第21話 爛れ落ちる百合の花(1)

 翌日、紺鉄は学校に出てきて、ぼんやりと真朱の後ろ姿を眺めていた。

 真朱は普段と変わりなく授業を受けている。

 昨夜に滅多刺しにされて殺されたようにはとても思えない。



 真朱はこまめにノートを取りながら、ときおり教師に見つからないよう机の下でスマホを見ていた。

 スマホを見る真朱は笑みを浮かべている。

 その微笑みは優しげだが、紺鉄にはどこか冷ややかな陰りがあるように見えた。

 紺鉄ははじめて、真朱の整った横顔に冷ややかな翳りがあることを知った。



 授業が終わると、真朱は足早に教室を出ていった。

 賢木香やほかの部活のある者たちも同様に教室から出ていく。

 教室に残った者たちは、女子を中心に文化祭の出し物「BL蝋人形館」の制作に取り掛かった。

 

 

 昨夜、新棟が全焼したというのに、文化祭は予定通り行われる。

 祭りを楽しみにしている生徒たちには朗報だし、問題を出したくない学校にとっても好都合だ。

 幸か不幸か、新棟は普段から使われていなかったし、なにより人的被害が出なかったのが幸いした。



 そう。あの火事で怪我をしたり、まして死んだ者などいない。



 紺鉄はあの火事で大火傷を負ったが、一夜明けてほぼ元通りに治ってしまっている。

 殺された真朱はすぐに生き返った。

 焼け死んだ偽の白月はもとより死んでいる人間だ。


 

 だから怪我した人間も、死んだ人間もいない。

 なにもなかったのと何も変わらない。

 あの火事は、この学校が見た夢のようなものだった。




 BL蝋人形館の制作は最後の仕上げに入っている。

 それぞれの衣装、小道具にはこれでもかというほどの意匠が凝らされていた。

 僧侶が纏う袈裟には金銀の刺繍がまやかにされているし、武士の刀の鞘の華やかさは、紺鉄の腰の一物をわびしく見えさせるほどだ。

 素人の紺鉄から見ても、高校生の出し物の域を超えている。

 素直に出せば、真面目な歴史展示として高く評価されるだろう。

 

 

 だがこの展示の真のテーマはBLだ。

 BLとは普通の高校生にあれだけの衣装を作らせてしまうのか。

 その情熱はどこから来るのか。

 着々と出来上がる現実を直視したくない紺鉄は、目を窓の外に向けた。


 

 窓から見えるさほど広くない校庭には、白いテントが立ち始めている。

 体育会系の部活も文化祭モードに完全にシフトしている。

 そのため練習で校庭や体育倉庫を使用する部はない。



 紺鉄のスマホが振動した。

 小鹿御狩からのメールだ。

 紺鉄はメールを一読すると、製作陣に指示を出している女子に話しかけた。



「ちょっと出てもいいか?」



「いいわよ〜。京終君は本番にさえいてくれたらいいから」



 BL蝋人形館の制作リーダーである泡味珠美あわみたまみの返事に、紺鉄は首を傾げた。



「本番って……、俺も蝋人形やるんだよな?」



「そうよ。京終君は圧倒的賛同を持って、蝋人形に選出されたんだから」



 制作している女子たちが一斉に頷いた。



「そ、そうなのか…‥。でさ、衣装合わせとかしなくていいのか?というか、俺、採寸すらされてないんだけど……?」



「ああ、それなら大丈夫。京終君の体のことならミリ単位で把握しているから」



 またも女子たちが一斉に頷くが、紺鉄はさっと青ざめた。



「なんで!?どうやって!?」



 紺鉄の悲鳴に、泡味は唇に人差し指を当てて意味深に微笑む。



「それは秘密よ。知ろうとすれば京終君はこのクラスの深淵を覗くことになるけど、それでも知りたい?」



 すると、教室にいたすべての女子が一斉に泡味と同じ笑みを紺鉄に向けてきた。

 その中には斗鈴もいた。


 草葉の陰から尊いものを見守るような優しい笑顔。

 剥き出しの欲望に歓喜し身を震わせているような笑顔。

 社会の表で晒していいものではない笑顔。



「ひいっ」


 紺鉄は情けない声を出して、首を横に振り、後ずさった。

 昨日桜花に弄ばれた尻が、なぜかズキと痛んでいる。

 紺鉄の反応に、泡味珠美は満足そうに何度も頷いた。



 「うんうん、いい子いい子。じゃあ本番よろしくね!」



 他の女子たちも何もなかったかのように展示物の制作に戻って行った。

 


 一方、教室にいた男子たちは一人として声をあげなかった。

 クラスの深淵を垣間見せられた彼らは、紺鉄に向かって、哀れな子羊を見るような眼差しを送るのが精一杯だった。




 紺鉄はほとんど逃げるようにして教室を後にした。

 斗鈴は女子たちを手を振り合いながら、紺鉄を追って行く。

 足早に廊下をいく紺鉄が、ふと立ち止まり、ついてきている斗鈴を振り返った。



「なあ、お前までいつの間に……」



 紺鉄はそこで言葉を飲み込んだ。

 斗鈴がまた先の笑顔で紺鉄を見上げていたからだ。

 紺鉄は、今しがた見たもの聞いたものを記憶の向こうへ押しやるように、強く耳を塞ぎ固く目を閉じた。

 それから顔を上げると、よたよたと廊下を歩き始めた。



 紺鉄は何も見なかった。教室では何も起こらなかった。


 

 だからこの時かかった呼び出し校内放送も、紺鉄の耳には入っていなかった。

 斗鈴はもちろん放送に気が付いていた。

 しかし斗鈴はイタズラっぽく微笑むと、何も言わず、だまって紺鉄の後ろをついて行った。


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