第16話 判決

 陰気、人見知り、気位が高い。全部、ナタリーに向けてよく使われる言葉で、全部、間違っている。


 誰のこともわからない。


 好ましく思った隣人友人と、仲良くできるかなと思っても、無理だ。

 バイバイ、また明日。とお別れしてしまえば、自分の力で友人を見つけることができない。


 また明日、は永遠に来ない。

 どこにいるんだろう? と思っていると、すぐそばで怒った声が聞こえてくる。


「どうして無視するの?」


 また明日、が来ないのは、仲良くなりたかったはずの隣人を、自分の目が捉えられないからだ。

 そんなことを繰り返すうちに、周りも自分も、ナタリーのことが嫌いになってくる。

 誰だってそうだ。認識されなければ、興味を持たれなければ、無下に扱われたと怒るに決まっている。


 一生誰とも心を通わせられずに、孤独に生きていくのだと思っていた。

 人は、ナタリーに見えている景色を理解しようとはしないから。

 自分からどう見えているか言葉を尽くして説明したところで、他人から見れば、ナタリーは支離滅裂な虚言を繰り返す変人でしかない。


 だったら初めから、自分はおかしな奴だから近寄るな、と適度に尖っていた方がお互いのためだ。

 生きるということは、出口の見えない樹海をさまようことに似ている。

 道しるべも標識もなく、だるい足を引きずって、この森を抜け出したいという希望すらもいつしか消える。


 檻の前に、一人の少女がやって来た。

「まりあだよ」

 少女の声色は、穏やかだ。


「何度でも名乗るから、ここを出たらまたお話聞かせてね」


 その言葉が、どうしようもなく嬉しい。




 まりあの前で、ナタリーはぽろぽろ泣き始めた。

「なんでわかったんだ? こんなこと話しても信じてもらえないし、出来損ないだと思われるだけだから、人間全部に興味がないふりして、気づかれないようにしてたのに」

 この隔たりに、長いこと苦しんできたのだろう。考えるまでもなくわかる。

 人の群れに混ざれず、自分の事情を説明しても信じてもらえるはずもなく、おかしな奴だと白眼視されながら生きていく。


 二度目に会った時、初対面のような反応をされてまりあは確かに、少し傷ついた。

 その出来事が、何度でも起こるのだ。


「確かに、こんな障壁が隔たっているなんて、たいていの人はわからないだろう」

 リリスは、人差し指で自分の目を指した。

「なにがある?」


 ナタリーは涙を拭いながら答える。

「それくらいはわかる。目だ」

「僕の瞳孔は、人とはちょっと違う形をしている。初対面でこれに言及してこない人間は、ほぼいない。たまに気を使って口に出さない人はいるけど、それでも無反応はあり得ない。だが、あなたは気にも留めなかった。それがちょっと不思議でね」


 そういえばそうだったな、と、まりあは記憶を辿った。あんなに目立つ蛇の瞳孔に、ナタリーは見向きもしなかった。

「以上、弁護側は被告人の無罪を主張する。彼女は依頼された薬を調合しただけに過ぎない」


「そんなはずないわ!」

 傍聴席のほうから金切り声が聞こえた。カトリーヌが青い顔で立っている。

「私がリッキーに恋してるのが、薬のせいだなんて! なんとか言ってよお父さん! 私に薬を盛ったりしてないわよね!?」


 たじたじと目を泳がせている父親に詰め寄るカトリーヌを止める者があった。

 リッキーである。


「本当なんだ。僕は、お義父さんが君のスープに薬を入れるところを見た。薬屋でもらった手帳に、惚れ薬を買った記録がずらっと並んでるのも見た。僕は君が思ってるほど素敵な男性じゃない。しばらくすれば薬の効果が切れて正気に戻る。薬の魔力で正しい判断ができなくなっていたのは、君の方だ」

 隠されていたことが明るみに出て、重荷が下りたような解放感すらある表情で、リッキーは事の次第を話す。


「ごめんなさい。嫌われるのが怖くて、本当のことを言う勇気が出なかった。僕も薬を飲んで君しか見えなくなってしまえば、不安を忘れられると思った。もっと早くに言うべきだった。本当にごめん」

