趣味と実益のバランス
スイーレの執務室。実はかなり広い。スイーレの巨大なデスクのほかに、応接セットまで余裕で部屋の中に納まっている。
そういった調度品をはじめとして、分厚いモスグリーンの絨毯に、天鵞絨地のカーテン。防寒対策であったとしてもなかなか贅が凝らされていた。
このあたりはさすがは部屋の主が伯爵令嬢、というあたりだろう。
しかしながら、お付きの侍女であるはずのアウローラの衣服はいささか地味だと言える。
良く言えばそれは茶褐色のドレス。しかしステッチ、それに差し込まれたレースもかなり控えめだ。
仕事着と言えばそうなのだろうが、それは彼女がかけている丸眼鏡だけで充分「仕事のための装い」という役割を果たしていると言えるだろう。
アウローラはその眼鏡をクイッと押し上げながら、
「どうですか? 進みましたか?」
「……クランナは?」
アウローラの問いかけに対して、逆に問い返すことで応じるスイーレの衣服もよくよく見れば、質素さを感じさせる色合いだ。
こちらもまた、くすんだ灰緑という色合いのドレス。
華美な耳飾りに気をひかれて、すぐには気づけないが伯爵令嬢という立場を考えると、アクセサリーを含めて随分アンバランスであることは間違いない。
先月までは左手薬指に指輪が嵌められていたのだが、婚約破棄と同時にしっかり外されたので、ますます地味さに拍車がかかっていた。
アウローラがそんな主人の問いかけに答える。
「磔に」
「ヴォミットとのつながりは吐いた?」
「どうやら、単独犯のようですね」
「じゃあ仕方ない。今日帰るときにでも解放するしかないわね」
眉間を揉みながら、スイーレが吐き捨てるように処分を緩めた。
そんな主人の様子を見て、アウローラは小さくため息をつく。
「……と仰っしゃられても、お嬢様にばかり負担がかかるのは避けたいところなのですが」
「それなら、急かすようなことは聞かないでよ」
「現在、優先順位を考えると原稿には目を通していただけなければ。未来に関しては減らしていただけなければ」
主人を追い込むように言葉を並べるアウローラ。
しかし次の瞬間「お茶を用意しましょう」と優し気に声をかける。
まるっきり裏社会の
そして湯気を立てるカップが手元にやってくると同時に、アウローラに尋ねた。
「あなたは目を通したの?」
「コンピトゥム先生の新作、『ネブラスパイレ邸殺人事件』についてでしょうか?」
「そう。そうなんだけど……ちょっと困ってるのよ」
カップに口をつけながら、スイーレは再度アウローラに読んだかどうかを確認する。
そうするとアウローラは小さく頷いた。
するとスイーレは間髪入れずに、こう告げる。
まるで宣誓するかのように。
「――犯人はテルアミット」
その瞬間、アウローラは息を吞んだ。
吞んでしまった。
その仕草は言葉は無くとも伝わってしまう、圧倒的な肯定。
それでもアウローラは抵抗して見せる。
「お嬢様も……目を通されたのですね」
無駄な努力だと諦め、その諦めを裏切りながらアウローラは確認してきた。
だがスイーレはあっさりと首を横に振る。
「途中。だけど、テルアミットがおかしなことを言い出いてるのよね。知っていてはいけない事柄を口にするのよ」
「お嬢様はすぐに?」
「すぐかどうかはわからないけど自然に……でも、テルアミットが犯人なら整合性は保たれることになるか」
そのままスイーレはブツブツと呟きながら、さらに放り投げていた原稿を繰り始めた。
「お嬢様。それでは『ネブラスパイレ邸殺人事件』は採用という事に?」
「それはダメよ。他にもちゃんと整合性が保たれているか確認しないと」
「ですがそれは……」
反射的に反論しかけたアウローラはそこで口を噤んだ。
推理小説専門レーベル「ラティオ」は、ルースティグ伯爵令嬢ラナススイーレが趣味と実益を兼ねて設立したレーベルである。
設立はおおよそ三年前だ。
そして
実益の部分では「実りある」と言ってもいい状態だ。
何しろ伯爵家の援助なしでも十分に成り立つレーベルに成長しているからである。
しかし趣味の面ではいささか問題がある。
伯爵令嬢ラナススイーレ――スイーレが求める「完全に意表を突かれた!」と唸ってしまうような推理小説には、なかなか巡り合うことが出来ないままだからだ。
となれば、何のためにレーベルを立ち上げたのかわからなくなってしまう。
それなのにスイーレの負担は増えるばかり。
それをアウローラは憂いているのだ。
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