リャナン・シー連続殺人事件
第18話 妖精はすぐそばに
まりあが目覚めると、ベッドの柵に髪の毛が括り付けられていた。
「……、え。なにこれ」
ほどこうとするが、取れない。ロングヘアーだったらもっと楽な姿勢で目視しながら作業できるだろうが、まりあは肩につかないくらいのショートカットだ。絡まっている部分を視界に入れることもできず、手探りでなんとかするしかない。
「まりあちゃーん? まだ寝てる?」
「バーバラさん! ハサミかして!」
悲鳴を聞いたバーバラは、ただ事ではないと察知してまりあの部屋のドアを開けた。
「あらー! やられちゃったわね。ちょっとじっとしてて」
バーバラはベッドに腰かけ、細やかな手つきでまりあの赤毛をほどきはじめた。結び目に指がひっかけられて少しずつ引かれる感触が、少々くすぐったい。
「切った方が早くない?」
「だめよ。髪の毛は大事にしないと。待っててね、すぐ取れるから」
強く言われて、おとなしく従う。
「これはなに? 誰かのいたずら?」
バーバラではないとすれば、リリスだろうか。いや、ない。あの塞がれた両手でこれは無理だ。
「これは妖精のいたずら。人が夜寝ている間に、髪の毛で遊んでいくことがあるの」
次第に髪の毛がほどけていく。かなり丁寧にほぐしてくれるので、痛みもない。
「妖精なんているの?」
「ええ、いるわよ。向こうがその気になってくれないと、見ることはできないけどね。赤毛の人は妖精と縁ができやすいとか、姿を隠している妖精を見ることができるとかって昔から言われてるから、まりあちゃんはそのうち会うかもしれないわ」
信じられないけど、バーバラが言うならそうなんだろう。ここは別世界なんだ。それくらいの不思議なことはあってもおかしくない。
「よし取れた。今夜からは鉄でできた馬の蹄鉄を枕元に置きましょう。妖精は鉄が嫌いだから、そうすれば寄って来ないの」
ああ、それと……。と、バーバラはどこかへ走り去り、すぐに戻って来た。
「これもつけておいた方がいいわ。今まで気づかなくてごめんなさいね」
そう言って、バーバラがまりあの首にかけたのは、細いチェーンのペンダント。手のひらに収まるくらいの十字架がついている。小さくてかわいらしいが、ちょっと重たい鉄製で、ギラリと武骨に黒光りしている。
「これをつけてれば、悪いものは寄って来ないから安心よ」
さあ、ご飯にしましょ。とバーバラはキッチンへ戻っていく。
どうやら妖精というものは、こっちでは日常的なものらしい。
今日の朝ご飯は毒々しい紫色のスープと、虹色の魚の塩焼きと、真っ黒なイカスミパスタだ。毎度毎度、どこから材料を仕入れているのだろう?
「あはは、朝から大変だったね」
愉快そうに笑うリリスに、まりあはちょっとむくれる。
「もう、他人事だと思って……」
虹色の魚は、皮をめくってみたら白身魚だった。見た目はエキセントリックだが、口に入れてしまえば、脂がのっていておいしい。
「しかし、ナイスタイミングというか、いい予習だったね。ちょうど妖精の話をしようと思っていたところなんだ」
「どうして?」
「まりあはリャナン・シーという妖精を知っているかな?」
スープを一口飲みこんで、まりあは首を横に振る。えぐい色だけど、やはり味はおいしい。紫キャベツがベースになっているようだ。
「知らない。なにそれ」
「美しい女の姿をした妖精で、詩人や画家のような芸術家を魅了してしまう。リャナン・シーに魅入られた芸術家は、才能を開花させて素晴らしい作品を残すが、代償に早死にするそうだ」
「ふうん。不思議な話だね。それがどうかしたの?」
「次の事件の被告人、リャナン・シーのような悪女だっていう評判なんだってさ」
「妖精みたいな悪女? なんでそんなことに?」
「その女性をモデルに絵を描いた者たちが、次々に死んだそうだ。本当に妖精かどうかは不明だけれど、このままだと被告人は怪しい妖術でたくさんの人を殺した連続殺人犯として火炙りだろう」
「それって、殺人事件なの? 絵を描いただけで死ぬわけなくない?」
さすがに、迷信が過ぎるんじゃないだろうか。
「そうなんだけど、五件も立て続けに重なっちゃうとさすがにね……。特定の人物を描いた画家が立て続けに衰弱死。これで怪しまれないのは無理だ。どういう理屈で被害者たちが亡くなったのか解明できれば、モデルをしていただけの被告人は無罪、というところに持って行けるから、死因を探る方向で調査を勧めよう」
「おっけ。わかった」
不安げにバーバラが言った。
「妖精の力は、人間に推し量れるようなものじゃないのよ? 「妖精だから犯行が可能」って言われちゃったら、言い返せないわ」
ちょっとだけ自嘲気味に、リリスは口の端を上げた。
「そんなのいつも通りだよ。いつも魔女は「魔法の力で悪いことをした」ってやり玉にあげられるんだから」
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