第25話 弁護人リリスの推理

「なにをバカげたことを言っている。お前にそんな魔術が使えるはずないだろう」

「そう言うと思って、実物の絵を借りてた。どうぞ、見比べてみておくれ」


 まりあはあらかじめ用意しておいた、まだ下書きデッサンの状態の絵を取り出した。

 荒い鉛筆の線がガサガサと引かれ、この上にどうやって色を乗せようかこれを描いた画家が思案しているのが見て取れる。


「顔が似ているだろう? この絵のモデルは僕だ」

「なぜそうなる」

「昨日聞き込みに行ったら流れで……。モデルを務める代わりに、知っていることを教えてもらったんだ。僕はこっそり裏口から行くって言ったのに、まりあが裏切って僕が侵入してるのバラしちゃったから……」

「全面的に天草まりあが正しいな」

「はあ、やれやれ。誰か一人くらい僕の肩を持ってくれる人はいないのか」


 シャルルは不思議そうに、リリスとキャンバスを見比べている。

 キャンバスに描かれているのは、顔こそリリスに似ているけれど、体のつくりはまごうことなき怪物だ。

 コウモリのような羽と鋭い爪を持ち、髑髏の山の上に座っている。白く長い髪は血に濡れ、こちらを睨む蛇の双眸には嘲笑が宿っている。

 これを貸してくれた画家によれば、タイトルは『地獄に住まう堕天使』だそうだ。


 不服そうな声で、アンリが異を唱えた。

「なんでこうなるんですか? 先輩はもっとかっこいいと思います!」

 かっこいいかどうかはさておき、まりあもこれはちょっと誇張表現が過ぎると思う。リリスは普通の人間だ。それがなぜ、こんなふうに魔改造されるのか。


「そりゃあ、蛇というのは宗教上意味を持つモチーフだから。イブをそそのかし、人類に罪を背負わせ堕落させた蛇の話、みんな知っているだろう? 君たちはもう見慣れているかもしれないけど、初めて出会う芸術家が僕を見て得るインスピレーションはこれが妥当だよ」

「それは……、そうなのか? 私には芸術の心得がないからよくわからんが……。では、一斉に悪魔の絵を描き始めたというのは」

「うん。あのアトリエには複数名の画家が出入りしていて、その場にいた皆が僕をモデルに描いただけだよ」


 昨日、まりあがリリスをアトリエに引き入れた際、画家たちが蛇の目を珍しがってこぞって筆を走らせた。ただ、それだけの話だ。


 納得いかなさそうに、シャルルはうなっている。

「いや、しかし。誰か一人くらいは見たままを描こうとはしなかったのか? 絵画というのは全部こんなふうに空想を混ぜて描くものなのか?」

「ううん、違う。でもいいところに気が付いたね。それが、この事件の鍵だ。これを見て欲しい」


 リリスの合図で、まりあは死んだ画家たちのアトリエからくすねてきたリナの絵を取り出して、机の上に並べた。どれも、日常風景を切り取ったような、写真のような絵だ。


「これが、亡くなった人たちが描いた被告人の絵」

 次にまりあは、まだ生きている人たちが過去に描いたリナの絵を取り出した。


「これが、彼女を描いたけどなんともなかった人たちの絵だ」

 いずれも、写実的ではない。空想を織り交ぜて描かれたものだ。

 キャンバスの中のリナは、蝶の羽を生やした妖精だったり、花と戯れるお姫様だったり、後光を背負った天使だったりする。


「つまり、この件で死んだ画家は全員が写実派の、見たままを描くのをよしとする画家たちなんだ」

 不思議そうにシャルルは首を傾げている。

「まだわからんな。なぜそれが、生死の境目になる? 描いた精度によっては魔法が発動しないということか?」


 リリスは首を横に振った。

「魔法じゃない。これは毒殺事件だよ。弁護側として僕は、事件には魔術は関わっていないこと、犯人は別にいることを理由に、被告人の無罪を主張する」

「毒殺だと?」

「順を追って説明するから、まずはこれを見て欲しい」


 それを合図に、まりあは五人目の被害者、ロビンの作品を三つ出した。あのアトリエにあった、執念の結晶体のような、異常な数の絵画から、いくつかをピックアップしてきた。

 古いものから時系列順に並べていく。最初の頃に描かれたもの。それからしばらくして描かれたもの。そして、遺作の三作だ。日付が描いてあるわけではない。しかし、順番はわかる。


「五人目の被害者であるロビン氏は、彼女を描き切ることに魂を燃やした。あらゆる角度、あらゆるシチュエーション、あらゆるポーズを試し、その姿を絵画に焼き付けた。彼もまた、写実派の画家であったがために、いかにして現実に迫った絵を描くかに血道を上げた。その努力の過程が、ここには現れている。こっちが古い絵で、これが最新作。違いはわかるかな?」

