第41話 シャルルの事務所

 シャルルの事務所は街のはずれの、簡素な建物だ。

 べたっと土を塗っただけの壁。草むしりだけはしっかりされているが、なにかを植えているわけでもない庭。ドアプレートすら出ておらず、外見だけで住人が全く遊び心のない人間だというのがわかる。

 リリスが、鉄の塊をくっつけただけの武骨なドアノッカーを叩く。中から返事があった。


「なんだ」

「僕だよ。まりあも連れてきた。なにか用事なんだって?」


 少しの沈黙の後、足音がこちらへ近づいてきてドアが開いた。

「入れ」


 ぶっきらぼうに入室を勧められるが、正直この人のテリトリーには入りたくない。

 近くで見るとやっぱり大きい。百八十センチは余裕であるだろう。ラグビーとかやったら強そうだ。


「大した用じゃないならここで聞かせてほしいんだけど」

 まりあが言うと、シャルルはぎろっと丸い目玉をこっちへ向けた。

「入れ。長くなる」

「勘弁してよ……」

 げんなりしているまりあに、リリスは耳打ちした。


「隙を作って逃げよう。僕そういうの得意だから」

「聞こえているぞ!」


 怒鳴りながらも、一応もてなす気はあるようだ。シャルルは二人に椅子を勧めると、奥へ引っ込んでお茶を淹れ始めた。

 カチカチと火打石を打つ音が聞こえる。ここ最近バーバラが料理するところを見ていたからわかる。こっちにはガスコンロもポットもないので、火をおこしたり煮炊きしたりするのが結構めんどくさい。


 あっちに気を取られてるうちに、さっさと帰ってしまおうか。

「今逃げるのはだめなの?」

 まりあが聞くと、リリスはちっちっち、と人差し指を振った。

「多少は話を聞いてからにしないと、また家まで押しかけてくるよ。ある程度話が済んでからにしよう」


 しばらく待っていると、シャルルはコップにお茶を淹れて二人の前に持ってきた。焼いた土でできている、湯飲みみたいなコップだ。

 しかも、中に注がれているのは緑色の液体。凛とした苦い匂いも程よくくすんだ緑色も、完全に緑茶のそれだ。


「あれ……? 緑茶?」

「どうした。気に入らなかったか?」

「あ、いや、違くて。こっちにもあるとは思ってなかったから」


 西洋に近い風土だと思っていたから、唐突に出てきた和の文化に驚いてしまった。

「お前の故郷にもあったのか? 案外、文化は近いのかもしれんな」

 リリスはコップを手に取るより前から渋い顔をしている。


「僕はこのお茶、にがすぎるから好きじゃないんだけどなぁ。他のはないの?」

 ぴき、とシャルルの額に青筋が浮かぶ。

「出されたものに文句をつけるな」


 シャルルの発する怒気などどこ吹く風、と言った調子で、リリスは涼しい顔をしている。

「せめて甘いお菓子でもあればおいしく飲めるんだけどなー。そうしたら、飲み食いしてる間くらいは逃げずにここにいるのになー」

「ええい! 図々しい奴め! 用意してあるから黙っていろ!」


 シャルルは戸棚から牡丹餅を取り出した。

 こちらの世界で目にするとは思っていなかった緑茶と和菓子のセットに、まりあは目を丸くする。

 もしかしたら、気がついていないだけで他にも日本に近いものがあるかもしれない。気を付けて見ることにしよう。


「わあい。僕、これは大好き。それで? なんのご用事だったの?」

 おほん、と咳ばらいをしてから席に座ると、シャルルは言った。


「天草まりあには、相応の研修を受けさせるべきだ。それと、洗礼も」

 添えられたつまようじで牡丹餅を切り分けながら、リリスは渋い顔をしている。


「その必要はないよ。彼女はクビにした」

「聞いてないぞ」

 驚くシャルルに、リリスは涼しい顔で応える。

「昨日決めたから」

「私はまだ納得してないし、やめる気ないんですけど」


 言い争いが始まりそうだった空気を、シャルルの咳払いが破る。

「おほん。ともかくだ。彼女は、前回の裁判の争点を理解していなかっだろう。他にも知らないことはたくさんあるはずだ。助手を続けるにしろやめるにしろ、知っておくべきことは多いだろう」


