第36話 魔女ジェーンの回想
被告人の席に立たされたジェーンは、昔のことを思い出していた。
どこにでも飛んでいける力が欲しい。
遠い場所へでも、風のように駆け付けられる力が。
その力があるのならば、己の魂など惜しくはない。
縋るように悪魔を召喚し契約を結んだ時、ジェーンは若いシスターだった。
今となっては場所も覚えていない、田舎町にほど近い森の中にある孤児院で、子供たちに囲まれて暮らしていた。
お金はなく、食べ物も乏しく、つつましい暮らしだったが辛くはなかった。子供たちの笑顔と成長が身近に感じられるのなら幸せだった。
この世は不平等だ。ここにいる子供たちは、世の不条理や不公平ではずれくじを引いたがごとく、ここにいる。
だからせめて、自分だけはこの子たちの味方でいようと、強く心に決めていた。
ある日、孤児院が盗賊に襲撃されて、子供たちは一人残らず連れていかれた。人買いに売り飛ばすためだ。ジェーンが町へ買い物に行っている間の出来事だった。
ジェーンは街の憲兵団に子供たちを助けてくれるよう訴えたが、まともに取り合ってはもらえなかった。
身寄りがないということは、いなくなっても困らないということだ。辛い目に遭っているのなら助けてあげたいと思ってくれる人がいないということだ。
盗賊のアジトに踏み込むことだってできたはずなのに、憲兵団のしたことと言えば、町の警備を強化することくらいだった。
ジェーンは、親兄弟に捨てられ孤児院に流れ着いた子供たちにはこう伝えていた。
「この世にあなたのことを大切に思う人がいないとしても、神様はあなたの味方です。あなたは一人ではありません。神様は常に私たちを見守ってくれています。我々は孤独ではないのです」
神様なんて見えないし、いないかもしれないよ? と泣きだす子供にはこう答えた。
「でも大丈夫。私がいます」
ジェーンは毎日神に祈った。どうか子供たちをお救いください。
ある日、救いは訪れたかに思われた。
夜中に孤児院の戸を叩くものがあった。
さらわれた子供の中の一人が、傷だらけになって転がり込んできたのだ。
その子の名はジャン。子供たちの中では一番年上の、やんちゃで力が強くてかけっこが早いのが自慢の子だった。
神はいた。ジェーンはジャンの無事を喜んだが、すぐに不安な気持ちになる。
「ジャン、どうしたの? もう安心よ。あったかいスープを飲みましょう?」
ジャンは首を横に振っている。
「みんなもすぐに来るんでしょう? 一緒に逃げてきて、あなたが一番乗りで着いたのよね?」
首を横に振って泣きじゃくりながら、ジャンはようやく言葉を吐き出した。
「みんな売られちゃった」
ジェーンは深い後悔に捕らわれた。
売られたってどこに。あの子たちはもうここへは帰れないの?
神はあの子たちを見守っていないの?
