第20話 妄執のアトリエ
まりあとリリスは、死んだ画家たちのアトリエを調べに行くことにした。
まずは最後の犠牲者であるロビンのアトリエに行くことになった。
事件から日が浅い方が、証拠が残っている可能性が高いからだ。
二人は連れだって街を歩く。
「多分、毒殺だと僕は思うんだよなあ。外傷もないし、衰弱死した、という状況から見ても遅効性の毒である可能性がかなり高い」
「司法解剖とかないの?」
「しほうかいぼう?」
リリスは目をぱちくりさせた。知らない言葉だったらしい。
「えーっと、事件性のある死体を、専門家の人が解剖して不審なところがないか調べることを、私の故郷ではそう言うの。毒で殺された人も、検査すればどの毒に当たったのかわかるんだって」
「へー、それはいい。こちらだと、遺体を損壊することへの抵抗がすごいから、解剖なんかとんでもない、ってことになっちゃうだろうな。だから、遺体から毒物が出たかどうかは、わからない」
「そっか……。せめて毒の種類でもわかればいいんだけどね」
「そうだなあ。毒の瓶が見つかったとしても、それが犯行に使われた瓶だと証明できるか、となると話がややこしい。被害者の体から同種のものが出た、って言えたら証拠としてとても強いのになあ……。いいなあ、司法解剖。こっちでも導入されないかなあ……」
心底うらやましそうにリリスが呟いた。
問題のアトリエは、街はずれの小川のほとりにあった。木造の家は古く、劣化した木がところどころ白くなっているが造り自体はしっかりしている。小さなこんもりした林に囲まれた立地は、かなり過ごしやすそうだ。
もうその建物につく、という時、リリスは急に足を止めた。
「げ」
「どうかした?」
「ここは任せた。僕は逃げる」
「えっ、なに?」
脱兎のごとく逃げ出したリリスは、大急ぎで林の木陰に身を隠してしまった。
なんだったんだ、と首をかしげていると、ぬ、と大きな影が近づいてくる気配を感じた。驚いて一歩引くと、そこにいたのはシャルルだ。
「出たな魔女め。なにをしに来た」
裁判所以外で見かけると変な気分だ。胡乱な目をこちらに向けて、嫌そうに眉をひそめている。
「だから、魔女じゃないんだってば」
「リリスはどうした。一緒ではないのか」
まりあは仕方なく棒読みで答えた。
「ここにはいないよ」
シャルルは苦々しい顔で歯噛みしている。
「聞きたいことがあったのだが、まあいい」
「伝えておこうか?」
はぁ、とため息をつくと、シャルルは口を開く。
「被害者の財産をどうするかはまだ決まっていないため、この現場の管理責任はひとまず裁判所が預かっているのだが、どういうわけか鍵が盗まれた。盗人がこのアトリエを狙っているのかもしれないと思い、見回りに来たがなんともない。なにか知らないか? まさか、貴様らの仕業か?」
ぶんぶんと首を横に振って、まりあはそれを否定する。
「違うよ。泥棒なんかしてないって」
「ならいい」
それだけ言うと、シャルルは足早にその場を去った。
「よかったバレなくて」
ほーっと息を吐きながら、リリスが木陰から姿を現した。
「なんで逃げたの?」
「彼はとってもいい人だから、僕を見たら絞め殺しちゃう」
「一行で矛盾するのやめて」
苦笑いするリリスの手には、鉄の輪に通された鍵の束がある。
「……。リリス」
「うん?」
「それは?」
「このアトリエの鍵だよ。当然じゃないか、これがないと中を調べられない」
なんてこった、向こうの疑いが正しかったなんて。
「ど、泥棒はよくないと思うなぁ」
「大丈夫、あとでちゃんと返すから」
「そういう問題じゃなくない? 貸してって言ったら貸してくれないの?」
「貸してくれないんだなそれが。魔女は殺すべき、って言うのが一般的な人の感覚だから。申請したとしてもなにかと理由をつけて通らないことが普通さ」
さ、早く調べよう。とリリスは悪びれることなく、盗んだ鍵でアトリエに侵入した。
まりあは絶句した。
アトリエの中は、全てリナの絵で埋め尽くされていた。ありとあらゆるアングル、表情、背景、シチュエーション。ストーカーの部屋かと疑うほどだが、これは隠し撮り写真ではない。リナは合意の上でモデルをしたはず。事件性はないと自分に言い聞かせる。
「これさ、普通に根を詰めすぎて倒れただけじゃない?」
「僕もその可能性が高い気がしてきたが……。そうだとすると五人も立て続けに倒れたことに説明がつかない。やはり、決定的な原因はあると思う」
どの絵の中でも、リナは純白のドレスを着ている。
アトリエの窓辺、林の木漏れ日の中、草原の風上、小川の岸辺。そのすべての景色の中で、リナの白い顔とドレスは、華やかに目を引く。
「そこにいるのは誰だ」
ふいに背後から声が聞こえて、まりあはびくっと身をこわばらせた。
まさかシャルル? 盗んだ鍵で侵入したのがばれた?
