第29話 街角の占い師カサンドラ
最初にバーバラが立ち寄ったのは、服屋でも八百屋でも肉屋でもなく、狭くて薄暗い路地裏だった。
「こんなところにお店があるの?」
まりあが聞くと、バーバラはにっこり笑う。
「ええ。この辺はちょっと不思議な専門店がたくさんある、素敵な通りなの。どういうわけか、必要な時以外は看板すら見つからないお店もあるのよ」
「へー、すごい」
「今から行くのは、占い師のお店。今日はどのお店に行ったらいい買い物ができるか、占ってもらうの」
なるほど、広告のチラシやスーパーのアプリのお知らせがない代わりに、占いを基準にしているんだな、とまりあは納得したが、リリスは苦笑いしている。
「いつもそうしてるけど、早く商店に行かないといいものは売り切れてしまうんじゃないの?」
「これでいいの。あの子の占い、百発百中なんだから」
さらに少し歩いて角を曲がると、絵にかいたような占い師がいた。
ぶかっとした深い紫色のローブを纏い、道端に机を出して座っている。机の上には黒に近い赤のクッションがあって、その上には大きな水晶玉が乗っている。
テンプレの占い師の様相だけど、一つだけ異質なことがある。
その占い師は、小さな子供だった。だいたい小学校低学年くらいだろうか。中性的な顔立ちをしている。多分、女の子。
占い師の子供は、バーバラを見るとパッと顔を輝かせた。
「わあいバーバラだ! 今日も来てくれたの?」
「ええ。今日もお買い物先のアドバイスをくださいな。はい代金。それと、クッキー焼いたからもらってちょうだい」
「やったー! ありがとう! えっとね……」
むむむ、と水晶玉を覗き込むと、小さな占い師はにっこり笑った。
「今日は西の通りへ行くのがよさそうだよ。ところで、こっちのお姉さんはだれ? 新しい入居者の人?」
「そうなの。この子はまりあちゃん。このまえ、リリスの助手としてうちに来たの」
「そっか! ボクはカサンドラ! よろしくね、まりあお姉ちゃん! お代をくれたら、過去でも未来でもなんでも見てあげるよ」
それを聞いたリリスが、机の前に立った。
「なんでもか。じゃあ、ちょっと試させてもらおうかな」
いじわるな笑みを浮かべて、リリスはカサンドラの前に小銭を出した。
「まりあの出身地、当ててみてよ」
うわ、性格わる。まりあはリリスの所業にちょっと引いた。
まりあの出身地は日本の熊本県天草市。この世界の地図には乗っていない場所。この子にわかるはずがない。
「ちょっと」
「いいじゃないか。お手並み拝見といこう」
カサンドラはまた、むむむ、と水晶玉を覗き込む。
「あれぇ、ずいぶん遠くなんだねぇ。ここまでは旅をしてきたの?」
「うん、まあ、そんなとこ」
「……。看板が見える……。道しるべのための案内板みたい。ええと、なになに?」
なにが見えているんだろう。
過去も未来も、って触れ込みだし、まりあの過去を見ているんだろうか?
けど、もしまりあが今までに見ていた景色が水晶玉の中に移っていて、そこに道路標識のような地名の書いてある看板があったとしても、この子には読めないはずだ。まりあのもといた世界とこっちの世界では、使われている文字が違う。
「あまくさし」
カサンドラは迷うことなくそう言った。
「当たってる?」
「すごい、正解だよ」
ぱあっと顔を輝かせて、カサンドラは歓喜の声を上げた。
「わーい! やった! すごいでしょ。リリスおじちゃん、これでボクの占い信じる気になった?」
「おじちゃんはよしてくれっていつも言ってるだろう」
にこにこ笑顔を浮かべたカサンドラは、上機嫌に言った。
「次はまりあお姉ちゃんね! 今視た時に色々わかったから、ついでだしお悩み相談してあげる」
「え、いいよ私は」
断ろうとしたまりあだったが、カサンドラはなおも言う。
「ダメだよ。ちょっと大事な話があるんだ。バーバラ、リリスおじちゃん。ちょっとお姉ちゃんと二人きりにしてくれる?」
バーバラは「それじゃあ、私たちは先に行ってるわ」と頷いた。
「私たちには話しづらい悩みもあるでしょうし、慌てないでゆっくりしてきてね。私たちはあそこにある赤い旗が立ってるお店で待ってるわ」
置き去りにされたまりあは、さっき初めて会った子供と二人きりになって困ってしまった。こういう時って何を話せばいいんだろうか?