「ふむ、どれもうまい絵だと思うが……」


 しばらく無言で三枚の絵画を見つめたのち、「あっ」とアンリが声を上げた。

「服の色が違う! トレードマークなんじゃなかったんですか? 似たものをいくつか持ってるとか?」

「む? そうなのか?」

 ぴんと来ていないシャルルに向かって、アンリはまくし立てる。


「ほら、古い絵は白がちょっとくすんでるけど、新しいのはパッと明るい!」

「言われてみればそんな気はしなくもないが……」

「まあ、シャルルはわかんないよねー。私のイメチェンに気づいたことないし」

「それは今関係ないだろう。それで、服の色が変わったらどうだと言うのだ」


 リリスは懐から、小さな小瓶を取り出した。

「これは白の絵具だ。ロビン氏のアトリエから拝借してきた。同様の物が、他の被害者のアトリエにもある。可能な限り画家の皆さんに話を聞いたが、現在存命の画家は誰もこの絵の具をどこから手に入れるのか知らなかった。死んだ者だけが手にしていた絵具なんだよ。これを証拠品として提出する」


 ことり、とリリスは小瓶を遺作の隣に置いた。

「白い絵具の中にもいくつか種類があり、原料によっては色のくすみや光の反射具合が違う。写実派の画家である被害者たちは、彼女のまとう衣を正確に描こうとして、より鮮明な白を求めた。いろんな画材を試したんだ」


 空想を織り交ぜる画家たちも、彼女の白いドレスは描きこんでいる。手を抜いているわけではない。けれど、現実に近い色を追求する、という行為の優先度は写実派に比べて低いようだ。


「そして、この絵の具にたどり着いてしまった。この絵の具は、人体に有害な白鉛でできている。調べればすぐにわかるだろう」

 モデルをしていた間、画家が絵筆を舐めて整える様子を、まりあは何度も見た。

 もし、その絵の具が毒物で、筆を整えるたびに少しずつ体内に入り込んでいたのなら。


「つまり、犯人は画家たちに商品として毒物を売りつけた、画材商人のニコラス氏だ」

「し、知らなかったんだ」

 哀れっぽい声で、ニコラスは口を挟んだ。

「鉛が毒になるなんて、私は知らなかった」

 カン、と木槌が振り下ろされ、その釈明を遮った。

「もし知らずに売ったのだとしても、過失で人を殺したことは罪に問われる。後日改めて裁判が開かれるから出頭するように」


「過失じゃないよ。彼は危険性を知っていて被害者たちにそれを売った。よい白が表現できる、特別にこれを売ってあげる、と耳打ちすればばみんな買っていっただろう」

 たたみかけるように、リリスは言った。

「なにを根拠に!」


 リリスは悪びれることなく、高笑いしながら言った。

「ははは。なにって、僕は君の荷物を漁って盗みを働いたんだ。証拠ならいくらでも出せる。なにがいい? 帳簿? 売る前に張り替えた商品のラベル? 仕入先との取引の記録もあるよ。これ、危険だからって製造元では厳重に注意喚起してるらしいね」


 ぐぬぬ、とニコラスは歯噛みしてリリスをにらみつけた。

「魔女に味方する悪魔め! 盗っ人猛々しいとはこのことだ! 道楽のお絵かきばかりして意義あることはなにもしないような奴らを殺して、なにが悪い! 私だってかなうことなら絵だけ描いて暮らしたかったのに!」

 憎しみのこもった罵倒などどこ吹く風、リリスは涼しい顔で笑っている。


「被告人は魔女ではない。それを証明するためなら、僕は盗みでもなんでもやるよ」


 カン! と木槌の音が鳴った。

「被告人の無罪を認める!」


 それを合図に、荊の檻がほどけた。自由の身になったリナは、ほっとした顔でこちらに走り寄ってくる。

「マジありがとー! 死ぬかと思ったー!」


 カン、と木槌を鳴らしてシャルルは判決の続きを語る。

「告発のあった行商人ニコラス氏は、後日裁判にかけられる。犯行の悪質さも加味して、裁判の日までは拘留させてもらう」


 それから、と苦々しい顔で眉をしかめながら、シャルルはこっちを見た。

「捜査上で行ったもろもろの犯罪について問いたださなければならないから、リリスは後でちょっと来い」


 げー、と冷や汗をかきながら、リリスは控えめに両手を合わせる。

「なんとか見逃してもらえない?」

「ダメだ」

 ガン! と叩きづけられた木槌の音が、閉廷を告げた。

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