 カトリーヌは力なくその場に崩れ落ちると、しくしくとすすり泣きを始めた。

「いいえ、いいえ。私だって謝らなくちゃ。あなたに惚れ薬を飲ませる気でいたの。事件のあった日、ピクニックに持って行ったお茶に、薬を入れていたの」


 カン、と木槌が叩かれた。


「判決を言い渡す。被告人は無罪。販売した商品の用途まで、責任に問うことはできない」


 強い声で、シャルルはすらすらと判決を述べていく。

「後日、今回明るみに出た問題行動のあった者たちは追って沙汰が下る。裁判所からの通達を待つように」


 苦々しい苦情の声を、グイドがあげた。毛虫でも見るような侮蔑の目をナタリーに向けている。

「くそったれの魔女め! お前さえ黙って死んでいれば、全部うまくいったのに! みんな幸せだったのに! なんでお前みたいな日陰者のために、我々が迷惑をこうむらなきゃならんのだ! お前のせいだぞ!」


 ガン、と強い木槌の音が、その罵声を打ち消した。


「これにて閉廷!」






 とある天気のいい日。バーバラはうきうきと洗濯物を干し、リリスは散歩に出かけた。

 まりあは庭に出て、バーバラが育てている野菜にじょうろで水をやりながら、ぼんやり青く晴れ渡った空を見上げていた。


 あの後、カトリーヌはリッキーに薬を盛ろうとした件で、リッキーはナタリーに無理やりキスした件で、グイドはカトリーヌに薬を盛っていた件で裁かれた。

 特にグイドは、日常的に本人の意思を確かめずに薬を投与した、という点が悪質だと沙汰が下り、結構重めの判決が出たらしい。


 初めての事件は無事に解決し、被告人ナタリーの無罪を勝ち取ることができた。

 喜ばしいけれど、それと同時に少しばかり背中がうすら寒くなる。


 もし、あの事件にリリスとまりあが介入しなかったら?

 あの件に関わっていた人たちは、自分の後ろ暗いことは隠したまま、魔女ナタリーにすべてを押し付けたに違いない。


 掛け違えたボタンを直す機会を失った者たちは、臭いものに蓋をしながらぎこちなく生きていくことになっただろう。


 カトリーヌはこう言うだろう。「リッキーの様子が変なのは魔女のせい!」

 リッキーはこう言うだろう。「自分がこんなに苦悩するのは魔女のせい!」

 グイドはこう言うだろう。「娘夫婦がぎくしゃくするのは魔女のせい!」


 いや、リッキーは勇気さえあれば白状するかもしれない。……。ないな。あの土壇場になるまで黙ってたんだから。


 不安なことも、イヤなことも、全部魔女と薬のせい。そういうことにして、都合の悪いものは全部灰にしてしまう。

 処刑が済んだら口をそろえてみんなが言う。悪い魔女は死にました。めでたしめでたし。だからもう安心だ。


 と、いうことになっていたに違いない。

 理不尽に殺して、責任を擦り付けて。そんなひどいことをした人間が、死人に口がないのをいいことに「自分は悪い魔女をやっつけた」と吹聴する。ひどすぎる。


 「す、すみませーん」と声が聞こえて我に返った。


 声のする方を見ると、ナタリーが生垣の向こうからこっちを見ている。まりあはじょうろをその場に置くと、庭の門扉を開けた。

 少し元気になったようで、最初に会った時よりも顔色がいいし、目に光が宿っていた。


「あの、まりあさんとリリスさん、いる、かな?」

「私がまりあだよ。リリスは今ちょっと出かけてる。どうぞ、入って」

 答えると、ナタリーはほっと息をついた。


「いや、お構いなく。長居する気はないんだ。お礼を持ってきただけだから」

 そう言って、小さな鉢植えを差し出す。


「これは?」

「オリーブの苗だ。縁起のいい木だし、実は食べられる。風通しと日当たりのいい場所に置いて。鉢のままでもいいし、庭に植えてもいい。ボクのおすすめは地面に直接植えること。そうすれば、人間が手を入れなくても力強く育つから」

 半ば押し付けるように、ナタリーはまりあの手にオリーブの鉢を渡した。

「ありがとう」

 まりあが受け取ると、ナタリーは表情筋をめいいっぱい動かしてはにかんだ。


「ううん、お礼を言うのはこっちのほう。ボクのことわかろうとしてくれて、すごく嬉しかった。なにか、植物やお薬のことで役に立てることがあったら、いつでもボクの店に来てよ」


 憑き物が落ちたような顔で、ナタリーは晴れやかに笑っている。

「助けてくれてありがとう!」

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