「お前さん、ずいぶん難儀してるようだな」
急に、カサンドラの表情が変わった。
さっきまでは無垢で笑顔いっぱいの子供だったのに、仮面を付け替えたかのように老練な霊能者の顔が現れた。
「え?」
「悪いな、さっきまでは猫かぶってたんだ。あっちの方が客受けいいもんで。路傍の占い師に銭を投げたがる暇人は、無垢な子供の曇りなき目ってのが大好きなのさ」
大人びた、達観した瞳は、その小さな体には不似合いだ。さっきまで着られているようにしか見えなかった占い師の装束が、真実味を帯びている。
「君、いくつ?」
まりあが恐る恐る聞くと、カサンドラは一瞬だけニコッと笑う。
「ボク十歳!」
「無理があると思うな……。で、なんで私にはバラしちゃうの?」
「さっき大きな運命の流れを視た時にわかったんだ。お前さんは、近いうちに俺の正体を暴くようだ。なら隠しててもしかたねえ。先に言ってバラすなって釘刺した方がいい。誰にも言うなよ?」
「まあ、黙っといてあげるけど……。もしバラしたら?」
「バーバラに買い物先のアドバイス聞かれたら、毎回お前の嫌いなものを勧めることにする」
「報復がしょぼくない……?」
「馬鹿言え。今後一切食卓に好物が並ばないんだぞ。とんでもないだろ」
邪悪な笑みを浮かべているが、あんまり怖くはない。
「俺の話はこの辺で。次は、お前の話」
カサンドラは身を乗り出してじっとまりあの顔を見る。
「いやあ、異世界からの客なんて珍しい。いろいろと大変だろ」
「そこまでわかっちゃうんだ」
「おうよ、俺は凄腕だからな。それで? よりにもよってリリスの助手とはどういうこった? 好き好んでやりたがる奴なんかいるはずがねえ。弱みでも握られたか?」
すごい言われようである。
「占えばわかるんじゃないの?」
「見えるのは事象だけだ。途中経過やその時の心情までは見えねえ。出来上がった料理を見ても、それを作るためにどんな鍋を使ったのかなんて、わからないだろう?」
カサンドラの小さな両手が、そっと水晶玉を包んだ。
「お前さんを呼び止めたのは、少しばかり忠告をするためでもある。この世界の神について」
「神?」
「お前さん、神も仏も信じちゃいないだろう?」
「まあ、うん」
神様なんて馬鹿らしい。神様なんてものを信じ込んでおかしなことをする人は、もっと馬鹿らしい。ずっとそう思いながら生きてきた。
「お前さんの故郷じゃ、その感覚のほうが普通だったかもしれないが、この世界は違う。父なる神の言うことは絶対。倫理観、道徳、規範は神の教えに則っている。法律は宗教を基準に作られていると言ってもいい。間違っても無神論なんて口にしないことだ。魔女狩りの口実を与えるだけだからな」
あまりにも年齢不相応な物言いに、まりあは困惑した。
「絶対十歳じゃないって。あなたいくつ?」
「ボク五歳!」
「減らさないで。無理がある」
「俺の年なんかどうでもいいんだよ。今はお前の話をしてんだ。ま、あっちとこっちの違いに戸惑うことがあったら、俺の所に聞きに来な。水晶に映る範囲でなら教えてやる。もちろん代金はもらうがな」
それは助かる。
こっちの常識というものが、まりあにはまだわからない。
「ま、忠告はこの辺にして。今日の運勢もおまけで占ってやるよ。初回サービスだ」
肩の力を抜き、へらりと笑うと、カサンドラはじっと水晶玉を覗きこんだ。
「おっと。こいつはまずいな」
まりあには、それはただの透明な水晶玉にしか見えない。
つるりとした水晶。形や質感はビー玉に似ているけど、ガラス玉よりもしっとりしているように見える。曇りのない輝きは朝露のようだ。
「お前、今日死ぬぞ」
凶とか大凶とかの次元ではなかった。運勢悪いにもほどがある。
「なっ、なんで?」
「そこまでは見えねえ。俺に見えるのは事象だけだ。ただ、ちょっとばかし見える範囲を広げることはできる。お前さんの世界風に言うなら、解像度を上げる、ってやつか」
カサンドラは、小さな針を取り出した。
「これはフクロウの骨を削って作ったものだ。これでお前さんの指を刺して、血を水晶に垂らせ。そうしたら、もうちょっと詳しく見ることができる」
「うわ、魔女っぽい」
その不思議な儀式は、絵物語に出てくる魔女そのものではないか。
「これはこっちの世界的には魔女狩りされないラインなの?」
「一応大丈夫だ。禁じられているのは、悪魔を召喚してその力を行使する魔術。これは悪魔の召喚なんてしないでやってるから、法律上問題ない。とはいえ、言いがかりつけられたらちょっと危ねえな。その時は弁護してくれ」
まりあは針を受け取ると、人差し指にぷつりと刺した。
骨を削った針は軽く、すべらかだ。
傷口を下に向けて、血の雫を水晶玉に垂らす。
透き通った水晶玉に、赤い筋がつーっと伸びた。
「おっと……。マジかよ。思ったよりやばそうだ」
カサンドラは顔をしかめる。
「なにが見えるの?」
「耳かっぽじってよく聞きやがれ。これからお前に訪れる災難を覚悟しろ。そして、死ぬ気で回避するんだ」
鬼気迫る、と言った顔で、カサンドラは予言を始めた。
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