットは一方的な罵倒を受け続けるだけ。
そんな状態であるのに、何故今スイーレはヴォミットを呼ぼうとしているのか――
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