第32話 悲劇を回避する方法

 救助活動は、そこからが長かった。

 なにしろリリスは、両手が自由には使えない。その上、本人が今朝申告していた通り、あまり力持ちではなかった。

 ひいひい言いながらやっとのことでまりあを引き上げると、リリスはすっかり虫の息だ。


「どうしてここに?」

「君が遅いから、カサンドラの所まで迎えに行った。カサンドラは今日の運勢が悪すぎたから帰らせたと言う。でも君は家にいなかった。それで、見晴らしのいい場所から探そうと思って」


 ぜーはーと息を整えながら、リリスは半分笑った顔で、半分怒った顔で、その場にしゃがみこんでいるまりあを見やる。


「助かってよかった」

「よくないよ!」

「どうして?」

「どうしてって……、カサンドラから聞いてないの?」

「聞いたよ。魔女に狙われているんだろう?」


 カサンドラの予言、破壊される街、追いかけてきた魔女。

 まりあはボロボロと涙が出て行くのを止められない。

 怖かった。今、少しだけ安心している。自分の味方になってくれる人が、そばに来てくれたから。

 でも、このままだと自分に憑依した悪魔がリリスを殺す。バーバラも死ぬ。それだけは避けなければいけない。


 自分の行動の理由を説明し終えると、まりあは再び柵の向こうへ行こうと立ち上がった。

 怖い。さっきは勢いでできたけど、もう一度あんなことするなんて。


「やめなさい。そんなことしなくていい」

 リリスの手がまりあの手首を強く掴んだ。

「じゃあどうしろって言うの!」

「そう極端なことをしなくていい。僕はしばらく、君のそばを離れない。それなら誘拐犯も来ないはずだ」


 なだめるように言い含めると、リリスはあきれたように笑った。

「君はちょっと善良すぎないか」

「なんで?」

「だって、君はこの街に来てまだ日が浅い。僕やバーバラだって、ここしばらくは同じ釜の飯を食べているけど、最近会ったばかりだ。来たばかりの街のよく知らない他人のために命を捨てられる人間は、なかなかいない」

「だって嫌だし」


 私さえいなければ。

 今回だけじゃない。生まれた時からずっとそうだ。


「私の家、私のせいでおかしくなったって話、前したでしょ? 私さえ生まれてこなければ、母さんがしんどい思いをすることもなかった。父さんが変な宗教にのめりこむこともなかった。私のせいで全部だめになっちゃったの」


 カサンドラの予言通りなら、またまりあを起点としてすべてが崩壊する。もしかしたら自分はそういう星のもとに生まれているのかもしれない。そんなのはもうごめんだ。


 私さえいなければ。

 ずっと心の底ではそう思っていた。

 だから土壇場になった時、真っ先にその選択が脳裏に浮かんだのだろう。


「私さえいなければ解決なの」

「そんなこと言うもんじゃないよ」

「元の世界でも、もっと早く死んでればよかったの。そうしたら、家族はまっとうな世界に戻れたのに」

「こら」

「これ以上、私のせいで周りに迷惑かけるの、嫌だよ」

「落ち着きなって」

「こんなに怪しい私を助けて、受け入れてくれたリリスとバーバラさんをひどい目に遭わせるくらいなら、死んだ方がいい」


 さっきは近くに見えた空が、今は遠い。きれいな青空の下、活気のある街に人々が行きかっているのが見える。なにかのはずみで、この景色は簡単に壊れてしまう。


「落ち着いて。息を吸って。吐いて。じゃあ聞くけど、君の死によってなにか解決したかな? 君の両親は救われた? 君は救われた? 違うはずだ」

 過呼吸気味だった息が落ち着いてくる。

「善良なのは、あんたもそうだよ」

「なにが?」

「私をここで見殺しにすればひとまず安心なのに、そうしない。最近会ったばかりの他人なのに。いくら弁護人だって言っても、今日はオフだし」

「仕事だから君を助けたわけじゃないよ」


 リリスはいつになく強い口調で言った。


「君のような人に「君は悪くない」って言うために、僕は弁護人になったんだ。だからどうか、死ぬなんて言わないで」


 頷くしかなかった。

 心のどこか奥の方。押し込めていた悲しみが、少しだけ綻んだ気がした。救われるってこういう気持ちかも。

 君は悪くない。その言葉を、心のどこかで欲していたのかもしれない。


「さて、その黒い魔女は君を取り逃しても、逃した魚は大きいと思いはするだろうが、大した痛手にはならない。次の生贄を探すだけだ。理想を言うなら。周りへの被害を出したくないと言うのなら。立ち向かって捕まえるべきじゃない?」

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