ジェーンは自分を省みた。憲兵が動かないからなんだ。自分一人でも乗り込んでいくべきだった。神がなんとかしてくれるだなんて思うから、あの子たちは泣いている。
ジェーンは決意した。
神がいなくとも、あの子たちには私がいる。
悪魔に授けられた、どこへでも風のように飛んでいける魔法で、ジェーンは街から街、村から村を渡り歩いて、虱潰しに子供たちを探した。
悪魔は、力の代償にジェーンの魂と生贄の心臓を求めた。
魂を奪われた者に安息はなく、死後は天国へ行くことはかなわず、地獄で悪魔に仕えることになるらしい。死後のことなどどうでもよかった。今泣いている子供たちの方が大切だった。
生贄の心臓には困らなかった。子供たちを売り買いする極悪人を殺して捧げた。
鎖につながれた子供たちは、ジェーンが助けに行くとホッとして泣き出した。
一人、また一人と助け出し、孤児院へ連れ帰った。
これでいい。この子たちが健やかに生きていけるのであれば、魂を売り渡した甲斐もある。
大丈夫。自分は悪魔の力を使いこなせる。魔女に身を堕として魂を奪われても正しく生きていける。この力は悪事には使うまい。強く、自分に言い聞かせていた。
ようやく最後の一人を見つけ出し、さあ、これでようやく元のように暮らしていけると一息ついた、ある時。
町から武器を持った憲兵団がやってきた。
「この孤児院に人さらいの魔女がいると通報があった。奴隷の子供を誘拐して回っているな? 一緒に来てもらう」
「いいえ、誓ってそんなことはありません」
「この孤児院は、以前盗賊に襲われて大勢の子供が死んだそうだな。その時に死んだはずの子供の声が聞こえるとの報告もある」
町の奴らは、さらわれた子供たちのことは死んだものとして扱ったらしい。
おそらく、書類上そのように処理して、市民にもそのように報告して、みんながそれを信じたはずだ。
「いいえ。違います。あの子たちはさらわれただけ。死んでいません」
「お前は気が狂って現実が見えなくなっている。悪しき魔法で死者を蘇らせたのではないか?」
子供たちは全員、生きているうちに奪い返した。死者を蘇らせる魔法なんて使っていない。そんなものがあるのかどうかも知らない。
「違います!」
「中を調べさせてもらう」
憲兵団は無遠慮に中へ踏み込むと、絶句して気味悪そうにジェーンを見た。
子供たちには隠れているように言ったが、片付ける時間まではなかった。食堂では人数分の食事を作っている最中だし、洗濯物も人数分ある。ここにジェーン以外にも人がいるのは一目瞭然だった。
ジェーンはすぐに捕らえられ、町の牢屋に閉じ込められた。次の日には火炙りになることがトントン拍子で決まったが、自分の命などもはやどうでもいい。
さらわれた子供たちはみんな助けた。やるべきことはやった。ならばもう、死を恐れる必要はない。
年長者のジャンが、あとはうまくやってくれているはずだ。いつかこういうことが起きた時、子供たちは任せたと以前から言ってある。
それなのに、フクロウすらも寝静まった夜遅く、牢屋にこっそりジャンが忍び込んできた。
「ジャン! どうしたの!? 他の子たちは?」
ジャンは悔しそうに唇をかみしめていた。
「あいつら、孤児院に火をつけやがった。……オレしか助からなかった」
後で聞いた話だが。年少の小さい子たちは炎に巻かれながら、少ない水を全てジャンに被せて、それでも足りないと分かれば覆いかぶさって肉壁になり、彼を火の気から守ったらしい。
自分たちはまだ小さいから無理だけど、大きくて強いジャン兄ちゃんならきっとできる。生き残ってみんなの大好きなシスターを助けに行ってあげてね。
そう言い残して、焼け死んでいったそうだ。
どこから盗んできたのか、ジャンは手早く牢屋の鍵を開けてジェーンを救出した。
焼け焦げた孤児院跡地にうずくまった時、ジェーンは涙も出なかった。
指をかみ切り、滴り落ちる血で地面に召喚の陣を描いた。
現れた悪魔は機嫌よさそうに微笑んでいた。
「何用だ、我がしもべよ」
「恐れながら我が君。滅ぼしたい町がございます。なにとぞお力添えを」
「ほう、珍しい。お前はそういったことは望まぬと思っていたが」
言葉に詰まった。
悪魔の力を悪用はするまい。人を傷つけるような使い方はするまいと、心に誓っていたはずだった。
悪魔は満足そうに笑った。
