ペペロンチーノのにんにく

 あの日から三年と少し経過しただろうか。

蓮太郎は変わらず雑居ビルの管理人を務めながら、便利屋稼業に勤しんでいた。

あいも変わらずさほど繁盛はしていなかったが、困り事は何処にだって落ちている。

気長に誰かに頼られる時を待った。



事務所兼住宅は以前と比べとても清掃が行き届いている様に見えるが、ここ三年、模様替えは疎か不用品を手放す事はしなかった。



 蓮太郎は一階のコンビニでタバコとコーヒーを買った。

コーヒーマシンにカップを置く。

マシンが豆を挽き始める。

蓮太郎はコーヒーが抽出し終わるのを、ぼんやりレジ横のポップを眺めながら待った。



コーヒーの抽出が終わりカップを片手に取ってビルの階段を登る。

片手にコーヒー。

小脇には新聞を挟んでいるがこれは先程コンビニで買った物では無かった。



入居しているテナントの看板が各々個性豊かに蓮太郎を出迎えてくれた。

それらを横目に進んで行く。

踊り場を折り返す度に階数の表示が増えていく。

それと共に蓮太郎の荒い呼吸数も増えていった。

一段一段と登る度に少しずつ足が重くなる。



もう歳かな。

そんな事を考えながら四階まで来た。

「R's expressman」の看板が目に入るがここも通り過ぎ屋上へと階段を登った。



屋上への扉を開く。

蝶板の軋む音が甲高く鳴った。



この日は良く晴れ、温かい日差しと共に柔らかい風がそっと背中を押した。



手摺まで近づくとタバコに火を点ける。

そしてコーヒーを数口飲むと一度地面に置いた。

新聞を手に、両肘を手摺の上に預ける。



経済欄の見出しにはこうあった。



「七ツ星商事会長 七ツ星 俊長氏 死去」


七ツ星商事創業家で現会長職を務める俊長氏が病気療養の末に死去。

後任には同人の嫡子であり現社長職の俊一氏が〜



蓮太郎は読むでも無く、見つめていた。

タバコの副流煙が風に遊ばれて目に入り、苦い顔をする。



この新聞はいささかくたびれて見える。

それもその筈、蓮太郎の手に有る新聞の日付は今日から約四ヶ月前の物だった。



タバコの煙を溜め息と共に吐き出す。



下界では車が行き交い、人通りも増えてくる。



ギィーと金属の軋む音がした。



「れんたろっただいま!」



蓮太郎は振り返らずにいる。

そしてこう答える。



「しかし急だな。連絡もよこさないし」



「だって声聞いたらさびしくなっちゃうから電話ヤダって言ったでしょ?」



「それにしたって、て話しさ。それにしても随分と言葉が上手になったな」



「えへへーだってね、頑張って勉強すればれんたろに早く会えるって言うんだもんっ」



「ああ頑張ったのが良く分かる」



「えらいでしょ?ほめてほめてー」



「ああ本当に偉いよ。頑張ったな」



「えへへー」






「…おかえり、ハク」



蓮太郎は唇をもごもごさせ、タバコのフィルターに入っているフレーバーカプセルを前歯で潰す。

一度深く吸い込み、そして煙を吐く。

それから振り向いた。



ハク

「あれっ?れんたろ泣いてるの?」


蓮太郎

「違う違う、タバコのペペロンチーノフレーバーのにんにくが目に染みただけだ」


ハク

「ふーんそっか!あっ、そうだこれおじさんが渡してくれって」



ハクから茶封筒を渡される。

中には七ツ星からの手紙とA4サイズの紙が入っていた。

手紙を開く。



 九段下 蓮太郎様


 本日はどうしても抜けられない仕事が有り、同席出来ず誠に申し訳ありません。

追って後日、また機会を頂戴したく思いますので取り急ぎ手紙での挨拶ご容赦下さい。

同封しました戸籍抄本をご覧頂けたでしょうか。

漢字表記ですと、しろ、と読まれてしまう事も有るかと考えカタカナ表記にと、させて頂きました。

現在、七ツ星の性になっておりますが折を見て養子縁組申請をして頂きたく思います。

是非ともこれからの人生、九段下の名を名乗らせてあげて下さい。

詳しくはお会いした時にまた。


                 七ツ星 俊一



もう一枚の紙は戸籍抄本。

氏名には「七ツ星 ハク」と記入が有った。



蓮太郎はもう一度手摺の方へと振り返り、表の道路を覗き込む。

ハザードランプを点けて停車している車の横に立つ男へ、片手を上げて挨拶をした。

その男も手を上げて応える。



再会を邪魔しない様にと気を遣ったこの男に対して蓮太郎は

「田名瀬という男も中々乙な事をするもんだ」

と心で思った。



蓮太郎は向き直りハクに言う。



「ハク、お家へ帰ろう」



ハクも頷く。

二人は共に歩き出す。



蓮太郎

「そうだハク、俺タバコを電子タバコにしようかと思ってさ」


ハク

「えー何でー?」


蓮太郎

「いや別に今更煙を気にした訳じゃ無いぞ」


「さっきコンビニで新製品の広告見てさ、『二郎インスパイア系フレーバー』が有ったんだよ」


ハク

「何それー?どうせれんたろむせちゃうよー」


蓮太郎

「やっぱりハクもそう思うか」



笑いながら扉の向こうへと二人は進んで行った。

コンクリートを弾く音が重なり合い、小気味良いリズムを作っていく。



「ハクちょっと背伸びたか?」


「何かねぇ二センチくらい伸びった言ってたよー」

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