第48話 死後の安息について
留置場、という物騒な施設柄、医務室の設備はかなりしっかりしていた。部屋は広く、ベッドはたくさん置いてあり、戸棚には無数の瓶が並んでいる。
がぶっとやられた肩口は、幸い傷は深くない。かすった程度だ。
「ちょっと上脱ぐからこっち来ないでね」
まりあがつっけんどんに言うと、シャルルは当然だ、とうなずいた。
「わかっている」
いくつかベッドがあり、それぞれに仕切り用のカーテンがついている。まりあは適当なカーテンの陰に隠れ、上着を脱いで傷口に拝借した消毒液を塗る。ツンと沁みた。
自分で傷口を消毒し、包帯を巻きつけながら、シャルルはまりあを詰問する。
「黒い犬を見たというのは本当か」
「本当。アンタには見えてないってのは本当?」
「本当だ。……これで目撃者は二人か。おまけに、貴様はその犬を抱きかかえて語りかけた。見間違いではないようだが……。それならば、なぜ我々には見えない?」
私とトミーには見えて、それ以外の人には見えていない? どういうことだろう?
少し考えて、まりあはハッとした。思い当たることがある。
「……。妖精、なんだと思う」
「妖精だと?」
「トミーって赤毛でしょ? バーバラさんが言ってた。赤毛の人間には妖精が見えるって。それなら私とトミーにだけ見えることにつじつまが合う」
「なるほどな。確かに、姿を隠している妖精を見ることができるのは赤毛の人間と、純粋な子供だけ。それならば合点がいかなくはないが……。なぜ私やリリスを襲う?」
軽い手当を終えると、まりあは服を着なおしてカーテンから出た。
シャルルの手首の傷を目の当たりにして、ちょっとたじろいでしまう。肉が抉れた傷口は、かなり深い。
「そこまではわからない。犬の妖精ってどんなのがいるの?」
「私はこの手の話には疎いから、詳しくは知らんが……。有名なのはブラック・ドッグだな。死期の近い人間の前に姿を現す不吉な黒犬」
「それが本当なら、近いうちに私たちは死ぬわけだ」
「いいや。本当にブラック・ドッグならば、死が迫っている被告人の目にもその姿が見えるはずだ。おそらく、違う」
「じゃあ、なに?」
「さあな」
ぐるぐると包帯を巻きながら、シャルルは顔をしかめている。
「……貴様は、どうあっても被告人の弁護をするつもりか?」
「もちろん」
「魔女の味方をするのなら、お前も魔女かと疑わざるを得ない」
「それでも、弁護はやめないよ」
しかめ面を浮かべ、傷の痛みに軽く呻いてから、シャルルはぽつぽつとこぼす。
「彼女はすでに死を選んでいる。死の安息を望んでいる。それを、貴様は救うというのか? 余計なお世話だとは思わんのか?」
「思わない」
「裁きを受ければ天国へ行ける。おとなしく死なせてやるのが彼女のためだ、とは思わんのか?」
「思わない」
「天の国は彼女を迎え入れる。その安息を邪魔する権利が、お前にあると思うのか?」
我慢できなかった。
まりあはカッ、と頭に血が上って、思わずシャルルの頬を平手で打った。
パチン! と皮膚のぶつかる乾いた音がして、シャルルの目が驚きに見開かれた。
「うるさいな。天国天国ってなに? そんなもののために、助けられる人を見殺しにするって言うの?」
あの時と同じだ。
治るはずの病の弟が、天国へ行くために、と見殺しにされたあの時と。
そんなの、私は納得しない。
パチパチパチ、と小さく拍手が聞こえた。
「いい啖呵だ」
口を挟んでくる声がある。奥のベッドに、誰か寝ていたらしい。この声は。
「リリス? ここにいたんだ」
「そう。じっとしてろって、括り付けられちゃって」
声のする方を見て見れば、そう言えば奥の方に一か所だけ、最初からカーテンが締まっていたベッドがある。
シャーッ、とカーテンを開けると、比喩ではなく本当にロープでベッドに縛り付けられているリリスが寝転がっていた。
その様を見たシャルルが鼻で笑った。
「ふん、いい気味だな」
わざとらしく悲し気に、リリスは眉毛を下げる。
「みんな酷いんだ。よってたかって僕をこんな目に」
「日頃の行いが悪いからだろう」
「そうやってこじつけて自己責任に持って行くの、よくないと思うなぁ。まりあ、助けてくれ。シャルルは当てにならない」
リリスの嘆願に、まりあはツーンと顔を逸らす。
「助手はクビなんでしょ? 手伝ってあげる道理はないんだけど?」
この扱いは確かにあんまりかもしれないが、しばらく寝ていた方がいいのは本当だろう。
「これは困ったな。一本取られた」
「足をやられたって聞いたよ。あんたの代わりに私が調査に行ってくる。おとなしく寝てて」
そう宣言して、まりあは部屋を後にする。
「ちょっと、僕も行くよ。おーい!」
リリスが呼ぶ声は無視だ。まずはどこを調べるべきだろう?
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