第12話 救いはあるか

「これはちょっとした世間話なんだけど」

 事務所の居間で、リリスはなんてことないような調子で口を開いた。


「まりあは今回の裁判、どうするのがいいと思う?」


 テーブルの上には薬屋から拝借してきた帳簿や顧客名簿、薬のレシピなどの証拠品が並んでいる。

 台所の方から、晩御飯のいい匂いが漂い始めている。

 なにか手伝おうかとバーバラに申し出たけれど、「いいのいいの、座ってて」と断られてしまった。


「そりゃあ、無罪を取りに行ってナタリーを助けに行くに決まってるんじゃないの?」

 まりあは即答したが、リリスはまた聞き返す。


「被告人の置かれた状況は、なかなかに大変なものだ。仮に裁判で勝ったとしてもすべてが丸く収まるわけじゃない」

「つまり?」

「裁判に勝っただけでは彼女を救えないかもしれない」


 言葉に詰まってしまう。

 まったくの無実で、悪いことはしていないのに、苦しまなければいけないなんて。


「これは別に、珍しい話じゃないよ。「魔女だ!」ってなにかのきっかけで後ろ指を指されてしまうような人は、すでに困った事情を抱えていることが多いんだ。病気だとか、貧困だとか、生まれの事情だとか」

 静かで起伏のない口調は、かえって内容を強調させる。リリスは数多くのそういうケースを見てきたことが、想像に難くない。

「極端な話をするなら。無実を勝ち取って処刑を免れた被告人が自殺した、という例もある」

 リリスの目が、じっとこちらを見ている。

 今は夕方。窓から差し込む西日にあてられて、眩しそうにきゅっと瞳孔が縮んでいる。

 蛇のような変わった瞳でも、機能は普通の人と変わらないようだ。


「な、なんで?」

「命が続くということは、苦しみが続くということだから。魔女裁判での処刑は、抱えきれぬ苦しみを持つ者にとっては安楽死になりえる。もう終われると思ったのに、下手に無罪になったせいで死の安息を得られない。それに絶望してしまったようだ」

「そんなのって……」

「まあ、ごく一部の例だけどね」


 絶句したまりあだったが、その話の全てを否定することはできなかった。

 自分は死んで、あの丘で蛇と話していた時、元の場所に帰りたくないがために「生き返りたくない」と思った。

 再び地獄に戻るくらいなら、死んだ方がいい。

 そう思う気持ちを知っている。

「でも……」


 それは彼女を助けない理由にはならない。


「でも、私はナタリーを助けたいよ」

「彼女を再び、苦しみの渦中に引き戻すだけかもしれないのに? 裁判が終わって元の日常に戻れば、彼女はまた、今までと同じように苦しむだろう」

 リリスの問いに、まりあははっきりと答えた。


「同じにはならないよ。私がいるから」


 ナタリーのいる場所が地獄だとしても、たまに遊びに行くくらいのことはできるはずだ。

 お土産にお菓子でも持って、世間話をしに。こっちの世界にどんな植物があるのか、聞いてみたい。

 まりあだって、迷い込んだこの世界に、顔を合わせて話せる知人が増えるのは嬉しいし。

 うふふ、と嬉しそうにリリスが笑った。くっ、と瞳孔が膨らんでいる。


「いやあ、やる気のある助手が来てくれて嬉しいよ。その通りだ。被告人にとっては、僕たちが最後の砦。僕たちが諦めてしまえば、誰も彼女を救わない。明日、頑張ろうね」


 台所の方からバーバラが顔を出した。

「もうご飯にするから机の上拭いてくれる?」

「はーい!」


 テーブルの上を片付ける。大事な証拠品をうっかり汚したら大変だ。

 リリスも片付けようとはしているけれど、荊の手枷がついているせいでなかなかはかどらない。


「……。ねえ、それってなに? 聞いていいやつ?」

 リリスがずっと身に着けている手錠。

 ずっと気になってはいた。

 どう見たって不便だし、ファッションではなさそうだ。棘は常に皮膚を掠めているようで、手首にはびっしりとかさぶたが張り付いている。


「それ?」

「その……、手錠みたいなやつ。裁判所の檻の荊に似てるけど」

「ああ、これね。昔仕事でへまをして。それ以来取れないんだ」


 かいつまんだ説明からは、詳しく話したくはない、という意思が見て取れる。まりあは、この話はあんまり触れないでおこうと決めた。


「そっか。不便だろうし、手伝いが必要な時は遠慮なく言ってよね」

「そう? じゃあ、お言葉に甘えようかな。片付けと机拭きは任せた」


 リリスが片付けている最中だった証拠品を受け取り、明日持って行く鞄に詰める。

 それが済んだら台拭きでテーブルを拭いて、台所へ向かった。座ってて、とは言われたけど、お皿を運ぶのくらいは手伝おう。

 今日のご飯は、なんだろう?

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