第22話 画家たちの集うアトリエ
ここが最後だ、と聞かされてまりあはほっと一息ついた。
リリスときたら鍵泥棒など序の口で、手がかりを探すためならドアを壊したり窓を割ったり手段を択ばない。弱って死んだという画家たちの作品が並ぶアトリエに次から次へ不法侵入し、本棚を荒らし引き出しをひっくり返し、やりたい放題だ。
しかも、悪いことにリリスの手は荊の手かせに戒められているため、ほぼすべて実行犯はまりあである。これ以上罪を重ねたら、魔女とか魔法とか悪魔とか関係なく普通に逮捕されそうだ。
「ちょっとよくないと思うんだけど」
「手伝いが必要なら遠慮なく言って、ってまりあが言ったんじゃないか」
そうだけども。まさか、ここまで容赦なく使われるとは。
「こんなにあっちこっち調べなきゃいけないの?」
「どこに手がかりがあるかなんてわからないからね。虱潰しに関係のありそうなところを当たるしかないよ」
「で? 次はどのドア壊すの?」
「次は普通に玄関から入るよ。ここはまだ生きてる人間が使ってるから。芸術家たちが集う集会所みたいな場所なんだってさ。ここで作品を見せ合ったり、語り合ったりするらしい。調べたところによると、今日は同じ対象を一斉に描いて交流会をするそうだ」
大通りの街道から少し外れたところにある、大きな洋館だ。つるつるのドアノブとドアノッカーが、人の出入りの多さを物語っている。
コンコン、と真鍮のノッカーを叩く。遅れて、中から返事が返ってきた。
「じゃ、後は任せた」
「え!?」
リリスは即座に身をひるがえし、姿を消そうとする。
「待って待って。どういうこと?」
「君は中に入って、ここにいる画家たちから聞き込みを頼む。モデル募集中の張り紙を見たと言えば入れてもらえるはずだ」
「リリスは?」
「注目が君に集まっているうちに、裏口から入らせてもらう。いやあ、助かる。こういう分業ができるから、助手を雇いたかったんだ」
「結局不法侵入じゃん……」
それ以上の抗議を言う前に、リリスは風のように消えてしまった。
ドアが開いて出てきたのは初老の男性だ。擦り切れたエプロンと豊かに蓄えた髭が絵具まみれなところを見るに、どうやら作業中だったらしい。
「はいよ、どちらさん?」
「も、モデル募集の張り紙を見てきました」
老人の顔がパッと明るくなる。
「おお! 助かるよ! なにしろ不吉なこと続きでみんな不気味がっちまって、人が集まらないんだ。見ない顔だね、出稼ぎかい?」
「ええと、まあ、そんなところです」
「おーい! みんな! モデルさんが来てくれたぞ! 今日は石膏像使わなくてよさそうだ!」
あれよあれよという間に、まりあは部屋の中へ連れていかれ、大勢の画家に囲まれ、椅子に座らされた。いいと言うまで動かないでくれと頼まれ、言われたとおりにする。すぐに背中が痛くなってきた。
こちらが聞き込みをしなければならないと言うのに、画家たちはまりあに根掘り葉掘り質問を投げてくる。被写体のことをよく知れば、描き方も変わるそうだ。
広い部屋だ。石膏像が棚に並び、床は絵の具がこぼれ、大きな窓から夕陽がさしている。
あちこち調べまわったから、もう夕暮れだ。今日のご飯はなんだろう?
