第26話 妖精はいつもそばに

 呼び出されたリリスを置いて、まりあとリナは裁判所を出た。


「このあとどうしよっかなー」

 空を見上げながら、リナはぽつりとつぶやいた。


「元の生活に戻る……、ってのはやめといた方がいいと思うよ」

「やっぱそう思う? 暮らしていけるほどのモデルの依頼、多分もう来ないよねー。悪い噂も立っちゃったしー」


「ううん、そうじゃなくて……。あなた、本当に妖精……、だよね?」


 にぃ、とリナの口の端が上がった。

「やばー、まりあっち鋭い! 確かにウチは本物のリャナン・シーだよ。なんでわかったの?」


「これを避けようとしたでしょう?」

 まりあは、首から下げている、バーバラにもらったお守りの、鉄の十字架のペンダントに触れた。

 最初に会った時、リナはまりあにハグしようとしてためらった。

 それは、初対面で距離感を図りかねていたからではなく、まりあの首に魔除けのペンダントかかかっていたからだ。


 最初の被害者カールは、リナにとことん甘くて要求は全部聞いた。それはきっと、彼女の正体を知っていたからだ。

 リャナン・シーに、芸術の妖精に、自分のそばにいて欲しかったからだ。


「なるほどねー。バレちゃったんなら、やっぱ山に帰ろうかなー。生気を吸いたいような天才画家も見つからなかったしー」

「一人もいなかったの?」

「そ。簡単に見つかるもんじゃないんだよねー。犯人の人は道楽だって言ってたけどさ。この道は険しいよ。人生かけて挑んで極めたって、望んだ境地にたどり着けるとは限らない。努力でなんとかなる話でもない」

 どうやら、リャナン・シーの審美眼は相当にシビアらしい。


「待ってくれ!」


 後ろから切羽詰まった声が二人を呼び止めた。振り返ると、膝に手をついて息を整えるダニエルがいた。


「どしたのダニぴょん。ウチのこと心配してきてくれたの?」

「そうだ! モデルをやめるなんて言わないでくれ! 俺様はまだ描いていたい!」


 す、と不意にリナの目が冷たくなった。

「やめたほうがいいよ」

「なぜだ! 俺様が死ぬからか?」

 その言葉を聞いたリナは、大声で笑いだす。


「違うよ、逆! あんたは絶対死なない! 命は薪! 才能は火種! ウチが近くにいると、才覚のある人は命を燃やして芸術に向かいだす!」

 両手でダニエルの頬をスッと包むと、リナは困ったように笑った。

 まるで、聞き分けのない子供を諭すような調子で、ダニエルに告げる。


「あんたはね、びっくりするくらい才能がないの。火種がなけりゃ、薪は燃えない。その証拠に、あんた、今まで何枚描いた? ロビっちが死ぬまでウチのこと描いてた間、一枚も仕上げてないんじゃない?」

 す、と目を反らしたダニエルは、背負っていた鞄を下ろした。


「その……、確かにいつも「まだできてないから見せられない」とは言っていたが描いてなかったわけじゃないんだ……」


 鞄の中からは、分厚いスケッチブックが何枚も出てきた。ダニエルがそれを広げてみせると、リナは笑いだす。

「あはははは! へったくそすぎ!」


 まりあも思わず覗き込む。

 幼児の殴り書きのような不格好な絵が、全ページにわたって続いていた。

 けれど彼は恥じることなく、堂々と言い切った。


「モデル、続けてくれないか。俺様のために」

「なんでよ」

「見ればわかるだろう。まだ描き終わってない。いつか君に殺してもらえるような画家になってみせるとも」


 真剣な顔のダニエルと手元のスケッチを見比べ、少しの間困ったような顔で考え事をしていたリナは、ついに晴れやかなあきれ笑いを浮かべた。


「ま、好きピが長生きってのも、たまには悪くないかもね」

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