第22話 爛れ落ちる百合の花(2)


 紺鉄はよたよたと体育倉庫にやって来た。

 周りに人の気配はなく、離れた旧校舎の喧騒が遠くに聞こえている。

 学校全体が文化祭一色になっているいま、放課後に体育倉庫へと来るものはいない。

 

 

 紺鉄はスマホを取り出して、小鹿御狩からのメールを読み返した。

 メールには御狩が目撃したことのすべてが書かれていた。

 昨夜、新棟で瀬田真朱を殺した犯人の名前。

 そして、犯人と瀬田真朱の現在の居場所。



 体育倉庫の鉄製の引き戸に掛けられている南京錠が開いている。



「確かにいちゃつくには定番の場所だけどさ」



 紺鉄はため息を付くと、音を立てないようにゆっくりと扉を開け、中へと体を滑り込ませた。

 体育倉庫の中に入ってすぐ、紺鉄は息が詰まりそうになった。

 中は11月とは思えないほど蒸し暑く、積もった埃の匂いと爛れた果実のような生臭さが充満していた。

 


 奥から荒い息遣いが聞こえてくる。

 紺鉄は背の高い跳び箱の影に隠れて、奥を窺った。

 体育倉庫の中央にマットが敷かれていて、小さな窓から西陽が差し込んでいる。

 その光の中で、二人の女が絡み合っていた。



 一人は瀬田真朱だ。

 右目を見開き、マットの上にぐったりと横たわっている。



 もう一人は賢木香だった。

 真朱の上に馬乗りになり、自分で胸を揉みしだき、真朱に擦り付けるように腰を振っている。

 顔は恍惚とし、涎を垂らし、完全に忘我の向こうへ行ってしまっている。



 賢木は横から出刃包丁を取り上げ、大きく振り上げた。

 まばゆい西陽の光条で、血がべっとりとついた出刃包丁が禍々しく光る。

 包丁が真朱の体に突き刺さった。

 何度も何度も。

 ドスドスと濁った音が体育倉庫に響く。

 真朱は動かない。眼帯をしていない右の目は瞬き一つしない。

 


 賢木は包丁を投げ捨て、真朱の首に手をかけ指を食い込ませた。

 その手はまるで鬼のように血管が浮き出て筋が深い影を作っている。

 瀬田の首の骨が軋む音が聞こえるようだ。



 それから賢木は真朱の紫になった唇にむしゃぶりつき、青白い頬に歯を立て、開き切った右の瞳に舌を這わせる。

 そうして横ろびに身を震わせ、また激しく腰を振り始める。 

 


 あまりに虚しく寂しい有様に、紺鉄は居た堪れなくなった。



「オナってるところ悪いんだけどな」


 

 紺鉄はのんびりと陽気な声をかけた。

 弾かれたように振り向いた賢木は、文字通り肝を握りつぶされたような顔だった。



「っ!」



 賢木は声にならない悲鳴を上げ、出刃包丁を取り、紺鉄に突きつける。

 紺鉄はやはりのんびりとした声でいう。



「殺した瀬田をオナホ扱いかよ」



「どうして……ここが?」



「定番のスポットだからな」



 のらりくらり。紺鉄は徐々に賢木との距離を詰めていく。



 賢木は包丁を紺鉄に向けたまま、真朱の死体を引きずって後ずさるが、すぐに壁に追い詰められてしまう。



 紺鉄は包丁の切先の前にしゃがみ、賢木の顔を覗き込む。



「お前、これが初めてじゃないよな?」



「……」



「昨日、新棟の5階で瀬田を滅多刺しにしたのもお前だよな?」



「そ、そんなの、どこに証拠が……」



「小鹿御狩が見ていたよ。知ってるだろ?瀬田の公認ストーカーの。写真も残ってるってさ」



「……」



「それだけじゃないんだろ?前にも屋上や、女子トイレでも瀬田を殺しているよな?」



「……」



「瀬田のことが大好きなお前が、どうしてそんなことをしたのか……」



 紺鉄はじっと賢木の目を覗き込む。

 賢木が紺鉄の喉に包丁を突き出す。

 包丁の切先が紺鉄ののどに触れ、血が流れた。

 賢木はしっかと真朱の体を抱いている。まるでしがみつくように。



「お前さ、瀬田が生き返ると知って、だから殺そうとと思ったのか?」



「……」



「殺しても生き返れば殺したことにならないよな?」



「……」



「お前が瀬田を生き返らせたとは思えない。誰だ?お前は誰から瀬田が生き返ると聞いた?」



 なぜ瀬田真朱は生き返るのか。

 瀬田の異常にまつわる秘密を知る人間は、賢木ではない。

 賢木の向こう側にいる。

 賢木を見据える紺鉄の目が、知らず鋭く鈍い光を帯びる。



「あ…‥あ……」



 賢木がたどたどしく声を漏らした。

 紺鉄は賢木の言葉をじっと待つ。

 だが、賢木は紺鉄の予想のしない言葉を吐いた。 



 「あんたに真朱は渡さないっ」




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