第161話 過去①

 俺と、フィーアが?

 思わぬ発言だ。

 本当にそんなこと、一度も考えたこともなかったくらい。


 だって俺は平民で、フィーアは王族だぞ?

 確かに――


「お母様はアインヘリア傭兵団……ハイムくんの同郷だよ? しかも、ハイムくんの師匠」


 ――そういう、無視できない接点はあるものの。

 だからといって、


「悪い、俺にはその記憶がない。もし会っていたとしても、それは覚えてられないくらい昔のことじゃないか?」

「私も……断言はできない。でも、覚えがあるの」


 そう言いながら、フィーアはあるものをカバンから取り出した。

 それは、本だ。

 だいぶ古く、何度も読まれたのか色褪せていて。

 それでも、大事にされているからか保存状態は悪くない。


「ちょうど、持ち歩いてて良かった。この本――覚えてる?」

「いや……でも、装丁とかはうちの傭兵団で写本を作る時に使うものだ」


 ……くわえて、フィーアは中を見せてくれた。

 そこには、魔術に関するごく基本的な内容が書かれている。

 ――俺の筆記魔術の癖で。


「……俺が、書き写したもの、か?」

「私の部屋には、同じ癖の本がいくつかあるって前に話したよね」


 前にストラ教授の論文を書き写す手伝いをした時のことだ。

 フィーアはその”癖”が好きだと言っていた。


「思い出したの。その本は、全部お母様がくれたものなんだ」

「ってことは……師匠がわざわざ俺の写本を、フィーアにプレゼントしていた?」


 それならば、覚えがある。

 師匠が俺に色々と指導をする際、指導料だといって俺が写本した本を持っていっていたのだ。

 正直、写本なんて手間のかかることでもなし。

 大量に作った本の一つでしかなかったから、殆ど気にも止めていなかったが。


 娘へのプレゼントだった。

 そう考えれば、指導料として妥当なところだと思える。


「たぶん、そうだと思う。だってこの本は……私の人生で一番大切な本だから」


 そう言って、フィーアは俺が写本した――随分と色褪せた古い本を抱きしめる。

 その言葉に嘘がないのは、これまでの付き合いで良く解る。


「やっと思い出した……そっか、私がこうしていられるのは、全部ハイムくんのおかげだったんだ」

「……? それって?」

「あのね? 信じられないかも知れないけど、私って――」


 そういって、抱きしめた本を抱えながら、少しだけ寂しそうに。

 けれども、過去は過去だと懐かしむように。



「昔の私は、こんな風に明るくて前向きじゃなかったの。……もっともっと内向的で、弱虫だったんだ」



 それは、本当に。

 信じられない。

 たぶん、フィーアが俺と昔会ったことがあると言った時よりも。

 俺を驚かせた言葉だった。

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