第11話 ナタリーの薬屋
ナタリーが経営しているという薬屋は、ジャングルのように草木が生い茂っていた。
庭は数えきれないほどの植物で覆われ、家の中も所せましと鉢植えが並んでいる。すべての窓はカーテンの代わりに、つる草の絡んだネットが張ってある。
花の周りには虫が飛び、それを狙うように小鳥がやって来る。ここだけで一つの生態系が完成していた。
ここを通れ、とわかりやすく設置してある飛び石の上を歩いて、店へと入っていく。
「いやあ、助かった。僕は思わぬ拾い物をしたよ」
「なんの話?」
「君はとても聞き上手だ。僕には彼女の話の半分もわからなかった」
「嘘でしょ?」
「本当だとも。今後、聞き込みは全部君に任せようかな」
借りてきた鍵でドアを開け、店の中に入る。瞬間、ふわっと空気が変わった。
店の外は、土と草の青い匂いで満ちていた。それが店の中に入った瞬間、枯草のあたたかな匂いに変わる。出入り口に吊るされているドライフラワーの匂いだ。
一歩奥へ進むごとに、空気に交じる香りの種類が増えていく。すり鉢からは潰されたハーブの匂いが、臼からは粉になった木の実の匂いがほのかに漂い、それらがまじりあって複雑な香り漂う空間を作り出している。
部屋の中はカウンターテーブルで区切られていて、入り口側にちょっとしたソファが設置されている。
薬品や木の実、干したハーブなどが入った瓶は、全部カウンターの奥にあった。作りとしては、薬局と同じだろう。客用のスペースと店側のスペースが区切られていて、客が触ったら困るものは全部店側のスペースに引っ込めてある。
「それにしても、彼女は不思議な供述をしたね。誰に売ったかは覚えてないけど、人数は正確にわかるなんて」
「それは確かに」
興味関心のある分野が極端で、そこ以外には意識が全く向いていない、ということだろうか? だったら、人数すらも曖昧になるんじゃないだろうか。
ナタリーが言うには、店側の記録はカウンターテーブルの引き出しにあるとのことだった。
教えられた場所を開けると、分厚いノートが何冊も出てくる。
が、まりあには読めない文字で書かれている。
それはそうか、別世界だし。一から覚えるのめんどくさいなあ。
内心でちょっとだけため息をついてから、リリスに尋ねる。
「なんて書いてあるの?」
「これは帳簿だね。どの薬がどれくらいの量、いくらで売れたのか書かれている。被告人の証言通り、これによれば惚れ薬を買った相手は三人だ」
両手が荊の枷で塞がれているリリスは、ページをめくるのも難儀している。テーブルの上に置いて、不便そうに指で紙を抑えながら読み、うまく動かない手でえっちらおっちらページをめくる。
見かねたまりあは、ページを繰る係を申し出た。
指示の通りに紙をめくっていく。リリスが「おっ」と声をあげた。
「これは結構、強い証拠品になるかもしれない。ここ、買っていった人のサインが記されている。受け渡しの時にサインをもらっていたようだ。何度も来ている常連客もいるね。ほらここ、同じ名前があるのがわかる?」
読めはしないが、同じ形の文字があるのはわかる。確かに、同じ名前の人が定期的に来ているようだ。
ばっ、とリリスは再びページを抑えた。
「ここ。事件当日、被害者のリッキー氏が惚れ薬を購入した記録がある。客側に渡してあるって言う手帳も調べれば、簡単に裏付けが取れるだろう。無理やり飲まされたわけじゃなくて、自分で買って自分で飲んだようだ」
「なんのために?」
「さあ? それは本人にしかわからないけど。これは強力な証拠になるね。被告人は、依頼されて惚れ薬を作り、販売しただけだ」
もやっとした。まりあは眉をひそめる。
あまりにも簡単すぎる。こんな、ちょっとページをめくっただけで晴れるような疑いで、ナタリーは被告人の檻に入れられる。下手をしたらまりあがされたように串刺しにされるかもしれない。
「こんな、ちょっと調べただけでわかるようなことで、ナタリーは逮捕されたの?」
「そうだよ」
リリスも眉をひそめている。
「魔女狩りってこういうものだから。怪しかったら捕まえる。怖かったら殺す。捕まえたのが本当に魔女でも誤認逮捕でも、殺してしまえば結果は同じ。君のお国ではどうだったか知らないけど、こっちではよくあることだよ」
「じゃあ、なんであなたは止めようとするの?」
人間誰しも、あぶれ者には冷たいものだ。
石を投げられている者の近くへ行けば、世間様の投げる石は自分にも当たるのだから。
リリスは笑って答える。
「僕は冤罪が嫌いなんだ。許せない、と言ってもいい。無実の罪で裁かれ殺される人を、どうしても放っておけない」
なるほど、なかなか信用できる答えだ。
それはさておき、とリリスは話を戻す。
「話をややこしくしているのは被告人の態度だ。どうやらコミュニケーションが苦手なようだが、それにしたって、この人が薬を買ったんだと指さすことくらいはできるだろう」
「確かに」
自分の他にも惚れ薬を持っている人間がいる。そう主張して客を指させば彼女だけが疑われてつるし上げを食らっている今の状況は避けられるはずだ。
なのに、それをしない。
ナタリーが無実だとすれば、むしろ被害者は彼女の方だ。
勝手にキスされた挙句に痴女呼ばわりで殺されそうになっているのだから。どうして「あの男が勝手にキスしてきた!」と言い返さないのだろう?
まりあたちは、他にも手掛かりがないか店の中を探した。たくさんの薬のレシピと、植物の生態についてのメモ、育て方のポイントなどが書かれた本が山のように出てきた。その中にあった問題の惚れ薬のレシピを証拠として借りると、もうここにはなにもないと見切りをつけることにした。
二人はもう一度ナタリーの所へ向かう。疑問点を彼女に確かめるためだ。
留置場で面会を申し入れ、狭い部屋の中で向かい合った時、ナタリーはめんどくさそうな顔で二人を出迎えた。
「どうも」
そっけない挨拶に、まりあはちょっと寂しくなった。
話を聞き出すことができて、ちょっとだけ心の距離が縮まったように思ったのに、勘違いだったのだろうか。
「もしかして……。まりあ、ちょっと試したいことがあるんだ。協力してくれ」
リリスに耳打ちされて、まりあは驚きに目を見開いた。
まさか、そんなことあるんだろうか。
信じがたい気持ちで、言われたとおりにする。まずはリリスがナタリーの前に座った。そしてまりあはその後ろに立つ。
そして、まりあはリリスが口パクするのに合わせて声を出した。
「こんにちは。何度もごめんね、お店の植物は元気だって伝えに来たの」
ほ、とナタリーは肩の力を抜く。
「そっか、よかった」
その目は、リリスのほうを向いていた。
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