 眉間にしわを寄せてリリスを睨みながら、シャルルは文句を垂れる。

「私はてっきり、お前が教えているものだと思っていたぞ。お前の助手なんだからな。お前がやらないなら、私が教育係をしてやってもいい」

 まりあは即座に口を挟む。

「絶対いや」

「なんだと。人が親切で申し出ているのに……!」

「どうせ、「神様は絶対だ」って話を私が眠くなるまでするだけでしょ?」

 覚えがある。教団の集会でそんなようなことをやっていた。


 ふふ、とリリスが笑った。

「当然と言えば当然だけど、シャルルってばずいぶん嫌われたね」

「関係ない。私のことが嫌いだろうがなんだろうが、今のままでいいわけがないだろう」

「そう? 僕は今のままでいいと思うけどね。彼女は人の死に忌避感を覚えただけだ。人として正しいよ。むしろ僕たちが、神の教えに則れば人を殺していいと思っている事実を省みるべきじゃないかな?」

「煙に撒こうとしても無駄だ」

「そんなことしてないんだけどなぁ」


 ガタッと椅子を蹴って立ち上がったシャルルが、その大きな手でリリスの首を掴んだ。

「真面目にやれ! 我々は法と人の命を預かる立場にいるんだぞ!」

 大柄なシャルルは見た目通り力も相当強いらしく、掴み上げられたリリスはぷらーんとつま先が浮いてしまっている。リリスだって、男にしては線が細いが、小柄だと言うほどでもない。それを難なく掴み上げるなんて、とんでもない腕力だ。


「ちょっ! やめなって!」

 慌てるまりあを制したのはリリスだ。

「大丈夫、気にしないで。いつものことだから」

「いつも!? これが!?」


 ぎりり、とシャルルの大きな手が、リリスの細い首を締め上げている。なにかのはずみで簡単に折れてしまいそうだ。

 本人は余裕そうにしているけど、締める力は相当強く、だんだんリリスの顔が赤くなって、呼吸が乱れ始める。


「そうやってすぐ暴力に訴えるのが君のよくないところだよ」

「黙れ。お前があまりにも目に余るだけだ。よそではやらん」

「僕だけ特別か。嬉しいな」


 命を握られていると言っても過言でもないのに、リリスは目を細めて穏やかに微笑む。

「君の言いたいことはわかったよ。今度は、僕の話も聞いてもらおう」


 そこでようやく、シャルルは締め上げていた手を離した。

 リリスは床に崩れ落ち、けほけほ、かはっ、とせき込みながら苦しそうに息をする。

 呼吸が落ち着くと、リリスはしゃがみこんだままシャルルを手招いた。


「ちょっと耳を貸しておくれ」

「普通に話せばいいだろう」

「いいから」

 シャルルは素直に従った。リリスのそばにしゃがんで、その口元に耳を寄せる。


 その時、リリスはまりあの方にちらりとアイコンタクトを送って来た。

 勘でしかないが、その意図はだいたいわかった。

 まりあは頷いて返事をすると、軽く椅子を引いて立ち上がる用意をする。

 クビだなんだと揉めてはいるが、だいたいの呼吸はわかって来た気がする。


「もうちょっと寄ってよ」

「だから、なぜだ」

 疑問を言いつつも素直に従うシャルルの耳に、リリスはふーっ、と息を吹きかけた。


「ひっ!?」

 不意打ちを受け、ぞわっと鳥肌の浮いた顔で、シャルルは飛びのいた。

 その隙にリリスは立ち上がり、玄関を目指して走る。まりあもそれに続いた。


「リリス! いい加減にしろ!」

 背中を追いかけてくる怒声もなんのその、まりあとリリスは脱兎のごとくシャルルの事務所から逃げ出した。

 ある程度走ってから振り返る。追ってきている様子はない。うまく逃げられたようだ。


「いやあ、いい反応だった。これだからシャルルはからかい甲斐がある。まりあも今度やってみるといい」

「ははは……。ちょっと私にはその度胸ないわ……」

「そう? 楽しいよ?」

「楽しい……、かな?」


 緑茶も、牡丹餅も、この世界にあるなんて知らなかった。

 自分はもう少しこの世界を知るべきかもしれない。そういう意味では、確かに研修を受ける必要はある。ここは異邦の地。郷に入っては郷に従えだ。


「リリス」

「うん?」

「私、こっちの世界のことをもっと知りたい」

「さっき研修は嫌だって言ったじゃないか」

「シャルルから受けるのが嫌なだけ。こっちの世界のことは、きちんと知るべきなんだと思う」

「知りたいことがあれば教える。けど、仕事を続けるのには反対だ。僕はここを譲る気はない」


 この争いが始まってからずっと、リリスの言葉から棘は感じない。

 感じるのはむしろ、気遣いと私に対する好感。

 リリスは、私に今のままでいて欲しいのだ。

 私の今の倫理観と価値観、そして心を守ろうとしている。ショッキングなことから遠ざけようとしている。


 でも、ここで「はいそうですか」と引き下がるわけにはいかない。

 それじゃ、なんのためにこの世界にやって来たかわからない。

 今度こそ私は、救いが必要な人を見捨てたくないのだ。

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