スイーレの流儀

 ではこの時、スイーレが追い込まれていたか?

 ……と、改めて問いかければ、答えはそれほどでも無いのである。


 まず、なかなか眼鏡に適う推理小説に巡り合えないことに関して。

 アウローラはこれが少ないことを憂慮していたわけだが、実のところスイーレはずっと前から、それほど期待はしてなかったのである。


 「ラティオ」を立ち上げるまでの数年、スイーレは満足できる推理小説に全く巡り会えなかった。

 それに比べれば立ち上げ以降は、巡り会える確率が格段に上がっている。


 であるなら今はこれで充分、とスイーレは乾いた判断を下していた。

 貪るように読んできたスイーレは、ある意味では推理小説に絶望しかかっているわけである。


 その反面、


「それだけに、たまに巡り会える素晴らしい推理小説が光り輝いて見える」


 と、開き直りにも似た心境にまで至っているというわけだ。


 そして「ラティオ」の急成長とそれに纏わりついてくる雑事に関しても、スイーレにしてみれば受けて立つ覚悟を持っていた。


 急成長に関しては想定外ではあったが「ラティオ」によって身を立てる事は、スイーレの望みでもあるからだ。

 これは婚約破棄という問題にも関わっている。


 元々、スイーレはクーガーとの婚約を無かったことにするつもりだったのだ。

 ただ、これを安易に行うとクーガーに悪評が立ってしまう。


 そのために、どうしたものかと考えあぐねている内に王家からの指示で婚約破棄という次第になったわけだ。

 そこからのクーガーの行動力と、それを裏付けるロジックには完全に意表を突かれることとなったが、その内クーガーも大人しくなるだろうと考えている。


 となれば、スイーレが一番に考えるのは「ラティオ」の発展、もしくは維持という事になるわけである。

 それで、何とか「ネブラスパイレ邸殺人事件」を読み進めようとしたのだが……


「ダメね。読むための意識が散漫してしまったわ。これはあとから読み進めることにする」

「それがよろしいかと。誤字脱字修正はクランナに任せても良いですし」

「あ、それもそうね。……だとすれば磔から降ろさないと」

「お任せください」


 何をどう任せろというのか。

 スイーレは思わずまじまじとアウローラを見遣る。それに応えるようにアウローラの丸眼鏡がキランと光った。


「……じゃあ、『ネブラスパイレ邸殺人事件』ね。目を通した分だけ持って行って。他のはまだまだ印刷に回せないから」

「え? お嬢様、他の原稿にも目を通されたのですか?」


 デスクの上に積み重なった原稿の山を、驚愕の眼差しで見つめるアウローラ。

 主人が原稿に取り掛かってから一点鐘ほどしか経過していなかったはず、と慌ててアウローラは自分の記憶を確認する。


 そんなアウローラの様子見て、スイーレはため息をついた。


「別に全部端から目を通したわけじゃないわ。例えばヴォミットのがあるんだけど、これは数枚で没」

「ああ、そういう場合もありますか……いや、それよりも直ってないんですか?」

「直ってない。相変わらず、気分で書いてるわね。数枚で矛盾してるもの。こうなるともう、センスが無いとしか説明できないわね」


 そこで主従揃って、首を横に振った。


「……さっさと『ラティオ』を諦めればいいのに」

「文壇から指示が出てるのでは?」

「それもちょっと考え難いのよね――」


 と、言いながらスイーレは原稿を一束脇にやると、今度は別の束を手元に引き寄せた。


「スパントのはこれね。よく出来てるんだけど……」

「何か問題が?」

「よく出来過ぎてるのよ。謎が謎になってない。一直線で謎を解き明かす形になってるのよ」


 その評価を聞いて、今度はアウローラの顔に戸惑いが浮かんだ。

 何しろスイーレの論評だ。十分な謎の強度が保たれている可能性もある。


「あ~~、その様子だと読んでないようね。あなたも確認して」


 即座に、スイーレはアウローラの表情の変化を読み取った。

 この鋭さは本当に推理小説に出てくる探偵のようだ、と思いながら、


「――承りました」


 と、アウローラは殊勝に頭を下げてみせる。

 その隙に、と言うべきなのだろう。スイーレが突然まくし立てた。


「で、こっちとこっちも没ね。持ち込みが増えるのはありがたいんだけど、ちょっと難しい。整合性も無いし、謎の強度もまだまだ。トリックのアイデアは良いと思うから――」

「お嬢様」


 アウローラは体を起こして硬質な声でスイーレに呼びかけた。

 それは明らかに叱責の響き。


「……わかってる。そこまで面倒は見てられないって言うんでしょ? でも、育てないと――」

「では同じ苦労されるなら、他の編集者をお育て下さい。その方がよほど建設的です」

「それはわかるけど……」


 そこから、しばらくは愚痴の並べあいが始まった。

 当然、クランナへのダメ出しも含まれているが、中には、


「パテット・アムニズ先生の原稿が届きませんねぇ」


 という、アウローラの嘆きも含まれている。

 パテット・アムニズの書く推理小説が最近のスイーレの好みだという事を、アウローラは理解していた。


 だからこそアウローラは主人の癒しのためにパテット・アムニズの新作を待ち望んでいるのだが、そう都合よくはいかない。

 スイーレも待ち望んでいるのは確かなのだが、無理強いしないと自分ルールで決めている。


 何しろ「ラティオ」は趣味がまず第一なのであるから。


 コンコン……


 その時、扉がノックされた。

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