8.断章

【特別編】隣の席のフィーアさん

 クラスに入ると、クラスメイトが微妙な視線を向けてくる。

 平民であることと、様々な事情から周囲との関係が微妙な俺は、そんな視線を受けながら席についた。

 ただ、席についてしまえば彼らも俺に対してそれ以上意識を向けようとはしない。

 俺に対して関わりたくないと思っているのと同時に、どこかの誰かさんほど俺に突っかかろうという意志がないのだ。

 まぁ、突っかかられても面倒なだけだが。


 席につくと、俺はふと隣の席に視線を向ける。

 ここ最近は一人で登校することがなかったから、その席が空いているというのは違和感がある……というか、懐かしい光景だ。

 あのことを知るまでは、俺より後に彼女が教室へやってくることの方が普通だったのだから。


 まあでも、時間ギリギリでやってくることはあっても、彼女が遅刻することはほとんどない。

 しばらくすれば、勢いよく彼女が教室に飛び込んできた。


「うわわわわわーっ! ま、間に合ったー!」


 肩より少ししたまで伸びる茶髪のセミロング、愛らしい花の髪留めがワンポイント。

 小柄で、美人というよりは小動物のような愛らしさが特徴的な少女だ。

 彼女はそのままの勢いで席につくと、笑顔で俺に挨拶してくれた。


「おっはよー、ハイムくん!」

「ああ、おはよう――フィーア」


 んふー、という声が漏れてきそうな楽しげな声音と笑みで。

 フィーア――フィーア・カラットは俺に挨拶をしてくれた。


 この、なんとも微妙な雰囲気のクラスにおいて、ただ一人俺に仲良くしてくれた人。

 そして何より――このクラスで俺だけが知っている、ある秘密を抱えた少女でもある。


「今日はごめんね? 一緒に登校できなくて」

「いや、いいさ。だってほら、……アレがあるだろ?」

「へへ……あったね、アレが」


 なんて、ヒソヒソと二人で言葉を交わす。

 フィーアが俺に挨拶した辺りで周囲の視線は完全に俺達から外れているので、気付く人間は現れないが。

 それはそれとして、ひそひそ話で秘密を共有しているというのが楽しいのだろう。

 いたずらっぽい笑みを、フィーアは浮かべていた。


「午後もまぁ、アレなのですが」

「アレなのか」

「でもねでもね! つまり昼休みはなにもないわけなのですよ!」

「そりゃあ、昼休みにはなにもないだろうけどさ」


 学生なんだから、学園に通っている間は学生でいるべきだろ。

 と、思いつつもまぁ、フィーアの場合は仕方がない。

 何せ彼女は――王女様なのだから。


 ステラフィア・マギパステル第三王女。

 この国の至宝とも呼ばれる美姫。

 それが彼女の本当の名であり、俺が知っている――フィーアの秘密だ。


 □


 俺がフィーアの秘密を知ったのは、誰もいない準備室でステラフィア王女の姿で休憩していたフィーアを発見してしまったことが始まりだ。

 そこで、本当なら俺は記憶を消してそのことを忘れるはずだったのだが、失敗。

 平民の身でありながら特待生として、貴族の魔導学園に通っていた俺は、まぁそれなりに魔術ができてしまったのだ。

 相手の魔術を、無意識に弾いてしまうなんて芸当も、できてしまう。


 ただ、そこから俺にお咎めがあったりとかそういうことはなく。

 俺とフィーアは秘密を共有する間柄として、今も隣の席に座っている。

 というか、秘密を共有するようになってから、クラス以外でも隣の席にフィーアが座るようになった。

 まぁ、常に二人で行動するようになったから当然といえば当然なんだけど。


 しかし、その、なんというか。

 隣の席にフィーアみたいな美少女が座っているというのは、緊張を感じてしまうものだ。

 特に、授業中のフィーアは常に楽しげで、視線が合うと屈託のない笑みを浮かべてくる。

 更には時折こっちに内容の質問をしてきたりすると、距離がめちゃくちゃ近い。

 眼の前にフィーアの無防備な横顔と、鼻孔をくすぐるふんわりとした匂いが心臓に悪い。


 極めつけは、昼休みである。


「じゃーん! 昼食を用意してきました!」

「公務で忙しいって話だったのに、よく用意できたな」

「若さ……です!」

「若さかぁ」


 早起きしたんだろうな。

 というわけで俺達は今、フィーアの秘密を知ってしまった準備室にいる。

 ここは普段から、フィーアの秘密に関する内容を気兼ねなく喋れる秘密基地として俺達は利用していた。


「というわけで、今日はアレをします!」

「アレか」

「はい、アーン……をします!」

「アーン……アーン!?」


 え!? それやるの!?

 めちゃくちゃこっちは恥ずかしいんだけど?