「よい。かわいい下僕の頼みだ。叶えてやるとも。望み通り地獄を見せてやろう」
だが、と悪魔はもったいぶる。
「生贄の用意がないようだな。タダで主を働かせるつもりか?」
「申し訳ございません。すぐに」
「よいよい。珍しいことではない。感情のままに力を欲し、用意をせぬまま召喚に及ぶ魔女は珍しくない。ゆるりと待つゆえ、丁寧に支度せよ。そうさな、我は今、生きのいい若い心臓が欲しい。小りすのように跳ねる子供の心臓が」
ジェーンはためらった。
魔女になったのは、子供たちを守るためだったはず。
よその子であっても、子供を殺すことには抵抗がある。
悪魔の前を辞して、生贄を探して歩き出した時、ジャンが言った。
「やめよう。シスターは助かった。俺は生きてる。このまま逃げよう。アイツらだって、そっちの方が嬉しいに決まってる!」
ジェーンだって、そう思う。
けれど、やりきれない。飲み込めない。
思案にふけっていた時、ふいに耳を叩いた悲鳴があった。
「ひっ! ほんとにいる!」
そちらへ目をやると、小さな男の子が一人。
ジェーンに見つかると、子供はすくみ上った。
「ごっ、ごめんなさい! 興味本位で来ただけなんです! 見逃してください!」
一目で育ちのいい子だとわかった。きれいな服を着ている。髪も整えられている。ふっくらした頬をしていて、毎日おいしいご飯が食べられていることがうかがえる。
乾いた笑いが漏れた。この子と死んだ子たちの、なにが違ったというのだろう。
腰を抜かした子供が、泣きながら叫んだ。
「俺の父ちゃんは憲兵なんだぞ! 俺になにかしてみろ! 父ちゃんがお前をぶっ殺すんだからな!」
ジェーンは、笑顔を抑えることができなかった。
「そう。それはいいことを聞いたわ」
その日、初めてジェーンは誘拐を行った。泣いて父を呼ぶ子供の心臓を抉り出し、悪魔に捧げた。
子供の首は町に投げ込んだ。心配して我が子を探しているであろう親に、所在くらいは教えてやろうというせめてもの慈悲だ。
ほどなくして、その田舎町は滅びた。
色々と証拠は出ている。死刑は確定だろう。
では、自分を捕えたあの小娘に、ちょっとばかり嫌な思いをさせてやろう。
被告人尋問が始まった時、開口一番にジェーンは言った。
「全て、状況証拠に過ぎません。私はその子同様に、誘拐された生贄です。魔女などではありません。本物の魔女は、私に催眠術をかけて操っていました。馬車から数々の証拠が出たそうですが、その馬車が私の持ち物だという証拠はあるのですか?」
すぐにばれる嘘だ。ジェーンははっきりと、まりあに向かって「自分は魔女だ」と名乗った。
すぐにばれる。まりあが自分の見聞きしたことを話して、「こいつが魔女だ」と証言すれば。
この少女の証言が決定的な判断材料になって、自分は処刑されるだろう。
追いかけられて怖かったろう。この極悪人が再び娑婆に出るのは嫌だろう。それを防いで身の安全を守るためには、簡単な手段が一つある。
大きな声で後ろ指を指すがいい。
あの小娘は、魔の道へ堕ちるつもりはないそうだが、いつまで持つか見ものだ。
自分の都合のため、自分の感情のために人を殺した人間は、もう元のようには戻れない。
予想通り、被害者の少女が再び証言台へ呼ばれる。
高圧的な裁判官が問いかけた。
「証人に問う。被告人が魔女だというのは間違いないか」
「間違いない。この人、自分で魔女だって言ってた」
迷いなくまりあは答えた。
だぁん、と力強く、裁判官の木槌が叩きつけられる。
「では、判決を言い渡す。被告人ジェーンは魔女である。よって火炙りの刑に処す。共犯の被告人ジャンも同様に火炙りだ」
ジェーンはほくそ笑む。うら若い乙女の魂を堕落させてやった。
ジェーンとジャンを閉じ込めていた荊の檻が、するすると蠢いてにじり寄ってくる。
いつかこんな日が来るのはわかっていた。
だからそれまでに、目につく全てを壊してやろうと生きてきた。
ジャンには悪いことをしたと思っている。ついてこなくてもよかったのに。
「待って! 異議あり!」
少女の口から飛び出した言葉に、ジェーンとジャンは目を見開いた。
少女は正面切って、裁判官に向かってはっきりと言った。
「誘拐も殺人も未遂に終わったんだから、私はこの二人の減刑を求める!」
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