「お嬢ちゃん、名前は?」
「まりあです」
なるべく表情筋を動かさないように努めながら、小さく答える。
「ほう! いい名前を付けてもらったね、聖母様の名前だなんて」
「そうですね」
「きれいな赤毛だね。夕日によくなじむ」
「どうも」
「この街の人じゃないそうだが、どこから来たんだい?」
「遠くから。多分、誰も地名を知らないと思う」
「ほー、それじゃ、その変わった服はそこの民族衣装かなにかかい?」
「ううん、これは制服。学校に通う時の服なの」
「学生さんなのかい。賢いんだね」
「いや、まあ、普通かな」
矢継ぎ早に飛ぶ質問と、じっと注がれる無数の目に、だんだん居心地が悪くなってくる。
手の早い一人がすでに下絵を終えたのか、色塗りにかかった。色を選びながら、ぺろりと舌で筆先を整えている。まずくないんだろうか。
本来の目的を忘れないうちに、まりあはこちらが聞きたいことに水を向けることにした。
「ちょっと前まで別のモデルさんがいたんでしょう? 噂を聞いたの」
意外にも画家たちは悪い感情を示さなかった。
「おお、リナさんのことか。彼女はすごいモデルだったよ。見ているだけでインスピレーションが湧いてくるんだ。それこそ、寝食を忘れて絵に没頭したくなるほどに」
「魔法にかかったみたいに?」
「その通り」
うんうん、と画家たちが頷く。
「けど、ちょっとわがままだったなあ」
うんうん、とまた画家たちが頷く。
わがまま? そんな印象は持たなかった。
「そうだったんですか?」
「おうよ、最初にここへ来るなり、玄関のドアノッカーが気に入らないから付け替えろだの、座る椅子はこれじゃないと嫌だの、部屋の装飾が嫌だから変えさせろだの、好き放題だよ」
「俺はあのドアノッカー、気に入ってたんだけどな。真鍮も悪かないけど、鉄の方が音が重くていい」
「俺も俺も。デザインも結構洒落ててよかったと思うんだが」
「カールの奴がリナさんに甘かったからな。全部言う通りにしちまって」
「いやあ、彫刻用のナイフまで捨ててくれって言われた時はどうしようかと思ったよ」
話が膨らんでくる。
まりあが水を向けなくても、どんどん誰かがリナについての話を口にする。
「カール、家のインテリアにまで口出されて色々捨てたり模様替えしたりしたらしいぞ」
「うへぇ、それは嫌だな」
「でもまあ、言う通りにしてりゃあ描かせてくれて、いい作品が仕上がるってんなら、俺だってカールと同じようにするさ」
「違いない」
ははは、と画家たちは笑った。
「すごいモデルさんなんですね」
まりあが相槌を打つと、画家たちは笑顔のままで信じがたいことを口にし始めた。
「そうさ。だから俺たちは、魔女裁判を楽しみにしている」
「彼女が燃えるところを早くこの目で見てみたいもんだ」
「きっと傑作が描けるぞ」
その言葉に、まりあは嫌なものがこみあげてくるのを感じた。
「楽しみ? 裁判が?」
無数の口から、異口同音に肯定の声が上がった。
「そうとも」
「ただ座っているだけで、あまたの画家たちの筆を走らせてきた芸術の妖精、それが彼女だ」
「その彼女が裁かれ焼かれる様をこの目で見ることができたのなら、素晴らしい地獄絵が描けるに違いない」
「彼女と同じ時代に生まれることができて、よかったよ」
反吐が出そうな気分を抑えながら、まりあは吐き捨てた。
「見世物じゃない」
思わず出た強い言葉に、画家たちが皆顔を上げた。
「おお、いい表情だ」
寒気がする。この人たちは他人の命をなんだと思ってるんだ。
「実物の火炙りを見てまで、地獄の絵なんて描きたいもんなの?」
最初にまりあを出迎えた老人が答えた。
「おうとも。宗教画、特に地獄絵は画家の腕の見せ所さ。天国の絵は誰が描いてもだいたい同じだが、地獄は描く人間によって姿を変える。苦しみ、懊悩、葛藤。そういうものを芸術に昇華させるのに、地獄というモチーフはうってつけってことさね。空想で描くのも悪かないが、やはりモデルを実際に見た方が、いいものが描けるってもんよ」
大きく息を吸って、吐く。
怒りが湧いてくる。
なんだこいつら。嬉しそうにしやがって。
火炙りのつらさも知らないで。
もう一度深呼吸をする。
落ち着こう。
最優先は被告人の命。そのための手がかりとなる情報。今はリリスがこの建物の中を調べまわっている。けど、一人ではできることにも限度があるだろう。
取引をしよう。彼が自由に調べ物をできるように。
「わかったよ。そんなに言うなら見せてあげる。ちょっと動くけどごめんね」
まりあは画家たちに背を向けると、セーラー服の上を脱いだ。その下に隠れていた、手当のためにぐるぐる巻かれた包帯があらわになる。
「どうしたんだね、その傷は」
「魔女裁判で拷問を受けた時の傷だよ。こっちの要求を呑んでくれるなら、好きなだけ描かせてあげる」
画家たちは色めき立った。
これは賭けだ。もしここで、この人たちが曰くありげで胡乱な女を嫌がってまりあを追い出すようなら、これ以上の聞き込みができなくなってしまう。
「それで、その要求ってのは?」
「私の命令、全部聞いて」
老人の目を見て、まりあは賭けに勝ったことを確信した。
「手始めに……。裏口にいる怪しい男を、中に入れてもらえる?」
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