身構えたが、入り口にいたのは知らない男の人だ。
顔は青白くポチャッとしていて、ふくよかな体を仕立てのいい服で包んでいる。手にした革の手提げ鞄も高級そうだ。一目で金持ちの坊ちゃんだとわかった。
「ええと、これは、その」
困り果てているまりあを後ろに隠すように、リリスが一歩前に出た。
男は驚いたように一歩引く。
「蛇の目……。実在していたのか」
「おっとこれは失礼。僕たちはこのアトリエの主、ロビン氏のファンでね。どうしても遺作が見たくて、頼み込んで特別に入らせてもらったんだ」
すらすらと流れるように嘘をつくリリスに、まりあはちょっと引いた。
その嘘をひとまず信じたらしく、男は警戒を解いてハッと鼻で笑う。
「この世で一番の画家である俺様を差し置いて、ロビンのファンだと? 凡人は見る目がないな」
「おっと、あなたも画家だったか。失礼だが、お名前は? 作品を見たことがあるかもしれない」
「俺様はダニエル。ロビンの好敵手だよ」
ダニエル。その名前にハッとした。
六人目の画家。リナの絵を描いている、生き残り。
「絵を描くのをやめて」
思わず発したまりあの言葉に、ダニエルは顔をしかめる。
「なんだお前。この俺様に筆を折れと? この俺様に向かって「やめちまえへたくそ」だって?」
「違う、そうじゃない。リナさんの絵を描いてるでしょ。死んじゃうかもしれないから止めてって、彼女に頼まれたの」
途端に、ダニエルは顔を赤くしてどもりはじめた。
「かか、彼女が俺様のことを気にかけていただって?」
しかしそれも一瞬で、すぐにキリっと表情を硬くする。
「いいや、描くのをやめるわけにはいかない。これは男と男の戦いであり、芸術への挑戦なのだ!」
元気そうだな。まりあはひとまずほっとした。
話を聞く限り、死んでいった人は描いているうちにだんだん弱っていった、ということだった。この人が急変して死ぬ、なんてことは今のところなさそうだ。
「へー、すごい画家さんなんだね。あなたの絵ってどこに行ったら見られる?」
「ふん、俺様は今超大作を描いている最中だから、画廊だの品評会だの展示会だのに関わっている暇はないのだ!」
なるほど、描いてないんだな、とまりあは内心で納得した。口では大きいことを言っているが、人に見せられる作品はまだない、ということらしい。
その証拠に、ダニエルはそそくさと話題を変えた。
「俺様は親切だから教えてやろう。奴の遺作ならそれだ」
ダニエルは、イーゼルに立てかけられたままのひときわ大きなキャンバスを指さした。
無数の絵画の中にあって、その絵はひと際異彩を放つ。
このアトリエの窓辺に座ったリナがこっちを見ている絵だ。
憂いを帯びた視線に、ぞくりと背筋が寒くなる。彼女が見ているのは、このキャンバスに色を重ねている死にかけの画家だ。弱っていくロビンをじっと見つめる、心配とも憐みともつかない表情。それが克明に描き出され、ただ椅子に座っているだけのありふれた構図の絵画を異質なものにしている。
確かに、リナが画家の生気を吸っていると言われても納得してしまいそうな、美しさの中に死の気配と妖しさを秘めた絵画だ。
「ふん、確かにうまいが、それで死んでちゃ世話ないだろう」
忌々しそうに呟くと、ダニエルはアトリエを出て行った。
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