第15話 弁護人リリスの推理
まずはこれを見ていただこう。
被告人ナタリー氏が経営する薬屋の帳簿だ。ここに書かれている情報によれば、惚れ薬を購入した人物は、この一年の間になんと三人もいるんだ。しかも、全員がこの事件の関係者だった。
直近の記録からたどっていこう。一番最近惚れ薬を購入したのはリッキー氏。品物の受け渡しがあったのは、事件当日。
リッキー氏が飲んだ薬は、リッキー氏が自分で注文した薬である、ということが、この帳簿からはわかる。彼の証言は本当だとの裏付けだ。
これだけでも被告人の無罪を証明するには十分な証拠だと僕は思う。
だって、彼は自分の意志で薬を注文して、自分でお金を出して購入したのだから。
でもまだ納得はいかないだろうから、もう少し説明しよう。
次の注文履歴を見てみよう。
その前に惚れ薬を依頼したのは、カトリーヌ氏だ。
まあ、行動としてはわからなくないよ。婚約者との仲を良好にしたいと考えるのは普通のことだ。手段はちょっとまずいけどね。
問題は、次。
カトリーヌ氏の父、グイド氏も惚れ薬を購入している。それも、ここ半年ほど継続的に。
アンリ君、質問いいかな。リッキー氏とカトリーヌ氏の婚約が成立した時期って、半年前じゃない?
ああ、やっぱりそうか。
グイド氏は、娘の縁談を円滑に進めるため、娘がリッキー氏に恋をするように仕向けたんだ。チャンスはいくらでもあるだろう。見合いの席のお茶にでも入れたんじゃないかな?
なにも問題が起きなければ、そのままめでたく祝言を挙げていただろうね。
けれど、どこかのタイミングで、リッキー氏は知ってしまった。
自分に好意を寄せてくれている婚約者は、惚れ薬のせいで自分を好いているに過ぎない、と。
きっと思い悩んだことだろう。自分はどうするべきか、添い遂げる女性の人生と感情に責任を持てるのか。なにより、真相を話せば、彼女に嫌われてしまうのではないか。
そしてリッキー氏は一つの決断を下した。自分も惚れ薬を飲んでしまおう。そしてそれを行動に移した。
ただ、ここで一つ誤算が生じる。
惚れ薬というのは、彼が思っていたようなものではなかったんだ。
ここに、もう一つ証拠品を提出しよう。被告人に許可を取って借りてきた、薬のレシピ帳だ。
これによれば惚れ薬の材料は、発酵させた豆、オクラ、それから舶来のマカという薬草の根だ。すり潰して混ぜたものを乾燥させて、臼で引いて粉にするらしい。
つまるところ、これはただの精力剤なんだよ。人間の心を支配する薬ではなく、体に作用して性欲を刺激し、異性に興味を持ちやすい状態、恋をしやすい状態にする薬なんだ。
リッキー氏は、カトリーヌ氏とのデートの前にこれを飲み、彼女と対等の条件で愛し合うつもりだったのだろう。
けど、飲んだ薬はただ性欲を刺激するだけのもの。
そうとは知らない彼は一気に薬を煽り、一番近くにいた女性に胸騒ぎを覚えてしまった。
これが、一連の事件の流れだと推察される。
カァン、とシャルルが木槌を打ち鳴らした。
「少し大げさに話を膨らませすぎではないか。その帳簿だって、あとから偽装することも可能だ」
「被告人は店側の帳簿とは別に、客側にも記録用の手帳を配布している。ここに、借用させてもらったリッキー氏の手帳があるから確認してくれ。事件当日に彼が服用した薬は、間違いなく彼が自分の意志で購入したものだ」
「仮にそうなら、なぜ被告人はその三人が客として薬を買いに来たと言わないんだ。最初からそう言えば、こんなに疑われずに済むだろう。変に疑いをかけられた時点で、どうして言い返さない。……いや、まともに供述できるとも思えんが」
「そう、その通り。不思議に思うのも無理はない。なぜ、薬を売った相手が事件の関係者だと言わなかったか。それもきちんと説明するよ」
リリスは立ち上がると、シャルルの隣に歩いて行った。
「ちょっと立ってくれる?」
「なぜだ」
「いいから」
リリスはシャルルを立たせると、その肩を掴んでその場で二人、ぐるぐると回り始めた。
「な、なにをする」
「しー、ちょっと静かにしてて」
何回か回転すると、リリスは動きを止めた。
そこでまりあは、あらかじめ示し合わせていた通りに、ナタリーに問いかける。
「ナタリーさん。どっちがあなたの弁護人かわかる?」
え? とアンリが声を上げた。
「いやいやいや、わかるでしょ。二人とも全然違うもん」
まりあだってそう思う。二人はあまりにもタイプが違う。線が細い優男のリリスと、いかつくて大柄なシャルル。普通なら、考えるまでもなく即答できる。
しかしナタリーは答えない。交互にリリスとシャルルを見比べ、首をひねっている。
「だから、動物には興味ないって言ってるだろ」
リリスは首を振る。
「いいや、違うよ。あなたは興味がないんじゃない。見分けがついていないだけだ。だから、特定の誰かに関心を向けることができないし、誰が客として買い物に来たか証言できない。無理やりキスされた、と声をあげたくても、どの人物が自分の唇を奪ったのか指さすことができない。そうだろう?」
「な、なにを言っている」
シャルルが慌てて、リリスの話を遮った。
「そんなことあるはずないだろう」
「いや、確かに珍しくはあるけど、時々そういう人がいるんだよ。医学の進んだ国では「相貌失認」「失顔症」などと呼ばれている。例えば、シャルルはアンリ君とまりあを見分ける時、どこを見ている?」
「意識して見分ける必要もない。全部違うだろう。目鼻立ちも、髪も体格も、見分ける要素はいくらでもある」
「では、これは?」
リリスは、ポケットから二つの小さな花を取り出した。どちらも同じ種類、同じ色、同じ大きさだ。
「これと一緒にするな」
「一緒なんだよ、彼女にとっては。神父のザビエル氏の証言が、それを物語っている。「何度会っても「初めまして」と挨拶される」とのことだったね。それもそのはず。彼女には、初対面の人間と知り合いを見分ける術がないんだから」
唖然としているシャルルに、リリスは語る。
「人によってそれぞれ見えている世界が違う、というのはさして珍しい話じゃない。感覚の違い、身長の違い、年齢の違い、信仰の違い。彼女の場合、認識能力が常人とは少々異なっている。僕たちだって、花畑で昨日見た小さな花を、再び見つけることは困難だろう」
誰にも見えない、ナタリーの目にしか見えていない景色を言葉にしていく。
「彼女はいわゆる供述弱者だ。僕たちとは感覚が違っているために、充分な自己弁護ができないんだよ」
まりあだって、最初は信じられなかった。けど、積み重なった違和感が、リリスの推測が正しいのだと告げている。ナタリーは、二回目にあった時まりあとリリスの見分けがついていなかった。
「彼女は、他人に興味のない偏屈に見えるかもしれないが、とんでもない。彼女は己の特性に足を引っ張られながらも、生きていくすべを模索していた。それが、客に渡していた手帳だ。見分けのつかない客たちに間違った薬を渡さないよう心を配っていたんだ。誰にも分らないところで、彼女は善く生きるために日々あがいていたんだよ」
リリスはゆっくり歩いて、ナタリーの檻の前に立つ。するとナタリーは、一歩身を引いて眉をひそめる。
「安心して。僕はリリスだ」
そう一言添えると、ナタリーはほっと緊張を緩めた。
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