「ふふふー、恥ずかしがるがよいぞー、私が堪能するからね!」

「くっ……卑劣な!」


 なんていいつつ、フィーアが唐揚げを差し出してくる。

 これだ、この距離感だ。

 これがとんでもなく恥ずかしい。

 嬉しくもあるのだけど、恥ずかしい。

 と、そんな時。

 フィーアがあることを思いついた様子で、いたずらっぽく笑いながら口を開く。


「そうだ、ハイムくんは私がアーンってするのと……」


 と、そこで、フィーアが何やら魔術を使う。

 まさか――



「王女様にアーンってされるの、どちらがいいですか?」



 ――フィーアの姿が、一瞬で長い金の髪の少女へと変化した。

 ステラフィア王女、天の至宝とも称される少女が今、俺にだけ笑みを浮かべている。

 その状況に、俺は思わず呑まれてしまいそうになった。

 しかし、俺にとって彼女はステラフィアであると同時に、フィーアなのだ。

 この程度のことで、やられてはいられない。

 なので、正面から返す。


「……フィーアには、前にしてもらったから。……今日は、王女様で」

「――――」


 その瞬間。

 何故かフィーアが真っ赤になって、停止した。

 いや、何で!?

 そんな恥ずかしいことは言ってないはずなんだけど。


「……前にやったときのことを思い出したら、急に恥ずかしくなったの」

「それは……自爆というやつでは?」

「ず、ずるっ子だよ、ハイムくんがずるっ子なんだよ……」


 いやずるっ子って……と、思いつつ。

 まぁ、昼食は大変美味しくいただくのだった。


 □


 そして、放課後。

 基本的に俺達は、途中まで一緒に帰る。

 で、その分かれ道にて。


「やーーーーだーーーーー! ハイムくんと別れたくないーーーーーー!」

「ここまで盛大にワガママなのは、なかなかないな……」

「やだやだやだー!」


 フィーアは、そこそこにワガママだ。

 ワガママという体で甘えている、とも言う。

 親しい相手相手にしかやらないそうだけど。

 ……というか、流石に身内にやるのは恥ずかしいから、俺にしかやらないと言っていたけれど。

 とはいえ、ここまで盛大にワガママを言うのは珍しい。


「だってだって! 流石に2日も連続で夜遅くまでアレは疲れるよー! 精神的に!」

「それはまぁそうだけどさ……役目なんだからさ……」

「そういう話は聞きたくなーい!」


 ううむ、普段はもう少し素直に聞いてくれるのだが。

 それはそれとして、フィーアはそれはもう盛大に頬を膨らませて不満をあらわにしている。

 ……突っついてみたい。

 そんな雑念を振り払い、俺は口を開く。


「まぁでも、これが終われば時間に余裕ができるんだろ? だったら、今は頑張ってそのご褒美ってことで、色々楽しめば良い」

「ご褒美ー……うー、ハイムくんもご褒美くれる?」

「ああ、そうだな。フィーアのしたいこと、全部しよう」

「全部!? あんなことやこんなことまで!?」

「……で、できる範囲で」


 そこはほら、学生ですからね。

 俺達まだ子供ですからね。

 節度あるなんとやらをですね。


「むー、しょうがないなー」


 といいつつも、フィーアは機嫌を直してくれたようだ。

 相変わらず頬は膨らんでいるけれど、楽しげである。

 と、思っていると。


「じゃあ……今すぐできることをしよう!」

「今すぐ?」

「こうだよ……えいっ!」



 フィーアが、俺に抱きついてきた。



「うお、どうしたいきなり!」

「へへへー、ハイムくんチャージだよー、私達は魔術師なんだからー、マナは一杯ためないとねー」

「そ、そうか」


 まぁ、言わんとしている事はわかる。 

 ただマナは基本的に体内に溜め込むものではないのだけど……そういう真面目な返しが欲しいわけではないよな。

 それでむくれるフィーアを見てみたいという衝動に一瞬かられるものの、今はフィーアにされるがままにしたほうが良いだろうと判断した。

 ……手を回す? 流石にできないよ、恥ずかしいし。


「んへへー、ぎゅー」

「……楽しそうだな」

「楽しいよー? こういう日がずっと続けばいいと思ってます」


 なんて、ゆるい笑みを浮かべてこちらを見上げてくるフィーア。

 柔らかな感触も相まって、こっちはなんともドギマギしてしまうけれど。


「んー……よしっ! チャージ完了! これでいっぱい頑張れるよ! ありがとね、ハイムくん」

「あ、ああ……こちらこそ?」


 ともかく、気を取り直したフィーアが王城に向かって駆け出していく。

 夕日に照らされた彼女の後ろ姿は、どこか芸術のようにも思えて――そんなフィーアが、こちらに振り向いて手を振る。



「また明日ね、ハイムくん!」



 ――ああ、また明日。

 そう、果たして俺は口にできていただろうか。

 思わず見惚れてしまうほどにきれいなフィーアの笑顔に、俺も思わず顔がほころんで。

 一日が終わっていく。

 しかし、それは決して何かが終わってしまったわけではない。

 むしろ、新しい明日に向かって、歩き出す準備ができたということだ。


 明日も頑張ろう、フィーアが見えなくなるまで見送った俺は、そんなことを決意するのだった。

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