コンピトゥムは及んでいない
タイミングがタイミングである。
一瞬、二人が期待してもおかしくないだろう。
パテット・アムニズの原稿がやってきたのではないかと。
アウローラはいそいそと扉へ向かった。原稿袋を抱えた配達夫の姿を思い浮かべながら。
だが、扉の外にいたのは――
「あ、コンピトゥム先生……」
「何だいアウローラさん。僕が来たって言うのに、連れないね」
扉の前にいたのは、つまりノックの主は青年であった。
かなりの長身。金髪を長く伸ばし、それが美しい顔を飾っていた。もちろん浮名を流しまくりで、湖水のような瞳に心射抜かれたご婦人方多数。
しかも「ラティオ」が誇る看板作家であるから、向かうところ敵なし。
その余裕がさらにコンピトゥムを魅力的に見せていた。
柄物のフロックコートに、絹のタイツ。大げさな赤いブーツに身体の各所で輝くアクセサリー。完全に成金ではあるのだが、それが嫌味にもならない。
そんな風に着飾ったコンピトゥムにスイーレは冷めた目を向けていた。
さらに、耳飾りを揺らしながら熱の無い声をかける。
「ああ、来たんだ。……約束してたっけ」
「してましたよ。僕の新作はどうですか?」
「まぁ、いつも通りね。まだ全部は目を通してないけど。やたらに長いし……それで誤魔化してる感がある。でもそれで破綻はしてないんでしょう、多分」
「批判と評価は同時に行うべきではない、と僕は思いますがね」
と、言いながらコンピトゥムはアウローラに促されるままに、ソファに腰を下ろした。それと同時にスイーレもデスクから出てきて、応接セットへ向かう。
アウローラは改めてハーブティーを淹れ直しにかかった。
推理小説レーベルの主宰者と看板作家であるから、当然と言えば当然の流れなのだが、コンピトゥムの書く推理小説についてのスイーレの評価は決して芳しくはない。
~・~
コンピトゥムのデビュー作にして出世作。
その本の題名は「ルースティグ伯爵殺人事件」――と言った。
殺されてしまうルースティグ伯爵。つまりはスイーレの父親であるのだが、それ以上に重要な情報とは殺されるのは貴族であり、実在の人物であるという事だ。
数代前のルースティグ伯爵という誤魔化しでもなく、真正面から当代のルースティグ伯爵である。横に伸びた口髭、などと描写されて当代の伯爵が思い浮かばない民は誰もいない。
実質、この題名で出版された段階で商業的な勝ちは決したと言っても良い。
問題はあるだろうと良心的に息をひそめていた者たちも、レーベルの「ラティオ」の主宰が伯爵の娘だと知って判断に迷った。
そしてとどめとなったのが、
「好きにすればよろしい。税を払っていただく限りは」
と、問題無しとの査定を下した問題のルースティグ伯の言動である。
他の貴族、さらには王家までも口出ししてきたのだが、
「当家の問題ですので」
と、全てをはじき返してしまった。
元々、拝金主義者、王家ではなく金貨に忠誠を誓っている、などという評判のある伯爵である。
そんな
となればもう民たちは遠慮する必要はない。所持だけで逮捕される危険はなくなった。
これによって「ルースティグ伯爵殺人事件」はあっという間にベストセラーになったのである。
推理小説にこだわりのあるスイーレの眼鏡に適うクオリティがあることも大きかった。相乗効果で「ラティオ」というレーベルの価値を高めたという事にもなる。
「ルースティグ伯爵殺人事件」の成功によってコンピトゥム自身と「ラティオ」は大きく飛躍した。それが世間一般の評価だった。
だがしかし――
「ルースティグ伯爵殺人事件」のスイーレの評価。
実はこれもあまりよろしくない。
コンピトゥム自身も推理小説のファンであり、だからこそ作品にちりばめられた遊び心もまた人気の理由ではあったのだが、それらはスイーレ相手では完全に裏目に出る。
「登場人物が出そろったところで犯人はわかった」
とは、最初に原稿に目を通したスイーレの言葉である。
しかしながら整合性は保たれているし、描写される貴族社会の豪華さが受けるだろうという見込みで出版に許可を出した、というわけである。
以来、コンピトゥムは次々とベストセラーを生み出してゆくが、相変わらずスイーレの評価は芳しくない――
~・~
そういった関係性であるので「ラティオ」の頂上二人による打ち合わせではあったのだが、とにかく熱量が違う。
まずスイーレとしては会う必要が無いとさえ考えていたのだ。
一方でコンピトゥムは、今度こそスイーレを欺けるものと期待していたので、鼻息も荒かったのだが、アウローラから残念そうな目を向けられた段階ですっかり沈み込んでしまう。
その間に、装丁についての了承。印税についての契約。そして著者校についてなど、手続きを順不同で執り行ってゆくのだがコンピトゥムの落胆は甚だしかった。
さすがのスイーレも「これはマズい」と考えたのだろう。
「いや、何よりも大事な整合性については大丈夫なんだし――」
と、慰めの言葉をかけよとしたところで、それがピタリと止まってしまった。
あまりに唐突だったので、うつむいていたコンピトゥムも顔をあげてスイーレを見遣る。
そうするとスイーレは、そんなコンピトゥムを覗き込むようにしながら、こう告げた。
「ねぇ、コンピトゥム。ちょっと一緒に考えて欲しいことがあるんだけど」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます