第34話 魔女を捕まえる方法
大慌てで袖口に仕込んだナイフを取り出し、縄と猿轡をぶつりと切って、被せられた袋を取ると、ペッとトウガラシを吐き出して、大きく息を吸った。ずっと息がしづらかったから、胸がいっぱいなのが快適だ。
馬車の中は狭い。四角い箱の部屋の中に、観覧車のゴンドラにあるような座り心地の悪い椅子が設置されている。
外から見えないように、小さな窓には厚いカーテンが閉められていた。
魔女はすぐさま反撃に転じてきた。手にした大きなナイフをまりあに向けて威嚇してくる。
「じっとして。ナイフは捨てて。両手を組んで頭の上に上げなさい。騒いじゃだめよ? あなたは偉大なるわが主への生贄になるの。名誉なことだと思いなさい」
まりあは言われた通り、両手をあげて恭順のポーズをとる。
初めて魔女と目が合った。
案外、普通の人だ。
普通の女性で、普通のおばさん。
けれど、目つきがおかしい。
この目をまりあは、嫌になるほど見たことがある。
なにかを過剰に崇拝をする人の目だ。
自分の信じるものこそが全てだと決めつけてしまった人の、周りを見ていない目。
崇拝する信仰対象以外のものは、なんであれ己を受け入れてくれないと諦めてしまった人の目だ。
「へえ、名誉? そんなにすごいんだ。主って人は」
「人だなんて呼んじゃダメ。わが主は偉大なる悪魔なんだから」
「偉大? 悪魔が? 悪いんじゃないの?」
「若い子にはわからないかもしれないね。けれど、そのうちわかるようになる。神は我らを救わない。救ってくださるのは悪魔がくれる力だけ」
「同感だね。神は私たちを救わない」
魔女はにいっと口の端をつりあげた。
「あら、話が分かるじゃない。そうだ、生贄なんかやめて、あなたも魔女になる? 悪魔のしもべになって、人の世に災いをもたらすの。配下が増えるのなら、我が君もお喜びになる」
鼓動が跳ねる。
自分を落ち着かせようと、まりあは深呼吸した。
大丈夫。まだこの心臓は私のものだ。
今は、時間を稼げばいい。
「へえ。悪魔のしもべになったら、私も誰かをさらって生贄にするの?」
「他にもいろいろ、楽しいことがあるわよ? 畑の作物を枯らしたり。井戸に毒を投げ込んだり。病気のネズミを街に放ったりするの」
指折り数える魔女の目は、休日の予定を詰め込んで楽しいことを数えているように、キラキラ輝いている。
考えるふりをするまりあに、魔女はナイフを向けてにじり寄る。
「どうかしら? とっても楽しいのよ?」
馬車が止まった。
「着いたようね。今決めて。生贄になるか、魔女になるか」
鋭いナイフがまりあの心臓を狙っている。
「私はあなたが言うようなことが、楽しいとは思わない。せっかくのお誘いだけど、お断りだよ」
魔女はくすくす笑う。
「裁判所の議事録、読んだわよ? あなただって、神様も人間も嫌いでしょう? 一矢報いてやりたいとは思わないの?」
まりあは深呼吸をして、こわばった笑みを浮かべた。
外はどうなっているだろう?
「ところで、着いたってどこに?」
「あなたの死に場所よ」
自信満々の勝ち誇った笑みを浮かべる魔女に向かって、まりあは突き付けるように言った。
「違うよ」
外から人の賑わいが聞こえて、ほっとする。外が見えなかったから不安だったけど、作戦は成功したようだ。外で動いていたリリスがうまくやったんだ。
人の気配に、魔女の顔に戸惑いが浮かんだ。
ここは森の奥の儀式場のはずなのに、どうして人の気配がするんだ?
と考えているはずだ。
「誘拐の真っ最中なんだから、そりゃあカーテンなんか開けないよね」
「なにを言ってるの?」
「この馬車は、森にある儀式の祭壇じゃなくて、裁判所に向かっていたんだよ」
「なんですって!?」
魔女は慌ててカーテンを開ける。騒ぎを聞きつけたシャルルが、裁判所の玄関を開けて出てきたところだった。馬車の周りには、武装した憲兵が詰めかけている。
「これはなんの騒ぎだ!」
「やあシャルル。会えて嬉しいな。君なら休日でもここにいると思ったよ」
声をかけたリリスは、御者の席にいる。作戦がうまくいったのであれば、その傍らでは本来の共犯者の男が伸びているはずだ。
「魔女がこの馬車の中にいる。だから、乗っ取ってここまで操縦してきた」
魔女が顔色を失って、外の景色とまりあを交互に見ている。
馬車の扉がこじ開けられた。
憲兵団が持つ無数の槍が、ギラリとこちらを狙っている。
危機を感じた魔女は、金切り声をあげた。
「近寄るんじゃないよ。このお嬢ちゃんの命が惜しければね!」
そして、まりあを盾にしようとする。
ここまでは織り込み済みだ。取り囲まれれば、魔女は手近にいるまりあを人質にとる。
最初からわかっていたことだ。
予言にこんなシーンはなかったけど、未来が見える水晶玉なんかなくたって誰でもわかる。
まりあは女のナイフが自分に突き付けられるよりも先に動いた。
床に落ちている袋を拾う。さっき顔から引きはがした、眠り薬がしみ込んだ袋だ。
それを勢いよく、魔女の顔に叩きつける。
「な、なに、を……」
薬はまだ残っていたようだ。魔女はその場で眠りに落ちて、倒れ伏した。
「まりあ! 無事!?」
問いかけてくるリリスに、OKだとハンドサインを送る。
まりあが馬車を下りると、憲兵が馬車に上がり込み、魔女を拘束し、引っ立てていく。
「ちゃんと説明してもらおうか」
突然のことに戸惑っているらしいシャルルは、騒然とする現場と、馬車と、まりあたちを交互に見ている。
「リリス、お前は魔女の馬車を乗っ取ったと言ったな。どうやったんだ?」
「ああ、簡単なことだよ」
御者の席で伸びている共犯者の男を憲兵に引き渡しながら、リリスは笑った。
「僕の目を見せて「僕は悪魔の遣いです。手伝いに来ました」って言って乗り込んだ。で、隙を見て殴った。それだけだよ。知らない人を簡単に信用すると誘拐されるっていう、いい例だね」
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